暗殺

非番のひろ子はシャワーを浴びていた。リビングのテーブルの上に置いていたスマホから“かもめはかもめ”の着メロが鳴った。こんな時にと思ったが、花柄のバスタオルをつかみ取ると乳房をブルンブルンさせながら、リビングにかけて行った。ナオ子の名前を見て、今ごろなんだろうと思ったが、即座に通話をタッチした。ハイと返事するとナオ子の甲高い声が耳に突き刺さった。「今、お仕事中?ちょっといいかしら?」ひろ子は、張りを失い始めたお尻をバスタオルでふきながら答えた。「ハ~~、なにか?」

 

ナオ子は、とにかくすぐにでも会いたい一心で、昼食の誘いをすることにした。「ちょっと、ひろ子さんに聞いてほしい話があるの。お昼、ご一緒しない。お仕事で、ダメかしら?」よりによってシャワーの最中に、ランチの誘いとは、と思ってはみたが、非番でヒマしていたときの渡りに船と思い、軽やかな声で返事した。「はい、今日は、非番でヒマしてたんです。ナオ子さんにお会いしたいと思っていたところなんです」

 

ひろ子が、適当に喜んでみせると、パッと笑顔を作ったナオ子は、話を続けた。「そう、よかったわ。お家にいらして。楽天ポイントをためて、松阪牛のロースを買ったのよ。待ってるわね」ひろ子は松坂牛と聞いて、よだれが出そうになった。このような高級な牛肉を一度は食べてみたいと思っていた。「え、松阪牛ですか。最高級じゃないですか。まだ、食べたことがないんです。はい、お昼前に伺います」こんなに落ち込んでいる時に、今朝、タイミングよく松阪牛のロースが届き、しかも、ひろ子とランチできるとは、神様のお導きではないかと両手を合わせて感謝した。

 

ひろ子は、12時前にマンションに到着した。すでにステーキの準備はできていた。テーブルについたひろ子は、初めて目の前で見る松阪牛に釘付けになった。「これが松阪牛ですね。何か、食べるのがもったいないような気がしますね。こんな、芸術的な霜降り、初めて見ました。まさに食べる芸術品ですね。見るだけでも、目の保養になりますね」ナオ子も結婚記念日ぐらいしか食べられなかった。

「ひろ子さん、さあ、いただきましょう。レアが最高よ」大きなフライパンに牛脂を溶かし、スライスニンニクを敷くとロース一切れを入れた。強火で1分焼いて、一回ひっくり返すの。そして、弱火で30秒。ポン酢でいただくと最高。ひろ子さん、どうぞ」ナオ子は、ひろ子のさらにステーキを乗せた。目を輝かせたひろ子は、喜色満面で香水のような甘い香りをスッ~~と吸い込んだ。「なんて、いい香り。あ~~、幸せ。生きててよかった」

 

ナオ子は、大げさな表現に笑いが込み上げてきた。「そう、言っていただくとうれしいわ。さあ、召し上がれ」ひろ子は、ナイフを肉の上に置くとナイフの重みですっと切れた。「こんなの、初めて。すっごく、やわらかいんですね」一口頬張り、やわらかい歯ごたえを感じると、甘い肉汁が口いっぱいに広がって行った。「こんなの、生まれて初めて。こんなにおいしいお肉が、この世にあるんですね。もう、いつ死んでもいいって感じ。最高」

 

ナオ子は、笑いをこらえるのに必死だった。100グラム8000円と言ったら、気絶するじゃないかと思い、値段は言わないことにした。早速もう一枚を焼くとナオ子もお肉を口に押し込んだ。去年の誕生日祝いにもらったワイングラスに赤ワインを注ぎ、ひろ子に差し出した。「どうぞ、この赤ワインも楽天で買ったの」ひろ子は、楽天のことが知りたくなった。「ナオ子さん、楽天って、そんなにいいんですか?」ナオ子は、楽天ポイントのことを話すことにした。「いいっていうか、楽天ポイントが、すっごくたまるのよ。だから、ポイントをためて、年に一度、6月に松阪牛を注文するってわけ」

 

ひろ子は、すでにクレジットカードを2枚持っていたが、今持っているカードにはそれほどポイントはたまらなかった。「そうですか。そんなにたまるんだったら、私も、楽天にしようかな~。あ、そう、お話があるって、おっしゃってましたよね」ひろ子の笑顔を見ていると、ナオ子は、すっかり例の話をするのを忘れていた。「そうなのよ。聞いてくださる?ちょっと、暗い話なんだけど」

いまさら暗いとか言われても、聞かないとは言えない状況を作られては、頷く以外なかった。「私でよかったら、どうぞ」ナオ子は、即座に暗殺説を話すのも楽しい食事が台無しになるようで、まずは、62日に起きた事件の話から始めることにした。「ほら、月初めに、ナカス女学院のJKが自殺したってニュース知ってる?」ひろ子は、ワインを口に含んだままうなずいた。そして、グイット流し込むと返事した。「あの事件ね。超名門女子高のJKがウツで投身自殺したって事件でしょ。育ちがいい財閥のお嬢さんは、田舎育ちの貧乏女子とは、違うんでしょう。かわいそうな気もするけど」

 

ナオ子は、しばらく時間をおいて、話を続けた。「思うんだけど、財閥のJKって、ウツになって自殺するのかしら。ほら、お母さんが言ってたじゃない。とっても明るくて、活発な子でした。自殺するなんて、考えられないって。どうも、その言葉が気になってね」ひろ子は、目を見開きワイングラスを置くとナオ子を見つめた。「え、ナオ子さん、あれは、自殺じゃないって、いいたいんですか?」

 

ナオ子もワイングラスを置くとひろ子を見つめ、真剣な眼差しで答えた。「そう、きっと、自殺じゃないと思う」その言葉が耳に飛び込むと、即座に詮索好きのよからぬ虫が、ひろ子の心の底から這いあがってきた。「まさか、それじゃ、他殺ってこと。いったい誰が?なんのために?」ひろ子は、遠くを見つめるような眼差しで、つぶやいた。ナオ子は、ひろ子が食いついてくれたことに内心ホッとした。さらに、ナオ子は、他殺をにおわせる発言をした。「明るくて活発な女子が、自殺、ってのは、ちょっと変じゃない。女の直感なんだけど」

 

ひろ子は、グイグイ、JK自殺事件の謎に引き込まれていった。「でも、警察は、自殺って、公表してたでしょ。万が一、殺害だったら、大変なことになるんじゃない。でも、マジ殺害だったら、生徒が犯人ということ?まさか。それはないな~、人気者でみんなに好かれていたようだし。それじゃ、いったい誰?センコウ?」ナオ子は、暗殺説を話してもいい頃合いじゃないかと思った。

「ひろ子さん、仮に殺害だったとしたら、犯人は、誰だと思う。私も、生徒じゃないような気がするの。犯人の可能性があるのは、誰かしら?」ナオ子は、ひろ子の好奇心をあおるような質問をした。ひろ子の頭の中は、事件のことでいっぱいになった。まだ、松阪牛は、半分も残っていたが、完全に食欲は消え去っていた。しばらく考えていたひろ子だったが、ふと我に返り、松阪牛に目をやった。

 

「やっぱ、殺害ってことはないでしょ。警察も自殺って公表してるし。私たちが、勘ぐっても、しょうがないわけだし」ひろ子は、おなかがすいているのを思い出したように、お肉を食べ始めた。ひろ子は、どんな質問も聞き入れないというように、一心不乱に口を動かしていた。「そうよね、食事がまずくなっちゃったわね。ごめんなさい。マンゴーゼリーのデザートもあるのよ」

 

食事を終えるとナオ子は、デザートのマンゴーゼリーを小皿に載せて運んできた。「これも楽天で買ったの。大半は、楽天で賄うの。とにかく、ポイントがガバガバ付くから、かなりお得。ひろ子さんも、楽天に加入するといいわよ。びっくりするぐらいポイントがたまるから。ポイントは、ネットショッピングに使えるだけでなく、Eddyにもチャージできて、とにかくお得よ。そう、時々、ポイントを使って、“くら寿司”に主人と食べに行くのよ。もう一つカードを作るなら、楽天にしなさいよ。チョ~~おすすめ」

 

ひろ子もそこまでお得と言われると早速楽天カードを作りたくなってきた。「そんなにお得ですか。セゾンとYJ2枚持っているんだけど、楽天も早速作ります。ところで、JK自殺事件の話なんですが、その事件にご主人がかかわっていらっしゃるんですか?何か、新事実でも出てきたとか?」この事件に関しては、警察とは無関係に個人的な興味から調査しようと思っていたため、沢富の名前を出すまいと思っていたが、暗殺説の出どころは沢富だったため、暗殺説の出どころぐらいは話しても差し支えないような気がした。

春日信彦
作家:春日信彦
暗殺
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