ピース

 アンナは、あまりの豪華さに度肝を抜かれ、言葉が出てこなかった。隣の亜紀も目を点にして、ダイヤのネックレスをした猫の写真に見入っていた。我に帰ったアンナは、返事した。「申し訳ないんですが、電話でも申し上げましたように、我が家では、ネコの結婚式を挙げるつもりはありません。しかも、結婚式は、ヒフミンが決めることであって、また、ヒフミンが名人になった暁ということになっているのです。そういうことなので、わざわざ、お越しいただいたのですが、挙式をする予定はありません」

 

 ウエディングプランナーは、全く悲観する様子はなく、平然とした顔で話を続けた。「お相手のヒフミン様には、すでに、了解をいただいております。今回のプランは、婚約パーティーということで執り行わせていただきます。また、無料で致しますので、ご心配はなさらないでください」アンナと亜紀は、目を丸くして、顔を見あった。いったい、どういうことなのか、二人にはさっぱりわからなかった。

 

 「どうして、無料で婚約パーティーをしていただけるのですか?信じられません。しかも、大阪の高級ホテルで。夢みたいな話です」彼女は、ちょっと首をかしげた。この婚約パーティーの件は、すでにピース家に伝わっていると思っていた。「婚約パーティーの件は、初めてお聞きになられますか?」アンナは、大きくうなずいて即座に答えた。「はい、初めてです。ヒフミンからも婚約パーティーをするなど、一言も聞いていません」

 

 彼女は、意外な展開に面食らった。彼女は上司から婚約パーティーについて次のように聞いていたからだ。ヒフミン様とピース様の婚約パーティーの依頼を桂コーポレーションから受けた。費用は、約1000万。招待客については、将棋界、国際愛猫家協会、愛猫芸能人、愛猫作家、愛猫ミュージシャン、愛猫国会議員、などを招待してほしい。また、ピース家の要望を十分聞き入れること。などなど。

 彼女は、一瞬、訪問する家を間違えたのではないかと思った。念のために、確認することにした。「こちらは、ヒフミン様とご結婚なされるピース様のおうちですよね。間違いありませんよね」アンナは、即座にうなずいた。「はい。ヒフミンは亜紀の友達で、ピースは我が家のネコです。でも、婚約パーティーのことは、初耳です」家は間違いなかったことに彼女はほっとした。

 

 胸をなでおろした彼女は、弊社への依頼について説明した。「すでに、桂コーポレーション様より、ヒフミン様とピース様の婚約パーティーの依頼を承っております。特に、ピース様のご意向を十二分に取り入れるようにとのことでした。したがって、費用の請求は、桂コーポレーションにさせていただくことになっています」すでに、契約段階で婚約パーティーの準備資金として、動物の冠婚葬祭会社であるラブラブアニマル社に桂コーポレーションより1000万円が振り込まれていた。

 

 アンナは、しかめっ面になって考え込んだ。いったいなぜ、多額の費用をかけてヒフミンとピースの婚約パーティーをするのか?どのようなメリットがあるのか?会長は、ヒフミンを将来何かに利用しようとしているのではないか。お金儲けしか考えない会長が、慈善行為をするはずがない。何か、あると思ったが、アンナには、どう対処していいかわからなかった。

 

 「桂コーポレーションからの依頼ですか。でも、そのようなご厚意を受けるいわれはありません。また、ピースの体調も芳しくありません。ここ数日、寝込んでいる状態なのです。パーティーだなんて。誠に申し訳ありませんが、婚約パーティーの開催はご遠慮したい、と桂コーポレーション様にお伝え願えませんでしょうか」彼女は、困った顔で黙り込んだ。すでに1000万円が振り込まれている大口契約なので、引き下がってしまうと上司に大目玉を食らうとおびえた。

 なんといって話を繋げようかと思案したが、ピースの安否を気遣うことが先決と考えた。「ピース様は、そんなに容体が悪いんですか。寝込むほどであれば、当然、パーティは無理ですね。何か、いい方法はないものでしょうか?やはり、無理でしょうか。不謹慎ですよね。ご病気だというのに、パーティだなんて。困ったな~~。どう報告すればいいか。あ~~、どうしよう」

 

 困り果てた様子の彼女にアンナは、困惑した。パーティを断ったからといって、何か困ったことでもあるのかと不思議だった。「ヒフミンのことであれば、こちらから、説明します。ピースの具合が悪いといえば、納得するはずです。そんなに、心配なさらないでください。あ、桂コーポレーションへの断りであれば、心配ありません。アンナが、そう言っていたとおっしゃっていただければ、会長もわかってくれるはずです」 

 

 彼女は、苦渋の選択を迫られているような深刻な顔でうつむいていた。彼女は、顔をふいに持ち上げるとつぶやいた。「それでは、お体がよくなられたら、パーティーを開催することにいたしましょう。これだったら、問題ありませんか。桂コーポレーション様のせっかくのご厚意ですから。いかがですか」かなりしつこいセールスレディーとイラッときたが、必死に食い下がる彼女の悲壮な表情を見ているとなんとなく気の毒に感じてきた。

 

 アンナは、しばらく考えていた。婚約パーティーなどは、不必要だが、ピースの快気祝いであれば、ヒフミンもピースも喜ぶ。この奇妙な会長の慈善行為に、すこし、裏があるような気もするが、楽しいことであれば、あまり深刻に考えなくてもいいのでは。ピースが元気になることを祈願して、パーティーを準備するのもいい。このままだと、ピースの容体が、ますます悪くなるような、いやな予感が頭をよぎった。

 アンナは、大きくうなずいた。「婚約パーティーなんて、大げさだけど、桂コーポレーション様のご厚意に甘えます。きっと、ピースは喜ぶと思います。ピースが元気になったら、婚約パーティー、お願いします。桂コーポレーション様に、いつもご支援いただき、感謝の言葉もありません、とよろしくお伝えください」彼女は、この言葉を聞いて、上司のカミナリを回避できたとホッとした。でも、良家の育ちには見えないヤンキー系のアンナという女性は、桂コーポレーション様とどういう関係にあるのだろうと不思議に思った。

 

 「よかった。ピース様は、きっと元気になられますよ。体調がよくなられたら、お知らせ願えますか。私どもも、心から健康の回復をお祈りいたします。桂コーポレーション様には、ピース様のご容体を知らせ、ご健康が回復なされ次第、婚約パーティーを開催する旨をお伝えいたします。ピース様にお目にかかれないのが、残念ですが、よろしくお伝えください。それでは、失礼いたします」

 

春日信彦
作家:春日信彦
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