僕が精神病だった頃のこと

究極の恐怖

それまで幻覚やら妄想やら不安障害やらウツ状態やら人格障害やらでごちゃごちゃだった私の病気は、「ええい、面倒だ」と言うわけでもないと思うが、まとめて統合失調症とされて来た。しかし私の場合、1年間ほどの入院加療の結果、気づいたら不安障害だけが残った。その不安障害にしたって、ただ蚤の心臓だというだけで、誰もがそうであるように、ただ死ぬの怖い怖い病だから障害者手帳も障害年金も下りないだろうと思う。私の「死ぬの怖い怖い病」はもちろん、そういう病名があるわけではない。誰もがそうであるように言わば「自我の病」であろうと思う。もちろん個人差は大きいしその人の性分や哲学にもよるので、人によっては死ぬことは特に怖くないとうそぶく人もいるだろうが。あるいは私が馬鹿正直なだけであるのかもしれない。しかし、恐怖にもさまざまあるとはいえ、究極の恐怖はやはり「死」ではあるまいか?まあ、がんのような病気だろうと、あるいは事故や災害であろうと、恐怖を感じる間もなく死に至る場合もあることもあるだろうが。

そして精神病について言うなら、病状が悪化するごとの死ぬほどの苦しみには、家族や周囲(もちろん医療関係者を含む)は責任を持って戴きたいと思う。そして「社会病」でもある精神病を、社会全体の責任において克服していきたいと思う。





質問~コミュニケーション障害

私の言葉の使い方や人の話す言葉の聞き方・解釈はかなり変わっているようだ。昔、厳密すぎると指摘されたこともある。たとえば誰かに何かを質問しても思うような答えが返ってこないことがよくある。人は質問されるのを嫌がるようだ。

メール

早いもので今の病院に入院してもう1年半近くになる。入院は幾度目か数えきれない。そして入院の数と同じくらいの数の、いろいろな病院にお世話になった。もう40年近い精神病だから、そのリハビリテーションや休養なども少しは上達しても良さそうなものだが、なかなかどうしてどうして、上手く行かないものだ(苦笑)。昨夜も一昨夜も薬を飲んでも眠れなかった。さすがに今日は日中に短い昼寝を数回。それと病院内の売店へも少しでも歩く練習。まだ元気な自宅の父も、老いてもようやく覚えた携帯メール。パソコンだって、スマートフォンでの自宅の父との病状報告のメールだって、精神的ストレスなどとの上手な付き合い方のリハビリテーションだと思っている。投薬をうまく確実にするのも、もちろん重要な治療だ。特に薬は、副作用の見極めとうまい付き合い方が試されるというものだ。父とのメールは、向うも練習になるが、その誤字脱字誤変換だらけの難解な(?)文章を読み解くのだって、こちらもかなりの頭の訓練になる。妹によると父は、うまく打てなかったり疲れたりすると妹や母に八つ当たりするらしい(笑)。それでも、向こうは老いの、こちらは精神病の、重要で楽しい治療でありリハビリテーションなのだ。そのような、57歳と83歳の言葉のキャッチボールは今日も飽きずにそして懲りずに続くのだ。

 

霞が関文学

国会が始まるといわゆる霞が関の夜が照明で明るくなると言う。政府としての立場や閣僚の答弁書などの作成で徹夜の毎日が続くとも言われる。それらの文章は、非常に分かりにくく「霞が関文学」などと揶揄(やゆ)される。そして「日本の官僚は頭がいい」などと評される。たとえばそれらの文章は、読みようによっては白とも黒とも取れる政府の政策。時にそれは日本の将来を左右するような重要な文書の類でもある。そして、少なくともこれまではそういう文書は官僚たちに都合の良い権益をもたらすように書かれて来たとも言われる。 ところがここへ来て、日本を含む世界はさまざまな意味で行き詰っているらしい。たとえば経済面において、日米欧などを中心の資本主義の限界を示しているとか、あるいはISなど、国際的なテロリスト集団などを中心とする混乱などだ。つまり、たとえば官僚の書く文書が自分たちに都合の良く書かれているとしても、それらの政策の裏打ちとなる世界情勢あるいは日本国内の情勢が非常に脆弱(ぜいじゃく)になっているのかもしれない。つまりもはや日本には中央官僚にとっての「権益」が無いのかもしれない。あるいは官僚の中でも、 お金を貯めた頭がいいと言うよりずる賢い人たちは、とっくに地震などの天災の多く、また人口の少子高齢化などで暮らしにくくなった日本を飛び出して、たとえば「タックスヘイブン」(租税回避地)のような外国で悠悠自適な暮らしを謳歌しているのかもしれない。
篠田 将巳(しのだまさみ)
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