てつんどの独り言 その2

第三章( 7 / 19 )

イタリア映画「鉄道員」

 

 「午前10時の映画祭」で、懐かしい1956年のピエトロ・ジェルミ監督および主演の「鉄道員」を、おそらく40年ぶりくらいで見てきた。イタリア・ニューレアリズムの名作だったが、時間が経った今どう見えるのか楽しみだった。

 

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<鉄道員>

 

 結論は、「そうだったなぁ」というところで止まってしまった。昔、見たときの生きた感情が全く舞い戻っては来なかったのだ。どこで、だれと見たのかは覚えてはいないけれど、このモノクロの映画に、最初に見た時には感動したものだ。

 

 ラストシーンの「ブゥオンジョルノ シニョーラ」と言う声と、階段を駆け下りていく靴音、そして、朝の始業を告げる街に響くサイレンの野太い音、それが昔も、今回も心に残った。このシーンのバックグラウンド・ミュージックも定番でよく覚えていた。

 

 しかし、ストーリーには全く感動しなかった。筋を知っていたからかもしれない。でも、二度目に見ても感動する映画が存在するのは確認済みだから、何かが違っているのだろう。

 

 この映画は、小学生の息子、サンドロの視点から見たパパを中心とした回想の映画だ。この視点の設定も、当時は新鮮だったのかもしれない。

 

 あらすじは、50歳のイタリア国鉄の特急の運転士(ローマ~フィレンツェ、ミラノ間)の家の物語だ。娘のできちゃった婚と、その孫になる子の死産、長男のぐうたらな生活、貧しいけれどいたずら盛りで明るいサンドロ。そして、夫を優しく見守る妻、そして、たくさんの飲み友達。

 

 自分の運転する列車へ青年が飛び込み自殺をした。この衝撃を受けた直後、ボローニャ駅で赤信号を見落とし、あわや正面衝突の大惨事のところを急ブレーキで何とか逃れる。格下げされて、入れ替え用SLの機関士。収入も激減。しかも、組合のストを破って「スト破り」のレッテルを張られる。家に居付かず、酒場を転々として飲み過ぎて体を壊す。

 

 サンドロに見つけられ家に帰る。何か月か療養してクリスマス。機関士の親友が、たくさんのともだちを連れてやってくる。長男も娘も戻ってくれる。しかし、このパーティーの後、彼は自慢のギターを弾きながら、眠るように死んでいく。

 

 なんだ、そんなことって、人生にあるよなって思ったのかもしれない。それは僕が、同じように人生を長く生きてきたから、こんな出来事は当たり前になってしまって、感動しなかったのかもしれない。

 

 最初に見た時には、まだ若くて、いろんなことに対する感度が高く、アンドレアの人生の悲喜劇を、自分にもこれから起こる可能性のある、幸、不幸のように感じて、感情移入をしていたのかもしれない。

 

 しかし、今回は自己投影を見ていたのかもしれない。生きてきた人生を振り返れば、「人生ってそんなもんさ!」と、うそぶいている自分がいるのかもしれない。そうであれば、感動しないのはよくわかる気がする。

 

 端的に言うと、自分の感情に鈍感になってきているのかもしれない。

 

 客席は僕よりも少し年齢の上の人が多かった気がする。懐かしさが、僕と同じように彼らを呼び寄せたにちがいない。

 

 1956年作成とは、僕の青年期の10年くらい前だ。この時代に青年期を迎えた人たちが「化石」と呼ばれ始めている、その年代に僕自身も確実に近づいている。

 

 生のイタリア語を聴けたのは楽しかった。今のイタリア語より少しゆっくりな感じがした。時代のせいかも…。

 

 一つ発見があった。

 

 今、イタリア国鉄で使われている駅の「何番線」を意味するBinario(対になったもの:プラットホーム)が、映画ではMarciapiedi(歩道、プラットホームと言う意味もある)と呼ばれていた。

 

 立派な駅も含めて、だいたいヨーロッパの駅のホームは、日本に比べて低いつくりだ。お客は、ほとんど線路と同じくらいの高さのプラットホームから、やっとこさと苦労しながら、客車に乗り込む。Marciapiediは名は体をあらわしていると言えそうだ。使用される単語も、時の流れとともに変わってきているようだ。

 

 

<写真はflickrから、Veletio Pirreraさんの ”Capostazione:駅長“をお借りしました>

ライセンスはCreative Commonsの“表示”です

第三章( 8 / 19 )

白磁・青磁の逸品との再会

 

 

 ミッドタウンのサントリー美術館で素晴らしい展覧会を見てきた。

 

  大阪市立東洋陶磁器美術館が改修工事のために閉館中。おかげで、東京のど真ん中で、安宅コレクションを中心とする「東洋陶磁器の美」展が開かれたのだ。

 

  大阪にも2回ほど見に行っているから、初めてではない物も多くあった。でも、やはり素晴らし物は何度見ても素晴らしい。

 

  実は、最初にこの流れの美術展に出くわしたのは、1960年代の初めに東京上野の国立博物館で行われた「東洋陶磁器美術展」まで遡る。その時に受けた印象が、今回、確かなものとして僕自身で再確認できた。とにかくすごい展覧会だ。

 

  何がすごいかというと、東洋の陶磁器の概観が浮き彫りになるからだ。

 

 つまり、作品の質、緊張感、他との比較での順位、正当性、インチキ性、洗練度、オリジナリティ、真似ごと、などが一目瞭然と体感できるからだ。これが僕にとっては、2回目の体験だから、間違いはないと確信している。

 

  今回は、日本のものとしては例外的に唯一、信楽の大壺出ていたが、そのほかは日本のものは全く出ていなかった。しかし確信はゆらがない。

 

 前回同様、今回も確信したのは、東洋陶磁器の順位づけとしては、間違いなく次の順序だ。

 

  1.朝鮮の青磁から白磁

  2.中国の青磁・白磁

  3.日本の陶磁器

 

  今回は、日本のものは一点だけだったので、自分の中の日本の陶磁器の記憶・印象を引き出したものだ。

 

  何の順位かというと、上にあげた作品の質による順位づけだ。

 

  中国のものにも悪くはないが、どちらかというと、武骨で美しくない。唐三彩とか、磁器とか、技術的な貢献は大だけれど作品が美しくはない。心に響いてこないのだ。作者の気持ちが、僕に伝わっては来ないのだ。例外は「飛青磁花生」ほか数点だった。

 

  時代が下がって、ヨローッパを意識し始めた景徳鎮にでもなったら、もうこれは商品でしかない。

 

 その点、朝鮮の青磁から白磁への時代を代表する15~8世紀の作品に接すると、そこには、美しさと、僕自身に語りかける作者の緊張感と、人間の手による「作る人」が現れていて、見る人を魅了する。

 

  技術的には、中国で始まり、朝鮮で磨かれ、それが日本にわたってきたわけだが、技術に磨きがかけられたのは、間違いなく朝鮮だ。しかも、もとは雑器だったのだから、素直な姿がより透けて見える。飾りが皆無だ。

 

  日本のものは、今回見られなかったが、僕の知っている限り、朝鮮を超えるものはない。どちらかというと、真似ごとにしか見えない。

 

  唐津、有田をはじめ、九谷、志野なども、どう見ても、作者の「ちょっと、これでどうだ」という心が臭い出してきていやになる。これは茶道具として、もてはやされた特徴が透けて見えてくる。緊張感などみじんもない。

 

  結果としては、われわれ日本人は、つまらない真似事の陶磁器に惑わされているというわけだ。

 

  朝鮮の磁器で、心を打ったものをいくつか厳選してあげると、次のようなものが浮かび上がってくる。

 

  一番は、何と言っても「青花窓絵草花文面取壺」だろう。

 

0.241青花絵窓草花文面取壺 軽.jpg

 

 

 <写真>

 

   何度か見ているのだが、僕の頭の中ではもう少し小ぶりだと思っていたが、どう

  して、大きなものだった。面取りが美しい。形が美しい。

   そして新たな発見もあった。僕は、ずっと楕円形の壺を記憶していたのだ 

  が、今回見ると、真円だ。これにはびっくりした。温かみと一緒に緊張感がみな 

  ぎっている。

 

二番目は、白磁の「白磁大壺」だろう。

 

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<写真>

 

  壊されるという不幸にあっているが、ゆたかな、ゆったりとした存在感は偉大。

  こんなのを、自分の部屋にでもいておけたら、素晴らしいと思う。

 

  三番目は、「青花草花文面取瓶」だろう。

 

0.243青花草花文面取瓶.jpg

 

  <写真>

 

   見たらわかるとおり、面取りといい、染付といい、簡素で、しかし緊張感に満ちている。

 

ひとつ今回、おもしろい発見をした。

 

  こうした磁器の壺の世界に、物語性を持ったものを発見したのだ。それは「青い花虎鵲文壺」

 

 カササギガ飛んできて、木に止まり、虎(僕には猫に見えた)に話しかけ、ねこ 

 (虎)は、カササギの話を聞いて体を長~~~くして歩み去る。楽しかった。

 

  安宅の二代目から、伊藤忠、そして住友グループの思慮深い取扱いを受けて、あちこちに散らかることなく、素晴らしいコレクションを、そのまま大阪市に寄贈されたことは尊敬に値する。大阪人も商売、商売で、金もってこい!だけではではないようだ。

 

 ゆたかな気持ちになって、ミッドタウンを出た僕は、その後、三日程、画集をくりながら幸せだった。

 

P.S.

使用した絵は、展覧会で購入した絵葉書をスキャンしたものです。

 

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<全体像>

 

第三章( 9 / 19 )

「フレンチの侍」の読後感

 

こんなに集中して本を読むのは久しぶり。

 

マイケル・ポランニーの「暗黙知の次元」を3月に読んで以来初めてだ。

 

たいていは本を買ってきても、ドッーと読み進むってことはあまりない。何ページか読んで、そこで止まることが多い。そして、僕の本でなくなってしまうことも多い。ちょっと時間が経って、再び読み始めることはあるけど、まれだ。

 

この「フレンチの侍」は、著者・市川さんの身内、Oさんにもらった本。結構集中して読み終えた。Oさんから貰わなければ、決して読まなかった本だった。フランス料理のシェフの書いた本で、僕が自分で買うとは思えない本。でも、面白かった。

 

フレンチのシェフが、フランスで修業して自分のフレンチを獲得するまでの、自叙伝的な物語だ。

 

今、このシェフは現座で、「シェ・トモ」という、誰でも楽しめるフレンチの店を開いていて、結構人気のようだ。

 

読んでみると、一人の人間が、自分のやりたいことをやり遂げたというドキュメンタリーとして読んだ気がする。

 

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<「フレンチの侍」市川知志著 朝日新聞社発行(2013・1・30出版)>

 

読んでいる間に、次のような、いろんな疑問が出てきたが、最終的にはそれが解け、そして僕の感想が残った。

 

・読んでいる間、ずっと著者は誰のために書いているのか? シェフ自身のため? 他の人の為? という疑問が付きまとっていた。

 

・何のために読んでもらうのか? 楽しんでもらうためか? それとも後輩のためか? はたまた自分史として書き残しているのか?

 

・読んでみると、この本は、コックを含めた、全ての料理人、板さん、それを志す人たちに読んでもらいたいと僕自身が思うようになった。こうした体験が一人前の料理人として生きていけると思うからだ。

 

・最後のところに、著者の答えがあった。「一人でも多くの人にフランス料理を食べてもらう」という信念だったとのこと。

 

・どうやって、忙しいシェフが時間をみつけ、これだけの文章を書いたのだろうという疑問が、読んでいる間、ずっとあった。

 

・最後になって、彼の話を聞いて、原稿に仕立てたライターがいたのだと分かった。キレのいい、勢いのある良い文章だなぁ…という感嘆していた疑問は最後に解けた。ライターがいたとはいえ、市川さんの話から、自己体験をして、自分のものとして文章を書いた畑中三応子さんの腕は確かだ。

 

・僕、個人としては、ポール・ボキューズが言ったという「進化を止めることに決めたんだよ」が、一番深い意味合いの言葉に受け取れた。果てしなく進化する尖がったフランス料理の未来を心配しての言葉である。

 

・同じく、デクパージュ(切り分け料理)の懐かしさと、それが食べるものにとっての素晴らしい楽しみだったと思いだした。料理、そのものだけでは無い、食事の楽しさを演出してくれると信じている。

 

偶然とはいえ、そんな本に出会ったのは幸せだった。

 

若い、フレンチとはいわず、全ての料理人、もしくはそれを夢見ている人たちに読んでもらいたいと思う料理人の基本の心が書いてあった。

 

レストラン「シェ・トモ」を開いているようだから、折があったら訪ねて、彼の料理を堪能してみたいと思っている。ただ、そんな時間がいつ来るかはわからない。何しろ、何か月も先まで、予約でいっぱいだという話だ。そんな落ちつかない食事はしたくもないし…。

 

シェフという職人を志す人、料理を作るのが好きな人、フレンチが好きな人は一読されることをお勧めする。

第三章( 10 / 19 )

プーシキン美術館展

 

 先日、横浜美術館で見て きたモスクワにある「国立プーシキン美術館」の展覧会で思ったこと。

 

猛暑の中の突然の鑑賞だった。

 

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<写真>

 

この展覧会は見逃してはならないと、どこかで行っておこうとは思っていた。会期は9月の中旬までだから、9月になると混むだろうとも考えていた。かといって、35℃に近い8月にわざわざ出かける勇気もないなぁ…と迷っていた。

 

その日、洋光台へ出かける用事があって、首都高・湾岸線でプジョウを走らせていた。三溪園を見ながら運転していて、車の中はエアコンが効いているから、みなとみらいで電車を降りて、てくてく歩いていくより車の方が楽かも…と思いついた。あとは、行く時間という物理的な問題。

 

幸い、洋光台での用事は簡単に終わって、久しぶりに長崎ちゃんぽんを昼食にと、リンガーハットに入った。店はガラガラ。何だか一番乗りのようだ。時間は11時15分くらい。もしかすると、展覧会も、展覧会場への道も昼休みにかさなるから一番空いているかも…。12時過ぎには横浜美術館に入れるかもと思った。だったら、ラッキー。

 

定番のちゃんぽんとギョーザを食べ終わったら、11時40分。今日、車で行こうと決めた。

 

久しぶりに本牧、山下公園、県庁前を走って、みなとみらいの美術館に着いたのが、12時20分くらいだったろうか。車で行ったことがない横浜美術館だったけれど、ランドマークタワーの近くにサインを見つけて、楽勝。幸い、駐車場は満杯ではなかった。

 

でも、想像しないことが起きた。地下の駐車場から地上階に上がってきたら、熱風吹きすさぶ美術館の左の端っこのウイングに出てしまった。てっきり、駐車場からエレベーターで上がれば、美術館のエントランスと思い込んでいたのが外れた。まぁ、直接太陽の下を歩く必要はなかったので、心臓君にガンバと言いながら、エントランスへ。

 

昔から、ロシア帝国はフランスに強いあこがれを持っていた。その証に、ロシアの宮廷では公用語はフランス語だったと聞いたことがあるくらいだ。エカテリーナ二世を中心として、ロシアの貴族はフランス絵画にぞっこんだったわけだ。

 

16世紀から20世紀にわたる300年の、選りすぐりのフランス絵画を見ることができる展覧会だ。会場がいつものようにごった返しているかと心配しながら入っていくと、人は多いけれど、まぁなんとかなる程度。

 

いつもこういう展覧会に行くと、嫌なことが一つある。いや一つが、その悪い影響で、二つの嫌なことに化ける。それは、音声ガイドというやつ。大嫌いだ。今回も、とうして聞くと3040分くらいのガイドを貸し出している。水谷豊のナレーションというふれこみもある。利用者が多い。

 

このガイドを聞いている人は、まじめなのか、全ての絵を見なければ損だと思っているのか、ガイドに従って従順に、順々に、順路通りに進んでいく。これはたまらない。追い越し禁止ではないにしても、手摺にぴったり張り付いて、作品から作品に移り、まじめにガイドを聴いて、聞き終えたらおもむろに次に進む。

 

僕はせっかちなせいもあって、そんなまどろっこしいことはできないし、やったことがない。自分の感覚に従って、ドンドンすっ飛ばすところはすっ飛ばす。ピクリときた作品があれば、そこで止まる。そして、絵を見る。

 

人の流れは手摺に張り付いて流れるから、まず時間がかかる。さらに、音声ガイドを聴き終るまで、その人はその絵の前で立ち続ける。だから、後ろから絵全体を見ようとしても、見ることができない。僕はだいたい日本人の平均の伸長(175cm)だから、絵の全体が見えなくて、部分的に切れた絵を見ることになる。これが二つ目の嫌な現象。

 

ドンドン、自分の感性を信じて、見ていけばいいのにと思うのが、そうもいかないようだ。ヨーロッパでは、見ている人が、自分の立ち位置が他の人が絵を見る妨げになっていると気がついたら、後に引いて、絵全体が見える位置で鑑賞している。しかし、そういうことは日本では期待できない。

 

僕は、爪先立ったり、伸び上がったりしながら、品定めをして、ピンときたら、絵全体が見えるところまで近づいていく。しかし、必ず、絵の下の部分は人陰に隠れて、見ることはできない。仕方がない、その部分が見えるまで待つか…。

 

展覧会としては、点数も70点弱でちょうどいい。結果として、僕に足を止めさせたのは25点。どうしても、19世紀後半からの作品になる。

 

コロー、ミレーに始まって、マネ、モネ、ルノワールと続く。もともと僕はモネが大好きだから外せない。そしてこの展覧会の目玉、ルノワールのジャンヌの肖像となる。僕はルノワールが、あまり好きではない。シャープさに欠けるのだ。でも、このジャンヌの肖像はよかった。過度の色は無く、女性の柔らかさ、優しさがにじみ出ているやさしいかわいらしい娘さんだった。

 

後は、ドガ、ロートレック、セザンヌときて、一気にマティス、ピカソ、マリーローランサンとなる。こういう時は、人をかき分け…ではないけれど、絵、全体が見える位置を探す。前に出たり、引いたりと位置をずらして、憎っくきシルエットの黒い人影を避けるわけだ。

 

僕は、ゴッホもゴーギャンも僕の趣味ではないから、ドンドン飛ばす。ゴーギャンの「働くなかれ」の題目にはなるほどと感心した。

 

後は僕の大好きなシャガール。あまりよくなかったけれど、敬意を表しておしまいだ。

 

日本の観客は、もっと自分の直感を信じて、自由に絵を見ればいいのにと、もうせん東京芸大のフェルメール展で感じたことを、再び思い出した。

 

午後1時半前には、美術館を出て車を転がしていた。僕にとって、楽しかった展覧会だったことは間違いない。

 

脳梗塞で倒れてリハビリ中の親友に送るため、ジャンヌの肖像の絵葉書を買った。

徳山てつんど
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