こんなに集中して本を読むのは久しぶり。
マイケル・ポランニーの「暗黙知の次元」を3月に読んで以来初めてだ。
たいていは本を買ってきても、ドッーと読み進むってことはあまりない。何ページか読んで、そこで止まることが多い。そして、僕の本でなくなってしまうことも多い。ちょっと時間が経って、再び読み始めることはあるけど、まれだ。
この「フレンチの侍」は、著者・市川さんの身内、Oさんにもらった本。結構集中して読み終えた。Oさんから貰わなければ、決して読まなかった本だった。フランス料理のシェフの書いた本で、僕が自分で買うとは思えない本。でも、面白かった。
フレンチのシェフが、フランスで修業して自分のフレンチを獲得するまでの、自叙伝的な物語だ。
今、このシェフは現座で、「シェ・トモ」という、誰でも楽しめるフレンチの店を開いていて、結構人気のようだ。
読んでみると、一人の人間が、自分のやりたいことをやり遂げたというドキュメンタリーとして読んだ気がする。
<「フレンチの侍」市川知志著 朝日新聞社発行(2013・1・30出版)>
読んでいる間に、次のような、いろんな疑問が出てきたが、最終的にはそれが解け、そして僕の感想が残った。
・読んでいる間、ずっと著者は誰のために書いているのか? シェフ自身のため? 他の人の為? という疑問が付きまとっていた。
・何のために読んでもらうのか? 楽しんでもらうためか? それとも後輩のためか? はたまた自分史として書き残しているのか?
・読んでみると、この本は、コックを含めた、全ての料理人、板さん、それを志す人たちに読んでもらいたいと僕自身が思うようになった。こうした体験が一人前の料理人として生きていけると思うからだ。
・最後のところに、著者の答えがあった。「一人でも多くの人にフランス料理を食べてもらう」という信念だったとのこと。
・どうやって、忙しいシェフが時間をみつけ、これだけの文章を書いたのだろうという疑問が、読んでいる間、ずっとあった。
・最後になって、彼の話を聞いて、原稿に仕立てたライターがいたのだと分かった。キレのいい、勢いのある良い文章だなぁ…という感嘆していた疑問は最後に解けた。ライターがいたとはいえ、市川さんの話から、自己体験をして、自分のものとして文章を書いた畑中三応子さんの腕は確かだ。
・僕、個人としては、ポール・ボキューズが言ったという「進化を止めることに決めたんだよ」が、一番深い意味合いの言葉に受け取れた。果てしなく進化する尖がったフランス料理の未来を心配しての言葉である。
・同じく、デクパージュ(切り分け料理)の懐かしさと、それが食べるものにとっての素晴らしい楽しみだったと思いだした。料理、そのものだけでは無い、食事の楽しさを演出してくれると信じている。
偶然とはいえ、そんな本に出会ったのは幸せだった。
若い、フレンチとはいわず、全ての料理人、もしくはそれを夢見ている人たちに読んでもらいたいと思う料理人の基本の心が書いてあった。
レストラン「シェ・トモ」を開いているようだから、折があったら訪ねて、彼の料理を堪能してみたいと思っている。ただ、そんな時間がいつ来るかはわからない。何しろ、何か月も先まで、予約でいっぱいだという話だ。そんな落ちつかない食事はしたくもないし…。
シェフという職人を志す人、料理を作るのが好きな人、フレンチが好きな人は一読されることをお勧めする。
先日、横浜美術館で見て きたモスクワにある「国立プーシキン美術館」の展覧会で思ったこと。
猛暑の中の突然の鑑賞だった。
<写真>
この展覧会は見逃してはならないと、どこかで行っておこうとは思っていた。会期は9月の中旬までだから、9月になると混むだろうとも考えていた。かといって、35℃に近い8月にわざわざ出かける勇気もないなぁ…と迷っていた。
その日、洋光台へ出かける用事があって、首都高・湾岸線でプジョウを走らせていた。三溪園を見ながら運転していて、車の中はエアコンが効いているから、みなとみらいで電車を降りて、てくてく歩いていくより車の方が楽かも…と思いついた。あとは、行く時間という物理的な問題。
幸い、洋光台での用事は簡単に終わって、久しぶりに長崎ちゃんぽんを昼食にと、リンガーハットに入った。店はガラガラ。何だか一番乗りのようだ。時間は11時15分くらい。もしかすると、展覧会も、展覧会場への道も昼休みにかさなるから一番空いているかも…。12時過ぎには横浜美術館に入れるかもと思った。だったら、ラッキー。
定番のちゃんぽんとギョーザを食べ終わったら、11時40分。今日、車で行こうと決めた。
久しぶりに本牧、山下公園、県庁前を走って、みなとみらいの美術館に着いたのが、12時20分くらいだったろうか。車で行ったことがない横浜美術館だったけれど、ランドマークタワーの近くにサインを見つけて、楽勝。幸い、駐車場は満杯ではなかった。
でも、想像しないことが起きた。地下の駐車場から地上階に上がってきたら、熱風吹きすさぶ美術館の左の端っこのウイングに出てしまった。てっきり、駐車場からエレベーターで上がれば、美術館のエントランスと思い込んでいたのが外れた。まぁ、直接太陽の下を歩く必要はなかったので、心臓君にガンバと言いながら、エントランスへ。
昔から、ロシア帝国はフランスに強いあこがれを持っていた。その証に、ロシアの宮廷では公用語はフランス語だったと聞いたことがあるくらいだ。エカテリーナ二世を中心として、ロシアの貴族はフランス絵画にぞっこんだったわけだ。
16世紀から20世紀にわたる300年の、選りすぐりのフランス絵画を見ることができる展覧会だ。会場がいつものようにごった返しているかと心配しながら入っていくと、人は多いけれど、まぁなんとかなる程度。
いつもこういう展覧会に行くと、嫌なことが一つある。いや一つが、その悪い影響で、二つの嫌なことに化ける。それは、音声ガイドというやつ。大嫌いだ。今回も、とうして聞くと30~40分くらいのガイドを貸し出している。水谷豊のナレーションというふれこみもある。利用者が多い。
このガイドを聞いている人は、まじめなのか、全ての絵を見なければ損だと思っているのか、ガイドに従って従順に、順々に、順路通りに進んでいく。これはたまらない。追い越し禁止ではないにしても、手摺にぴったり張り付いて、作品から作品に移り、まじめにガイドを聴いて、聞き終えたらおもむろに次に進む。
僕はせっかちなせいもあって、そんなまどろっこしいことはできないし、やったことがない。自分の感覚に従って、ドンドンすっ飛ばすところはすっ飛ばす。ピクリときた作品があれば、そこで止まる。そして、絵を見る。
人の流れは手摺に張り付いて流れるから、まず時間がかかる。さらに、音声ガイドを聴き終るまで、その人はその絵の前で立ち続ける。だから、後ろから絵全体を見ようとしても、見ることができない。僕はだいたい日本人の平均の伸長(175cm)だから、絵の全体が見えなくて、部分的に切れた絵を見ることになる。これが二つ目の嫌な現象。
ドンドン、自分の感性を信じて、見ていけばいいのにと思うのが、そうもいかないようだ。ヨーロッパでは、見ている人が、自分の立ち位置が他の人が絵を見る妨げになっていると気がついたら、後に引いて、絵全体が見える位置で鑑賞している。しかし、そういうことは日本では期待できない。
僕は、爪先立ったり、伸び上がったりしながら、品定めをして、ピンときたら、絵全体が見えるところまで近づいていく。しかし、必ず、絵の下の部分は人陰に隠れて、見ることはできない。仕方がない、その部分が見えるまで待つか…。
展覧会としては、点数も70点弱でちょうどいい。結果として、僕に足を止めさせたのは25点。どうしても、19世紀後半からの作品になる。
コロー、ミレーに始まって、マネ、モネ、ルノワールと続く。もともと僕はモネが大好きだから外せない。そしてこの展覧会の目玉、ルノワールのジャンヌの肖像となる。僕はルノワールが、あまり好きではない。シャープさに欠けるのだ。でも、このジャンヌの肖像はよかった。過度の色は無く、女性の柔らかさ、優しさがにじみ出ているやさしいかわいらしい娘さんだった。
後は、ドガ、ロートレック、セザンヌときて、一気にマティス、ピカソ、マリーローランサンとなる。こういう時は、人をかき分け…ではないけれど、絵、全体が見える位置を探す。前に出たり、引いたりと位置をずらして、憎っくきシルエットの黒い人影を避けるわけだ。
僕は、ゴッホもゴーギャンも僕の趣味ではないから、ドンドン飛ばす。ゴーギャンの「働くなかれ」の題目にはなるほどと感心した。
後は僕の大好きなシャガール。あまりよくなかったけれど、敬意を表しておしまいだ。
日本の観客は、もっと自分の直感を信じて、自由に絵を見ればいいのにと、もうせん東京芸大のフェルメール展で感じたことを、再び思い出した。
午後1時半前には、美術館を出て車を転がしていた。僕にとって、楽しかった展覧会だったことは間違いない。
脳梗塞で倒れてリハビリ中の親友に送るため、ジャンヌの肖像の絵葉書を買った。
エッセイを書いているから、優秀なエッセイとはどんなものだろうかと、古本屋で「ベスト・エッセイクラブ編」のエッセイ、3冊を見つけて読んでみた。
<写真>
1.‘93年版ベスト・エッセイ集「中くらいの妻」
92年中に発表された4000エッセイ(応募もふくむ)のうち、
ベストとして選ばれた62エッセイ 318頁
選考者:佐野寧、高橋思敬、十返千鶴子、土方正巳、村尾清一の5氏
代表的4編(全4章の各章の最後のエッセイで、各章の名前になってる作品)
「北京の怪」阿川弘之、「笑わせてくだされ」秦恒平、
「勲章について」城山三郎、「中くらいの妻」井口泰子
2.‘95年版ベスト・エッセイ集「お父っつあんの冒険」
94年中に発表された4200エッセイ(応募もふくむ)のうち、
ベストとして選ばれた62エッセイ 318頁
選考者:’93年と同じ、佐野寧、高橋思敬、十返千鶴子、土方正巳、
村尾清一の5氏
代表的4編(全4章の各章の最後のエッセイで、章の名前と同じ名の作品)
「まぼろしの猫」氷室冴子、「ワシントンと入れ歯」笠原浩、
「演歌の効き目」村井靖児、「お父っつあんの冒険」荻野アンナ
3.‘99年版ベスト・エッセイ集「木炭日和」
98年中に発表された4000エッセイ(応募もふくむ)のうち、
ベストとして選ばれた62エッセイ 318頁
選考者:轡田隆史、佐野寧、十返千鶴子、深谷憲一、村尾清一の5氏
代表的4作品(全4章の各章の最後のエッセイで、章の名前となっている作品)
「収容バスとの競走」斎藤博明、「遠い日へのレクイエム」神坂次郎、
「鳥たちの「失楽園」」山岸哲、「木炭日和」村田喜代子
この3冊、合計186編を、僕はだいたい一か月くらいで読み終えた。
そこでちょっと変な体験をしたので、それを報告したい。
3冊を読み終えて、今思い返すと、何一つ印象に残っていないのだ。僕の年齢が、記憶をあいまいにする時期に来ていることは残念ながら否定できないが、それにしても、いい作品だ、これはすごいというものが一切、印象に残っていないのだ。読み返してみようというエッセイの記憶がないのだ。
93年版では、著者の分布をみると、ざっと次の通りだ。
・作家(ノンフィクション、シナリオを含む) 21
・エッセイスト 5
・大学教授 8
・各界の著名人 12
・演劇関係者 3
・文学者 3
・新聞記者 2
・評論家 2
・メディア関係者 2
・医者 1
・音楽関係者 1
・主婦 2
このなかには僕の好きな、妹尾河童さんや、半藤一利さんなんかも含まれている。
何故、個別の印象が残らないんだろうと考えた時、フッと頭に浮かんだのは、エッセイって、こんな風に一つの本にして、次から次へと読み進んでくものではないのかもしれない、という思いだった。
こんな読みかたをしてはいけないジャンルなのかも…という発見だった。
時間の間隙があって、それは仕事でも、他の作品でも、食事でも、旅行でも、不連続な時間をおいて、次を読むものではないかということだ。
これらのエッセイたちは、一つ一つ、個別に吟味してみれば、自己主張があって、印象深いのではなかろうかと思う。一つ一つを、読み終えたら、ゆっくり味わってみるべきだったのだろう。
そんな不連続の時間の中でなく、僕は次から次へと読み進んでいき、それによって、一つ一つが持っていた特異の色が、匂いが、思いでが、主張が、みんなまぜこぜになってしまって、絵の具でいえば、限りなく灰色に近づいて行ったのではないかと思うわけだ。結果として鮮明に残らないという仮説だ。
たとえて言うと、教室の黒板にチョークで文字を書いて、一つのことが伝えられる。すぐ後に、黒板拭きで、それらの文字を消して、新しい事象を書いて、授業が進んでいくのを思い浮かべてほしい。
この黒板拭きで、前の文字、絵が完全には消えないままで、新しい言葉とか図が書き込まれたら、見ている学生の頭の中には、完全な間隙は無く、次の事象に頭が動いていく。こんな感じだ。どこかで、ミックス・アップしてしまう傾向が頭にはあるようだ。
こうしたことから言えば、多くの種類の著者がミックスした本は、一気に読み進んではいけないということを学んだわけだ。
実は、灰色感の現象は、他の本でも同時に起きたことでもある。
この3冊を読み進んでいる間に、並行して、全く別のエッセイ本を読む必要があった。
それは、毎日新聞の夕刊の「しあわせ食堂」に連載された、昭和の味の思い出を書いたエッセイ50篇をまとめた本。50名の有名な人たちが、戦後の苦しい時代に味わった食糧難の時代の献立を懐かしく思い出しながら、綴ったエッセイだ。
これも、一つ一つ、時間の間隔をあけて読めば、自分の記憶とてらし合せて、懐かしく読めたのだろうと思う。
しかし、50篇のエッセイをどんどん、ページを繰りながら、本として次から次へと読んでしまうと、妹尾河童さんや、水木しげるさん、千弦室さん、田崎信也さんなどの、個別には美しいエッセイが、結果として、ないまぜになって、何も残らなかったのだ。戦後の食糧事情はみんな大変だったんだなぁ…なんて、つまんない感想が残るだけになってしまった。
一方、同じ作家が描いた複数のエッセイはどんどんまとめて読み進むと、さっきとは逆に、その人の色が、思考のパターンがより鮮明になる。ミックス・アップしないのだ。一人の人の書いたエッセイ本は、全体でも、明確に残るものがある。
皆さんも、こんな風なことを考えながら、エッセイを読んで、感じてみてはいかがでしょう。
P.S.
一つ学んだことは、長いエッセイは読みにくいということ。
最初の3冊は、一編、平均3、600字≒400字の原稿で9枚。
後の「しあわせ食堂」は、一編、1、000字ちょっと≒400字の原稿で2.枚半強。
こんなデータが手元に残った。
ちなみに、今読んでいただいた、このエッセイは2400字で僕にしては、ちょっと長い。でもデータ部分の900字を差っ引くと、1500字。まぁ許されるかな。
僕は、長くても2、000字以内と決めている。
2001年のイタリア年から始まったこの映画祭、毎回楽しみにして見ている。今年は昨年の作品選びの教訓から、最初からコメディーを選んで見てきた。
作品:
『ようこそ、大統領!』:原題:Benvenuto Presidente ! 2013年制作
監督:リッカルド・ミラーニ Riccardo Milani
主演は、コメディー映画の常連、クラウディオ・ビジオ。
<写真>
下記は、「イタリア映画祭2014」のブローシャーより抜粋。
抜粋の始まり
政治という題材を巧みに笑いに昇華させた痛快なヒット作。山奥の村で図書館員として働き、釣りを愛する中年のジュゼッペ・ガリバルディは、穏やかな生活を送っていた。
… 中略 …
偶然の一致でジュゼッペが大統領に選ばれてしまう。政治家たちは辞任を望むが、その期待を裏切り、ジュゼッペの快進撃が始まる。
抜粋の終わり
イタリアの政治の現状をシニカルに、またコミカルに描き出した映画で、上映中、会場全体に笑いが絶えない鑑賞になった。楽しかった。笑った。
物語を少し説明すると、
ジュゼッペ・ガリバルディという名前の人を、イタリア議会が大統領に指名したことから物語は始まる。イタリア全土に4人しか存在しないジュゼッペ。その一人、ピエモンテ州の田舎の村に住む50歳のジュゼッペ・ガリバルディがイタリアの大統領に選ばれてしまう。
愛称ペッピーノ。大統領にふさわしい人物ではないのは明らか。儀礼も知らず、法律も知らない一般の気の良い、陽気なおやじ。ローマ・クイリナーレ宮殿の大統領官邸に連れてこられ、副秘書官長の美女、ジャニスの叱咤激励を受けながら大統領の仕事に入り込んでいく。
彼は、常識的な日常感覚のある50歳の正直者。その人間味、素朴さが発揮されて、危機に瀕していたイタリア国の債務の処理を、ブラジル大統領や中国の主席と個人的な人間性を武器に親交を深め、解決。
一般的な国民の熱い支持を受けて、次々とリーダーシップを発揮して、問題を解決していく。同時に、イタリア人の男性らしく、美女のジャニスとの親交も同時進行で深まっていく。
国民の高い支持を受けて、悪を暴き、既成の政治家をとことんやっつける。
最終的には議会を解散し、自分も辞任する。その辞任演説で、「今の間違ったこの世界(イタリア)を子供たちに、このまま引き継いでいくのか」と国民に訴える。名演説だ。
引退してペッピーノとジャニスは結婚する。ジャニスのお腹にはもう子供がいる。ピエモンテの山の中の小さな村で結婚式を挙げたペッピーノに、電話がかかってくる。ヴァチカンかららしく、「法王」という言葉に、驚くペッピーノで映画は終る。
こんな物語から見えてくるのは、EUから国の財務状態を改善するように強制されているイタリア。多数の政党がが、入り乱れて、国としてのリーダーシップを取れる人がいないイタリアの政治の現実。素朴な良い人の国民たち。裏社会(マフィア)の存在も、汚れた政治もあり、政治的には閉塞感に満ちたイタリア。
しかし、人々は明るい。まさに一般人が、本当の改革をなすことが出来ると訴えかけているようだ。
監督が表現したかったのは、
・イタリアの政治の現状に対する強いアイロニー
・一般人が大統領を務めるという、想像できない事が起こるコメディー
・一般人も、これだけやればヴァチカンの法王にだってなれるというパロディー
・イタリア人のもつ素朴なヒューマニティー
だった…と受けとめた。
とにかく楽しい映画だった。チャンスがあれば、ご覧になることをお勧めします。
この映画祭を見ると、いつも思うのだけれど、劇画やアニメの日本の映画、暴力とサスペンスと、デズニーのアメリカ映画から距離を置いた、楽しい映画の世界があると。政治に対しても、喜劇性を持ち込んで注文をつけるアクティブなイタリア映画が、どっこい生きていると感じさせられた。羨ましい。