僕が精神病だった頃のこと

甘え

病人は健康な人に甘えなければ生きて行けない。もっともっと甘え、依存すべきだ。当たり前のことだと私は思うが、世の中はそうした弱者は強者に甘えてもよいという考え方に厳しいようだ。下手をすると、強い者が弱い者に甘えるという、逆転現象すらある。どこまで人は間違えるつもりなのか?まったく信じ難い光景があちこちで起きている。病院で、障害者施設で、老人施設で、路上で、家庭で、会社で、学校で。世の中のあちこちでそうした「逆依存」現象が起きている。そんな生きづらい事が良いわけがない。ただちに直されなければならない。今、当たり前のことが当たり前でなくなっている。皆が正気に戻らなければいけない。強い者、力のある者が、弱い者、非力な者を助けなければいけない。当然のことを言っているつもりだが、どうやらそうでもないらしい。

2018年年頭所感

「あらゆるものごとは起こる。あなたはただ起こるのを許せばいいだけだ。決してやり手にならないように。あなたはただ見守る。起こったこと、起きていること、これから起こることはすべて自然なことだ。なぜならこの世界では自然なことしか起こり得ないからだ」それが和尚の口癖だったと私は記憶している。すべては運命のように決まっていること。そう考えると生きることが少しは楽になる。運命に逆らうのもまた運命だ。何をするにしてもしないにしても、私がそれを許せばいいだけのこと。すべてが自然に起こるように、まるで川に浮いているかのようにすべてを流れに身を任せている。その素晴らしい感覚。何故なら私はすべてを「全体」のせいに出来るからだ。どちらにしようかと迷ったら、風に揺れる木の葉のようになって、自分の気分に聞いてみる。「全体」の意向を聴いてみる。そして川の流れを、風向きを読んでみる。「全体」の意向ももちろんだが、自分の気分も川の流れも風向きも、自分の運命を暗示している。気分が向いたほうへ行ってみる。流されてみる。右へ行くのも左へ行くのもすべてを流れにまかせることで、私は自然になり、あらゆる責任を「全体」に負わせることが出来る。そう。すべては宿命であるかのように。そしておそらく、川は大海へと続いている。私と全体が溶ける大海へ。それが、2018年年頭に当たって感じたことだ。

幸福

少なくとも浮かれていたのは余計だったが、昨日は「生きる極意」を見つけたり、自身の行く末が見えたり、色々ありましたが、夜も追眠なしで眠れたし、担当の看護師さんの機嫌も良く、結構な日が続いております。昼もカレーライスを美味しく食べたところ。好きなようにさせてもらって良い塩梅ですw感謝!こういうのを人は幸福と言うのかもしれないww

保護室

およそ10年ほど前のことです。O精神病院の保護室で行動を制限された体験です。そもそも私が開放病棟から閉鎖病棟に移されたのも、私に言わせれば病状が理由ではありませんでした。開放病棟へは長くは置いておけないと言う、まったく病院側の都合によるものでした。閉鎖病棟でもまだ一般病室に居る分にはマシだったのですが、私がある時棒を振り回してあばれた時に、他の病棟からも多くの看護スタッフが緊急に呼び集められて、私が両手を広げて暴力を振るう意思など無いとアピールしているにもかかわらず、大勢に押さえられてそのまま保護室に入れられ、同時に身体を縛られて拘束されました。そして鍵のかかった個室である保護室で行動を制限されました。私は今までにいくつかの精神病院に入院経験がありますが、不思議なことにどこの病院でも、看護スタッフは自分たちの働く病院はとても優秀で良心的な病院だと思っているようです。その病院も同じでした。そのように暴れた患者は閉じ込めて行動を制限するのは当然だと職員は思っているようです。例えば、鍵のかかった個室の中で身体を縛って拘束することが必要なのでしょうか?「保護」室だからでしょうか?もちろん危険な物など入り込む余地はないのにです。こうした身体拘束のことは長年にわたり議論されているようですが、結論は出ないようですね。刑務所や拘置所などと病院の違いは何なのか?考えさせられます。
篠田 将巳(しのだまさみ)
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