僕が精神病だった頃のこと

霞が関文学

国会が始まるといわゆる霞が関の夜が照明で明るくなると言う。政府としての立場や閣僚の答弁書などの作成で徹夜の毎日が続くとも言われる。それらの文章は、非常に分かりにくく「霞が関文学」などと揶揄(やゆ)される。そして「日本の官僚は頭がいい」などと評される。たとえばそれらの文章は、読みようによっては白とも黒とも取れる政府の政策。時にそれは日本の将来を左右するような重要な文書の類でもある。そして、少なくともこれまではそういう文書は官僚たちに都合の良い権益をもたらすように書かれて来たとも言われる。 ところがここへ来て、日本を含む世界はさまざまな意味で行き詰っているらしい。たとえば経済面において、日米欧などを中心の資本主義の限界を示しているとか、あるいはISなど、国際的なテロリスト集団などを中心とする混乱などだ。つまり、たとえば官僚の書く文書が自分たちに都合の良く書かれているとしても、それらの政策の裏打ちとなる世界情勢あるいは日本国内の情勢が非常に脆弱(ぜいじゃく)になっているのかもしれない。つまりもはや日本には中央官僚にとっての「権益」が無いのかもしれない。あるいは官僚の中でも、 お金を貯めた頭がいいと言うよりずる賢い人たちは、とっくに地震などの天災の多く、また人口の少子高齢化などで暮らしにくくなった日本を飛び出して、たとえば「タックスヘイブン」(租税回避地)のような外国で悠悠自適な暮らしを謳歌しているのかもしれない。

ある自死

11月27日の報道によると、神戸市内の高校生がいじめを受けたことを苦に自殺未遂に追い込まれ、学校が設けた第三者委員会がいじめとの因果関係も認定をしたとのこと。いじめがあったこと、自殺未遂に追い込まれたことは誠に残念ですが、未遂でいじめが認定されたことは高く評価したいと思います。とかくこの手の事案は被害者が死亡しないと周りが動かないことがほとんどのように思うので、この事案は私が知る限り画期的だと言えるのではないでしょうか。しかし同時に、当然ですが加害者探しにはくれぐれも慎重であってほしいと願います。年代から言っても、必ずしも加害者を特定することがすべてではないと思いますし、事実誤認は絶対にあってはならないことです。また、当事者のこころのケアを十分にお願いしたいと思います。このニュースを知り、私はまたとても複雑な心境になりました。どうか皆さんが仲良くしてくださればいいと思います。周りの大人たちの真価が問われます。私たちの社会におけるいじめや虐待とは何か?あるいは人を裁くということは何か?を含め、皆が考える機会となる事案がまた起きてしまったことは残念に思います。教育とは何か?考えたいですね。そして教訓にしたいものです。

福祉タクシー券

打てば響くとはこのことだ。私はつい昨日、我田引水を承知で、精神障害者にも福祉タクシー券をと、新社会党の東京都北区議会議員の福田光一氏あてにメールを1通書いたところ、区議会の会期中で実に忙しい中、つい今丁寧な返事を戴いた。すでに予算を要望しているところ。すぐの実現は難しいが頑張る云々。日頃からと言うより彼の父親が現役の頃から家族ともどもお世話になっている。誰より地元をよく知り、そして地元を愛する彼の活躍ぶりは、地元の人は皆が認めるところである。区政相談はもちろん、無料法律相談、そして地元名物、季節折々の餅つきなども行う。ますますの活躍を期待したい。そして1日も早くタクシー券が実現する日を待とうと思う。私は精神障害者だが身体も虚弱で病院と自宅の行き来にタクシーは欠かせない。同様の方がやはり多くおられるということだろう。障害者団体からも要望が来ているところだと福田氏のメールにもあった。彼ならやってくれると思う。

死の恐怖

それまで幻覚やら妄想やら不安障害やらウツ状態やら睡眠障害やらでごちゃごちゃだった私の病気は、「ええい、面倒だ」と言うわけでもないと思うが、まとめて統合失調症とされて来た。しかし私の場合、1年半ほどの入院加療の結果、気づいたら不安障害だけが残った。その不安障害にしたって、ただ蚤の心臓だというだけで、誰もがそうであるように、ただ死ぬの怖い怖い病だ。私の「死ぬの怖い怖い病」はもちろん、そういう病名があるわけではない。誰もがそうであるように言わば「自我の病」であろうと思う。もちろん個人差は大きいしその人の性分や哲学にもよるので、人によっては死ぬことは特に怖くないとうそぶく人もいるだろうが。あるいは私が馬鹿正直なだけであるのかもしれない。しかし、恐怖にもさまざまあるとはいえ、究極の恐怖はやはり「死」ではあるまいか?まあ、がんのような病気だろうと、あるいは事故や災害であろうと、恐怖を感じる間もなく死に至る場合もあることもあるだろうが。そして精神病について言うなら、病状が悪化するごとの死ぬほどの苦しみには、家族や周囲(もちろん医療関係者を含む)は責任を持って戴きたいと思う。そして「社会病」でもある精神病を、社会全体の責任において克服していきたいと思う。
篠田 将巳(しのだまさみ)
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