てつんどの独り言 その2

第三章( 8 / 19 )

白磁・青磁の逸品との再会

 

 

 ミッドタウンのサントリー美術館で素晴らしい展覧会を見てきた。

 

  大阪市立東洋陶磁器美術館が改修工事のために閉館中。おかげで、東京のど真ん中で、安宅コレクションを中心とする「東洋陶磁器の美」展が開かれたのだ。

 

  大阪にも2回ほど見に行っているから、初めてではない物も多くあった。でも、やはり素晴らし物は何度見ても素晴らしい。

 

  実は、最初にこの流れの美術展に出くわしたのは、1960年代の初めに東京上野の国立博物館で行われた「東洋陶磁器美術展」まで遡る。その時に受けた印象が、今回、確かなものとして僕自身で再確認できた。とにかくすごい展覧会だ。

 

  何がすごいかというと、東洋の陶磁器の概観が浮き彫りになるからだ。

 

 つまり、作品の質、緊張感、他との比較での順位、正当性、インチキ性、洗練度、オリジナリティ、真似ごと、などが一目瞭然と体感できるからだ。これが僕にとっては、2回目の体験だから、間違いはないと確信している。

 

  今回は、日本のものとしては例外的に唯一、信楽の大壺出ていたが、そのほかは日本のものは全く出ていなかった。しかし確信はゆらがない。

 

 前回同様、今回も確信したのは、東洋陶磁器の順位づけとしては、間違いなく次の順序だ。

 

  1.朝鮮の青磁から白磁

  2.中国の青磁・白磁

  3.日本の陶磁器

 

  今回は、日本のものは一点だけだったので、自分の中の日本の陶磁器の記憶・印象を引き出したものだ。

 

  何の順位かというと、上にあげた作品の質による順位づけだ。

 

  中国のものにも悪くはないが、どちらかというと、武骨で美しくない。唐三彩とか、磁器とか、技術的な貢献は大だけれど作品が美しくはない。心に響いてこないのだ。作者の気持ちが、僕に伝わっては来ないのだ。例外は「飛青磁花生」ほか数点だった。

 

  時代が下がって、ヨローッパを意識し始めた景徳鎮にでもなったら、もうこれは商品でしかない。

 

 その点、朝鮮の青磁から白磁への時代を代表する15~8世紀の作品に接すると、そこには、美しさと、僕自身に語りかける作者の緊張感と、人間の手による「作る人」が現れていて、見る人を魅了する。

 

  技術的には、中国で始まり、朝鮮で磨かれ、それが日本にわたってきたわけだが、技術に磨きがかけられたのは、間違いなく朝鮮だ。しかも、もとは雑器だったのだから、素直な姿がより透けて見える。飾りが皆無だ。

 

  日本のものは、今回見られなかったが、僕の知っている限り、朝鮮を超えるものはない。どちらかというと、真似ごとにしか見えない。

 

  唐津、有田をはじめ、九谷、志野なども、どう見ても、作者の「ちょっと、これでどうだ」という心が臭い出してきていやになる。これは茶道具として、もてはやされた特徴が透けて見えてくる。緊張感などみじんもない。

 

  結果としては、われわれ日本人は、つまらない真似事の陶磁器に惑わされているというわけだ。

 

  朝鮮の磁器で、心を打ったものをいくつか厳選してあげると、次のようなものが浮かび上がってくる。

 

  一番は、何と言っても「青花窓絵草花文面取壺」だろう。

 

0.241青花絵窓草花文面取壺 軽.jpg

 

 

 <写真>

 

   何度か見ているのだが、僕の頭の中ではもう少し小ぶりだと思っていたが、どう

  して、大きなものだった。面取りが美しい。形が美しい。

   そして新たな発見もあった。僕は、ずっと楕円形の壺を記憶していたのだ 

  が、今回見ると、真円だ。これにはびっくりした。温かみと一緒に緊張感がみな 

  ぎっている。

 

二番目は、白磁の「白磁大壺」だろう。

 

0.242白磁志賀直哉蔵軽.jpg

 

<写真>

 

  壊されるという不幸にあっているが、ゆたかな、ゆったりとした存在感は偉大。

  こんなのを、自分の部屋にでもいておけたら、素晴らしいと思う。

 

  三番目は、「青花草花文面取瓶」だろう。

 

0.243青花草花文面取瓶.jpg

 

  <写真>

 

   見たらわかるとおり、面取りといい、染付といい、簡素で、しかし緊張感に満ちている。

 

ひとつ今回、おもしろい発見をした。

 

  こうした磁器の壺の世界に、物語性を持ったものを発見したのだ。それは「青い花虎鵲文壺」

 

 カササギガ飛んできて、木に止まり、虎(僕には猫に見えた)に話しかけ、ねこ 

 (虎)は、カササギの話を聞いて体を長~~~くして歩み去る。楽しかった。

 

  安宅の二代目から、伊藤忠、そして住友グループの思慮深い取扱いを受けて、あちこちに散らかることなく、素晴らしいコレクションを、そのまま大阪市に寄贈されたことは尊敬に値する。大阪人も商売、商売で、金もってこい!だけではではないようだ。

 

 ゆたかな気持ちになって、ミッドタウンを出た僕は、その後、三日程、画集をくりながら幸せだった。

 

P.S.

使用した絵は、展覧会で購入した絵葉書をスキャンしたものです。

 

0.244東洋陶磁器の美.jpg

 

<全体像>

 

第三章( 9 / 19 )

「フレンチの侍」の読後感

 

こんなに集中して本を読むのは久しぶり。

 

マイケル・ポランニーの「暗黙知の次元」を3月に読んで以来初めてだ。

 

たいていは本を買ってきても、ドッーと読み進むってことはあまりない。何ページか読んで、そこで止まることが多い。そして、僕の本でなくなってしまうことも多い。ちょっと時間が経って、再び読み始めることはあるけど、まれだ。

 

この「フレンチの侍」は、著者・市川さんの身内、Oさんにもらった本。結構集中して読み終えた。Oさんから貰わなければ、決して読まなかった本だった。フランス料理のシェフの書いた本で、僕が自分で買うとは思えない本。でも、面白かった。

 

フレンチのシェフが、フランスで修業して自分のフレンチを獲得するまでの、自叙伝的な物語だ。

 

今、このシェフは現座で、「シェ・トモ」という、誰でも楽しめるフレンチの店を開いていて、結構人気のようだ。

 

読んでみると、一人の人間が、自分のやりたいことをやり遂げたというドキュメンタリーとして読んだ気がする。

 

2.0フレンチの侍.JPG

 

<「フレンチの侍」市川知志著 朝日新聞社発行(2013・1・30出版)>

 

読んでいる間に、次のような、いろんな疑問が出てきたが、最終的にはそれが解け、そして僕の感想が残った。

 

・読んでいる間、ずっと著者は誰のために書いているのか? シェフ自身のため? 他の人の為? という疑問が付きまとっていた。

 

・何のために読んでもらうのか? 楽しんでもらうためか? それとも後輩のためか? はたまた自分史として書き残しているのか?

 

・読んでみると、この本は、コックを含めた、全ての料理人、板さん、それを志す人たちに読んでもらいたいと僕自身が思うようになった。こうした体験が一人前の料理人として生きていけると思うからだ。

 

・最後のところに、著者の答えがあった。「一人でも多くの人にフランス料理を食べてもらう」という信念だったとのこと。

 

・どうやって、忙しいシェフが時間をみつけ、これだけの文章を書いたのだろうという疑問が、読んでいる間、ずっとあった。

 

・最後になって、彼の話を聞いて、原稿に仕立てたライターがいたのだと分かった。キレのいい、勢いのある良い文章だなぁ…という感嘆していた疑問は最後に解けた。ライターがいたとはいえ、市川さんの話から、自己体験をして、自分のものとして文章を書いた畑中三応子さんの腕は確かだ。

 

・僕、個人としては、ポール・ボキューズが言ったという「進化を止めることに決めたんだよ」が、一番深い意味合いの言葉に受け取れた。果てしなく進化する尖がったフランス料理の未来を心配しての言葉である。

 

・同じく、デクパージュ(切り分け料理)の懐かしさと、それが食べるものにとっての素晴らしい楽しみだったと思いだした。料理、そのものだけでは無い、食事の楽しさを演出してくれると信じている。

 

偶然とはいえ、そんな本に出会ったのは幸せだった。

 

若い、フレンチとはいわず、全ての料理人、もしくはそれを夢見ている人たちに読んでもらいたいと思う料理人の基本の心が書いてあった。

 

レストラン「シェ・トモ」を開いているようだから、折があったら訪ねて、彼の料理を堪能してみたいと思っている。ただ、そんな時間がいつ来るかはわからない。何しろ、何か月も先まで、予約でいっぱいだという話だ。そんな落ちつかない食事はしたくもないし…。

 

シェフという職人を志す人、料理を作るのが好きな人、フレンチが好きな人は一読されることをお勧めする。

第三章( 10 / 19 )

プーシキン美術館展

 

 先日、横浜美術館で見て きたモスクワにある「国立プーシキン美術館」の展覧会で思ったこと。

 

猛暑の中の突然の鑑賞だった。

 

5.プーシキン.jpg

 

<写真>

 

この展覧会は見逃してはならないと、どこかで行っておこうとは思っていた。会期は9月の中旬までだから、9月になると混むだろうとも考えていた。かといって、35℃に近い8月にわざわざ出かける勇気もないなぁ…と迷っていた。

 

その日、洋光台へ出かける用事があって、首都高・湾岸線でプジョウを走らせていた。三溪園を見ながら運転していて、車の中はエアコンが効いているから、みなとみらいで電車を降りて、てくてく歩いていくより車の方が楽かも…と思いついた。あとは、行く時間という物理的な問題。

 

幸い、洋光台での用事は簡単に終わって、久しぶりに長崎ちゃんぽんを昼食にと、リンガーハットに入った。店はガラガラ。何だか一番乗りのようだ。時間は11時15分くらい。もしかすると、展覧会も、展覧会場への道も昼休みにかさなるから一番空いているかも…。12時過ぎには横浜美術館に入れるかもと思った。だったら、ラッキー。

 

定番のちゃんぽんとギョーザを食べ終わったら、11時40分。今日、車で行こうと決めた。

 

久しぶりに本牧、山下公園、県庁前を走って、みなとみらいの美術館に着いたのが、12時20分くらいだったろうか。車で行ったことがない横浜美術館だったけれど、ランドマークタワーの近くにサインを見つけて、楽勝。幸い、駐車場は満杯ではなかった。

 

でも、想像しないことが起きた。地下の駐車場から地上階に上がってきたら、熱風吹きすさぶ美術館の左の端っこのウイングに出てしまった。てっきり、駐車場からエレベーターで上がれば、美術館のエントランスと思い込んでいたのが外れた。まぁ、直接太陽の下を歩く必要はなかったので、心臓君にガンバと言いながら、エントランスへ。

 

昔から、ロシア帝国はフランスに強いあこがれを持っていた。その証に、ロシアの宮廷では公用語はフランス語だったと聞いたことがあるくらいだ。エカテリーナ二世を中心として、ロシアの貴族はフランス絵画にぞっこんだったわけだ。

 

16世紀から20世紀にわたる300年の、選りすぐりのフランス絵画を見ることができる展覧会だ。会場がいつものようにごった返しているかと心配しながら入っていくと、人は多いけれど、まぁなんとかなる程度。

 

いつもこういう展覧会に行くと、嫌なことが一つある。いや一つが、その悪い影響で、二つの嫌なことに化ける。それは、音声ガイドというやつ。大嫌いだ。今回も、とうして聞くと3040分くらいのガイドを貸し出している。水谷豊のナレーションというふれこみもある。利用者が多い。

 

このガイドを聞いている人は、まじめなのか、全ての絵を見なければ損だと思っているのか、ガイドに従って従順に、順々に、順路通りに進んでいく。これはたまらない。追い越し禁止ではないにしても、手摺にぴったり張り付いて、作品から作品に移り、まじめにガイドを聴いて、聞き終えたらおもむろに次に進む。

 

僕はせっかちなせいもあって、そんなまどろっこしいことはできないし、やったことがない。自分の感覚に従って、ドンドンすっ飛ばすところはすっ飛ばす。ピクリときた作品があれば、そこで止まる。そして、絵を見る。

 

人の流れは手摺に張り付いて流れるから、まず時間がかかる。さらに、音声ガイドを聴き終るまで、その人はその絵の前で立ち続ける。だから、後ろから絵全体を見ようとしても、見ることができない。僕はだいたい日本人の平均の伸長(175cm)だから、絵の全体が見えなくて、部分的に切れた絵を見ることになる。これが二つ目の嫌な現象。

 

ドンドン、自分の感性を信じて、見ていけばいいのにと思うのが、そうもいかないようだ。ヨーロッパでは、見ている人が、自分の立ち位置が他の人が絵を見る妨げになっていると気がついたら、後に引いて、絵全体が見える位置で鑑賞している。しかし、そういうことは日本では期待できない。

 

僕は、爪先立ったり、伸び上がったりしながら、品定めをして、ピンときたら、絵全体が見えるところまで近づいていく。しかし、必ず、絵の下の部分は人陰に隠れて、見ることはできない。仕方がない、その部分が見えるまで待つか…。

 

展覧会としては、点数も70点弱でちょうどいい。結果として、僕に足を止めさせたのは25点。どうしても、19世紀後半からの作品になる。

 

コロー、ミレーに始まって、マネ、モネ、ルノワールと続く。もともと僕はモネが大好きだから外せない。そしてこの展覧会の目玉、ルノワールのジャンヌの肖像となる。僕はルノワールが、あまり好きではない。シャープさに欠けるのだ。でも、このジャンヌの肖像はよかった。過度の色は無く、女性の柔らかさ、優しさがにじみ出ているやさしいかわいらしい娘さんだった。

 

後は、ドガ、ロートレック、セザンヌときて、一気にマティス、ピカソ、マリーローランサンとなる。こういう時は、人をかき分け…ではないけれど、絵、全体が見える位置を探す。前に出たり、引いたりと位置をずらして、憎っくきシルエットの黒い人影を避けるわけだ。

 

僕は、ゴッホもゴーギャンも僕の趣味ではないから、ドンドン飛ばす。ゴーギャンの「働くなかれ」の題目にはなるほどと感心した。

 

後は僕の大好きなシャガール。あまりよくなかったけれど、敬意を表しておしまいだ。

 

日本の観客は、もっと自分の直感を信じて、自由に絵を見ればいいのにと、もうせん東京芸大のフェルメール展で感じたことを、再び思い出した。

 

午後1時半前には、美術館を出て車を転がしていた。僕にとって、楽しかった展覧会だったことは間違いない。

 

脳梗塞で倒れてリハビリ中の親友に送るため、ジャンヌの肖像の絵葉書を買った。

第三章( 11 / 19 )

エッセイ本について

 

エッセイを書いているから、優秀なエッセイとはどんなものだろうかと、古本屋で「ベスト・エッセイクラブ編」のエッセイ、3冊を見つけて読んでみた。

 

6.1エッセイ本3冊.jpg

 

<写真>

 

1.‘93年版ベスト・エッセイ集「中くらいの妻」

 

        92年中に発表された4000エッセイ(応募もふくむ)のうち、

   ベストとして選ばれた62エッセイ 318

        選考者:佐野寧、高橋思敬、十返千鶴子、土方正巳、村尾清一の5

 

        代表的4編(全4章の各章の最後のエッセイで、各章の名前になってる作品)

                   「北京の怪」阿川弘之、「笑わせてくだされ」秦恒平、

                   「勲章について」城山三郎、「中くらいの妻」井口泰子

 

2.‘95年版ベスト・エッセイ集「お父っつあんの冒険」

 

        94年中に発表された400エッセイ(応募もふくむ)のうち、

   ベストとして選ばれた62エッセイ 318

        選考者:’93年と同じ、佐野寧、高橋思敬、十返千鶴子、土方正巳、

        村尾清一の5

       

        代表的4編(全4章の各章の最後のエッセイで、章の名前と同じ名の作品)

                   「まぼろしの猫」氷室冴子、「ワシントンと入れ歯」笠原浩、

                   「演歌の効き目」村井靖児、「お父っつあんの冒険」荻野アンナ

 

3.‘99年版ベスト・エッセイ集「木炭日和」

 

        98年中に発表された4000エッセイ(応募もふくむ)のうち、

   ベストとして選ばれた62エッセイ 318

        選考者:轡田隆史、佐野寧、十返千鶴子、深谷憲一、村尾清一の5

 

        代表的4作品(全4章の各章の最後のエッセイで、章の名前となっている作品)

                   「収容バスとの競走」斎藤博明、「遠い日へのレクイエム」神坂次郎、

                   「鳥たちの「失楽園」」山岸哲、「木炭日和」村田喜代子

 

 この3冊、合計186編を、僕はだいたい一か月くらいで読み終えた。

 

 そこでちょっと変な体験をしたので、それを報告したい。

 

 3冊を読み終えて、今思い返すと、何一つ印象に残っていないのだ。僕の年齢が、記憶をあいまいにする時期に来ていることは残念ながら否定できないが、それにしても、いい作品だ、これはすごいというものが一切、印象に残っていないのだ。読み返してみようというエッセイの記憶がないのだ。

 

93年版では、著者の分布をみると、ざっと次の通りだ。

 

・作家(ノンフィクション、シナリオを含む)        21

・エッセイスト                                                       5

・大学教授                                                             8

・各界の著名人                                                      12

・演劇関係者                                                          3

・文学者                                                                3

・新聞記者                                                             2

・評論家                                                                2

・メディア関係者                                                    2

・医者                                                                   1

・音楽関係者                                                          1

・主婦                                                                   2

 

このなかには僕の好きな、妹尾河童さんや、半藤一利さんなんかも含まれている。

 

何故、個別の印象が残らないんだろうと考えた時、フッと頭に浮かんだのは、エッセイって、こんな風に一つの本にして、次から次へと読み進んでくものではないのかもしれない、という思いだった。

 

こんな読みかたをしてはいけないジャンルなのかも…という発見だった。

 

時間の間隙があって、それは仕事でも、他の作品でも、食事でも、旅行でも、不連続な時間をおいて、次を読むものではないかということだ。

 

これらのエッセイたちは、一つ一つ、個別に吟味してみれば、自己主張があって、印象深いのではなかろうかと思う。一つ一つを、読み終えたら、ゆっくり味わってみるべきだったのだろう。

 

そんな不連続の時間の中でなく、僕は次から次へと読み進んでいき、それによって、一つ一つが持っていた特異の色が、匂いが、思いでが、主張が、みんなまぜこぜになってしまって、絵の具でいえば、限りなく灰色に近づいて行ったのではないかと思うわけだ。結果として鮮明に残らないという仮説だ。

 

たとえて言うと、教室の黒板にチョークで文字を書いて、一つのことが伝えられる。すぐ後に、黒板拭きで、それらの文字を消して、新しい事象を書いて、授業が進んでいくのを思い浮かべてほしい。

 

この黒板拭きで、前の文字、絵が完全には消えないままで、新しい言葉とか図が書き込まれたら、見ている学生の頭の中には、完全な間隙は無く、次の事象に頭が動いていく。こんな感じだ。どこかで、ミックス・アップしてしまう傾向が頭にはあるようだ。

 

こうしたことから言えば、多くの種類の著者がミックスした本は、一気に読み進んではいけないということを学んだわけだ。

 

実は、灰色感の現象は、他の本でも同時に起きたことでもある。

 

この3冊を読み進んでいる間に、並行して、全く別のエッセイ本を読む必要があった。

 

それは、毎日新聞の夕刊の「しあわせ食堂」に連載された、昭和の味の思い出を書いたエッセイ50篇をまとめた本。50名の有名な人たちが、戦後の苦しい時代に味わった食糧難の時代の献立を懐かしく思い出しながら、綴ったエッセイだ。

 

これも、一つ一つ、時間の間隔をあけて読めば、自分の記憶とてらし合せて、懐かしく読めたのだろうと思う。

 

しかし、50篇のエッセイをどんどん、ページを繰りながら、本として次から次へと読んでしまうと、妹尾河童さんや、水木しげるさん、千弦室さん、田崎信也さんなどの、個別には美しいエッセイが、結果として、ないまぜになって、何も残らなかったのだ。戦後の食糧事情はみんな大変だったんだなぁ…なんて、つまんない感想が残るだけになってしまった。

 

一方、同じ作家が描いた複数のエッセイはどんどんまとめて読み進むと、さっきとは逆に、その人の色が、思考のパターンがより鮮明になる。ミックス・アップしないのだ。一人の人の書いたエッセイ本は、全体でも、明確に残るものがある。

 

皆さんも、こんな風なことを考えながら、エッセイを読んで、感じてみてはいかがでしょう。

 

 

P.S.

一つ学んだことは、長いエッセイは読みにくいということ。

最初の3冊は、一編、平均3600字≒400字の原稿で9枚。

後の「しあわせ食堂」は、一編、1000字ちょっと≒400字の原稿で2.枚半強。

こんなデータが手元に残った。

 

ちなみに、今読んでいただいた、このエッセイは200字で僕にしては、ちょっと長い。でもデータ部分の900字を差っ引くと、1500字。まぁ許されるかな。

僕は、長くても2000字以内と決めている。

徳山てつんど
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