僕が精神病だった頃のこと

哲学の大転換

ある意味資本主義という哲学の時代は終わった。その結末は要するに富の偏在であった。グローバリズムの目的は世界の平準化であったはずなのだが、資本主義の結末、つまり経済のグローバリズムがもたらしたものはその逆の経済の二極化であった。そして大量生産大量消費の時代でもあった。ある意味共産主義などの「敵」が居ない一人相撲の結果勝手に「負けて」しまったのである。その主な原因は私たちは地球がさまざまな意味で有限なのにも関わらず、どこまでも無限に経済などが成長出来ると思い込んでいたということではないだろうか。しかしどうも政治家、ことのほかTPP参加派の政治家などは いまさらのように右肩上がりの経済成長の時代に見切りをつけられないようだ。 何の幻想を追い続けているのか? もちろん昔を忘れられないのは理解できる。 しかし少なくとも政治家たるものは未来を見据えなければいけない。 もうとうに経済成長や経済のグローバリゼーションの時代は終わったのである。 そんなことも認識できない人間は今すぐ政治家をやめるべきである。 たとえばの話、 人口減少や高齢化が今すぐに止められなければ、 もう経済成長など夢見るべきでない。それはもう手遅れだ。重要なことはたとえば人口爆発などによる食糧やエネルギーの限界を知ることであり、そしてもっとコンパクトな自給圏などの経済地域的概念を導入することである。今や脱原発も含めて新しい「哲学の大転換」の時だ。

諸刃の剣

ひと言で言って実に厳しい世の中になった。個人的には、嫌な世の中になったなあと思う。政治家、文化人、芸能人やスポーツ人などの有名人、あるいはさまざまなSNSなどでの発言者などに少しでも落ち度があると徹底的に、集団がまるで暴徒化したように皆で叩く。不寛容で、何かと言うと「絶対に許さない」などと皆が簡単に言う。ほとんど日替わりのように「犯人」が血祭にあげられる。いつからそんなに他人を裁くことが好きな社会になったのだろう?インターネットの登場が原因かもしれない。1億総評論家と言われて久しいが、今は誰でもインターネットを使って「証拠」をコピーして拡散できてしまう時代だ。他者の落ち度に容赦が無い。気持ちに余裕がない、とでも言うべきか。それは諸刃の剣(もろはのつるぎ)、次は自分の番かとの覚悟が必要かもしれない。

あけましておめでとうございます

新しい年が無事明けた。ところで私は、長年の病床にある。そのせいか、恥ずかしながらこの歳になって初めて、「あけましておめでとう」の意味を知ったような気がする。去年までは「めでたくなんかない!」と思っていた。こっちはずっと病気で苦しんでいる。何がおめでとうだ!と。私のことはさておき、しかし不幸な境遇の人にこそ「おめでとう」なのだなと、今年は合点がいった。つまりどんなに不遇であったり思うようにならないことが多くても、当たり前だが「無事新しい年が明けて良かったね」という意味だ。やっと分かったような気がする。そして迎えた年が無事で平穏なら言うことはない。年頭にそう悟った。西暦で2018年、そして平成30年。来年は新天皇即位の年であり、改元の年だ。何か良い予感がしないでもない。

腐ったナース

別にこの病院に限ったことではなく、どこでもナースは腐っている。それが俺が見た看護スタッフの実情だ。もちろん純粋に頑張っている人もいるし、特に精神科だからでもないと思うが、多くのナースは患者を虫けらのように思っている。そしてそのなかでも頭の悪いベテランの一部が特に根性が腐っている。逆に言えば彼らはプロとしてのプライドも捨ててカネを搾取している。何故なら彼らはプロとしての仕事をしていないから対価をもらう資格がないからだ。血圧を測ってやるという顔をして、義務的に測るふりをしてアリバイだけを作り、結果なんて気にも留めない。機械的にそんなことをするふりをして、当然だと言わんばかりにカネをふんだくると言うわけだ。そんな奴にはもはやプロとしてのプライドもない。そんなことを、この正月考えた。
篠田 将巳(しのだまさみ)
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