孤島の天才

当初は、甲子園出場を熱望していた家族と一矢は、糸島高校への進学を強く断った。そこで、教頭は、Y球団に契約金の一部として1000万円を手渡すように手を回し、さらに、入団するまでバッティングコーチを手配し、プロで通用するバッターになれるように育成するとの約束を交わさせた。秘かに契約金の一部を受け取った父親は、教頭とY球団を信じ、一矢を糸島高校に進学させた。

 

 剛士は、3面あるコートの一番南側の第三コートでサーブの練習をしている若田部を見つけた。さっそく、若田部の後方に回り込み、うつ伏せになり、シャッターチャンスを待った。ちょうど、サーブを打ち終わって、前傾姿勢になるときが、パンチラのシャッターチャンスだった。剛士は、長い腕の左手先に包まれたボールをトスし始めてから、身体を反らし、後方にラケットを引く肢体をじっと見つめながら、インパクトの瞬間からフォロースルーまで数回シャッターを切った。

 

 見事、パンチラを数枚ゲットした、と笑顔を作った瞬間、グランドから大きな声が沸きあがっていた。剛士は立ち上がり、グランドの方に目をやると、女子テニス部員のキャ~と甲高い悲鳴が炸裂した。そのとき、剛士の目から火花が飛び散り、剛士は倒れた。剛士の頭にモンスターが打った大ファールのボールが直撃したのだった。剛士の頭は、石頭で怪我はなかったが、剛士は猛烈にムカついた。

 心配になった野球部員の一人がコートに走ってやってきていたが、剛士は、ボールを拾うと、フェンスの外まで走り、そこから120メートルほど離れたホームを目がけて「バカヤロ~」と言い放ち、思いっきりボールを投げ返した。そのボールは、見事キャッチャーに捕球され、遠くにいた数人の部員たちがいっせいに大声を上げ、拍手した。「へたしたら、死ぬところだったんだぞ」と言って剛士は、若田部のビデオ撮影をするための準備に入っていたところ、今年、野球部にY球団からやって来たと言う衣笠コーチが、テニスコートのフェンスまでやってきて、剛士に声をかけた。

 

 「お~い、ちょっと話がある。こっちに来てくれ」コーチは、剛士を手招きした。いったい野球部のコーチが何の用事があるのかと思ったが、一応、フェンスの外にいるコーチのところにかけて行った。いってみると、野球部のみんなが君を呼んでいるから、ちょっと来て欲しいとの話であった。剛士は、ボールを打ち込んだことへの謝罪だと思い、笑顔で返事した。

 

 「ボールが頭に当たったことでしたら、気にしていません。ここまで、打った選手に感心しました。うわさのモンスターでしょう。まったく気にしていないと伝えてください」剛士は、そう言って立ち去ろうとしたが、コーチは、大きな声で剛士に声をかけた。「待ってくれ。他にも、ちょっと話があるんだ。とにかく、来てくれ」コーチは、真剣な表情で剛士を見つめた。

 

 剛士は、撮影のためにカメラとビデオをコートの近くに置いていたが、すぐに話は終わると思い、コーチの後についていった。すると、ホームベースの周りに立っていた野球部員たちが笑顔で出迎えてくれた。コーチは、剛士の左肩をポンと叩くと話し始めた。「君は、左利きだな。さっき、左手で投げ返してくれたね。すばらしいボールだった。あそこから見事ホームまで投げ返せるやつはそういない。君は、中学で野球をやっていたのか」剛士を取り囲んでいた部員たちは、黙ってコーチの話に耳を傾けていた。

 

 剛士は、どんな話かと疑心暗鬼になり、ちょっとおびえていたが、そんなことかと分かり、笑顔で答えた。「僕は、姫島中学出身で、野球部はありませんでした。まったく、野球はやったことはありません。ルールもよく分かりません。できるスポーツは、水泳だけです」剛士は、元気よく、スポーツオンチであることを告白した。それを聞いていたコーチと部員たちは、目を丸くして、オ~、と叫んだ。

 

 コーチは、腕組みをしては、大きく頷き、天を見上げ、さらに話を続けた。「しかし、さっきのボールは、すばらしかった。まったく野球をやったことがなくてあんなボールが投げられるものだろうか。本当は、やっていたんだろ~?」コーチは、剛士の言葉が信じられなかった。部員たちも同様に不思議がっていた。剛士は即座に応えた。「本当に、やったことがありません。一度もありません。姫島中学全生徒合わせても、たったの8名しかいないんです。野球もサッカーもまともにできないんです。テレビで見たことはあっても、やったことはありません。本当です」剛士は、これ以上恥じをかきたくなかった。

 コーチは、頭をかしげ、剛士に訊ねた。「しかし、さっきのボールは、幻じゃない。どうして、あんなボールが投げられるんだ。信じられない筋力を持っている」剛士は、返事に困った。投げられたことに剛士も不思議に思っていたからだ。剛士は、思いつくことを話すことにした。「まあ、小さいころから舟をこいでいたから、足腰は強いと思います。でも、本当に野球はやったことがありません。さっきのはまぐれです」剛士は、嘘を言っていると思われると、悲しくなってしまった。実は、剛士は、遺伝子組換え人間だったが、そのことは、両親から知らされていなかった。

 

 コーチは、笑顔で頷き、納得した顔で部員を見渡した。部員たちも納得した顔で頷いた。「分かった。とにかく、投げてくれ」コーチは、剛士にボールを手渡した。剛士は、いったい何のことかわけが分からなかった。「投げるって、どこにですか?」剛士は問い返した。コーチと部員たちは、大声で笑うと、キャッチャーの安倍が、ミットに右手を突っ込み、ホームに腰を下ろした。「俺に、投げろ。思いっきりだぞ。全力で投げろ。いいな」どこから投げればいいか分からない剛士は、きょとんとコーチを見つめた。

 

 3年生ピッチャーの金田は、剛士をマウンドに連れて行くと声をかけた。「ここから、ミット目がけて全力で投げろ。さあ」部員たちは、固唾を呑んで剛士を見つめていた。剛士は、どんなフォームで投げていいか分からなかったが、テレビで見ていたピッチャーのフォームを思い出して思いっきり投げた。ボールは、ピッチャーの頭上2メートルのところを弾丸のように突っ走っていった。

春日信彦
作家:春日信彦
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