僕が精神病だった頃のこと

終末妄想

僕の場合、統合失調症という診断だが、現在のところの症状でいちばん影を落としているのは、いわゆる終末妄想かと思う。
今はまだ両親と妹が健在だが、そして3食昼寝付きの入院生活だが、それらが無くなれば、ひと言で言って路頭に迷い、命が危険に晒(さら)されるだろうということの恐怖だ。
僕はずっと死ぬまでこの病院に居たいのだ。ここに居さえすればとりあえず生きていられるという、まあ「甘え」かもしれないが。
そういう一連の将来に対する不安恐怖が、妄想となって心を占めることがすなわち僕の病状なのだ。
例えば僕は働いてお金を得るということが出来ないから、将来は生活保護を受けるようになって不自由になるのだと、ついこの間まで思い込んでいた。ところが、去年母の姉である配偶者も子供もない伯母が、ひと財産を残して亡くなり、母の元に多額の相続財産が入って、85歳の母は、僕と妹に結構な額のお金をこれから毎年贈与してくれるという「ウルトラC」の意向で、僕は将来そう簡単には生活保護受給者にはなりそうになくなったのだ。
まあ、ひとつの「終末妄想」の要素が無くなった。
お金と言えば、現在の障害等級1級で障害基礎年金も1級が受給出来て、東京都民の僕は医療費が無料のいわゆるマル障が適用になるので、あとは今の病院にずっと居られさえすれば、僕の病状の一部が消失するかもしれない。
しかしながらそう甘くはないだろう。
病気が治れば、いつまでも病院に居られるはずがない。そして病院に居られなくなれば、生活力の無い僕は病状が悪化するという、鶏と卵のような話なのだ。

そのように僕は怖がっている。

人にそういう僕の「心配」を話せば、サービス付き高齢者向け住宅へ入ればいいと言うかもしれない。仮に自己資金で入居するとすれば月々15万円くらいのお金が必要らしい。年金などを合わせると、ぎりぎりで払えるかもしれないが小遣いが無くなる。つまり、事実上生活保護で入居するのと同じになる。何のために何をやっているのかわからない。

もっとも僕のことだから、主治医から、いつまでもずっとこの病院に居ていいと言われれば病状が良くなって早期に退院出来るかもしれない。と言うより、まだ誰からも何も言われていないのに、大の運動嫌いの僕が今すでにみずから進んで毎日のようにウォーキングに励んでいる。つまり僕はそういう性分なのだ。

やれやれ。

篠田 将巳(しのだまさみ)
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