僕が精神病だった頃のこと

2018年年頭所感

「あらゆるものごとは起こる。あなたはただ起こるのを許せばいいだけだ。決してやり手にならないように。あなたはただ見守る。起こったこと、起きていること、これから起こることはすべて自然なことだ。なぜならこの世界では自然なことしか起こり得ないからだ」それが和尚の口癖だったと私は記憶している。すべては運命のように決まっていること。そう考えると生きることが少しは楽になる。運命に逆らうのもまた運命だ。何をするにしてもしないにしても、私がそれを許せばいいだけのこと。すべてが自然に起こるように、まるで川に浮いているかのようにすべてを流れに身を任せている。その素晴らしい感覚。何故なら私はすべてを「全体」のせいに出来るからだ。どちらにしようかと迷ったら、風に揺れる木の葉のようになって、自分の気分に聞いてみる。「全体」の意向を聴いてみる。そして川の流れを、風向きを読んでみる。「全体」の意向ももちろんだが、自分の気分も川の流れも風向きも、自分の運命を暗示している。気分が向いたほうへ行ってみる。流されてみる。右へ行くのも左へ行くのもすべてを流れにまかせることで、私は自然になり、あらゆる責任を「全体」に負わせることが出来る。そう。すべては宿命であるかのように。そしておそらく、川は大海へと続いている。私と全体が溶ける大海へ。それが、2018年年頭に当たって感じたことだ。

幸福

少なくとも浮かれていたのは余計だったが、昨日は「生きる極意」を見つけたり、自身の行く末が見えたり、色々ありましたが、夜も追眠なしで眠れたし、担当の看護師さんの機嫌も良く、結構な日が続いております。昼もカレーライスを美味しく食べたところ。好きなようにさせてもらって良い塩梅ですw感謝!こういうのを人は幸福と言うのかもしれないww

保護室

およそ10年ほど前のことです。O精神病院の保護室で行動を制限された体験です。そもそも私が開放病棟から閉鎖病棟に移されたのも、私に言わせれば病状が理由ではありませんでした。開放病棟へは長くは置いておけないと言う、まったく病院側の都合によるものでした。閉鎖病棟でもまだ一般病室に居る分にはマシだったのですが、私がある時棒を振り回してあばれた時に、他の病棟からも多くの看護スタッフが緊急に呼び集められて、私が両手を広げて暴力を振るう意思など無いとアピールしているにもかかわらず、大勢に押さえられてそのまま保護室に入れられ、同時に身体を縛られて拘束されました。そして鍵のかかった個室である保護室で行動を制限されました。私は今までにいくつかの精神病院に入院経験がありますが、不思議なことにどこの病院でも、看護スタッフは自分たちの働く病院はとても優秀で良心的な病院だと思っているようです。その病院も同じでした。そのように暴れた患者は閉じ込めて行動を制限するのは当然だと職員は思っているようです。例えば、鍵のかかった個室の中で身体を縛って拘束することが必要なのでしょうか?「保護」室だからでしょうか?もちろん危険な物など入り込む余地はないのにです。こうした身体拘束のことは長年にわたり議論されているようですが、結論は出ないようですね。刑務所や拘置所などと病院の違いは何なのか?考えさせられます。

終末妄想

僕の場合、統合失調症という診断だが、現在のところの症状でいちばん影を落としているのは、いわゆる終末妄想かと思う。
今はまだ両親と妹が健在だが、そして3食昼寝付きの入院生活だが、それらが無くなれば、ひと言で言って路頭に迷い、命が危険に晒(さら)されるだろうということの恐怖だ。
僕はずっと死ぬまでこの病院に居たいのだ。ここに居さえすればとりあえず生きていられるという、まあ「甘え」かもしれないが。
そういう一連の将来に対する不安恐怖が、妄想となって心を占めることがすなわち僕の病状なのだ。
例えば僕は働いてお金を得るということが出来ないから、将来は生活保護を受けるようになって不自由になるのだと、ついこの間まで思い込んでいた。ところが、去年母の姉である配偶者も子供もない伯母が、ひと財産を残して亡くなり、母の元に多額の相続財産が入って、85歳の母は、僕と妹に結構な額のお金をこれから毎年贈与してくれるという「ウルトラC」の意向で、僕は将来そう簡単には生活保護受給者にはなりそうになくなったのだ。
まあ、ひとつの「終末妄想」の要素が無くなった。
お金と言えば、現在の障害等級1級で障害基礎年金も1級が受給出来て、東京都民の僕は医療費が無料のいわゆるマル障が適用になるので、あとは今の病院にずっと居られさえすれば、僕の病状の一部が消失するかもしれない。
しかしながらそう甘くはないだろう。
病気が治れば、いつまでも病院に居られるはずがない。そして病院に居られなくなれば、生活力の無い僕は病状が悪化するという、鶏と卵のような話なのだ。

そのように僕は怖がっている。

人にそういう僕の「心配」を話せば、サービス付き高齢者向け住宅へ入ればいいと言うかもしれない。仮に自己資金で入居するとすれば月々15万円くらいのお金が必要らしい。年金などを合わせると、ぎりぎりで払えるかもしれないが小遣いが無くなる。つまり、事実上生活保護で入居するのと同じになる。何のために何をやっているのかわからない。

もっとも僕のことだから、主治医から、いつまでもずっとこの病院に居ていいと言われれば病状が良くなって早期に退院出来るかもしれない。と言うより、まだ誰からも何も言われていないのに、大の運動嫌いの僕が今すでにみずから進んで毎日のようにウォーキングに励んでいる。つまり僕はそういう性分なのだ。

やれやれ。

篠田 将巳(しのだまさみ)
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