孤島の天才

 剛士は、撮影のためにカメラとビデオをコートの近くに置いていたが、すぐに話は終わると思い、コーチの後についていった。すると、ホームベースの周りに立っていた野球部員たちが笑顔で出迎えてくれた。コーチは、剛士の左肩をポンと叩くと話し始めた。「君は、左利きだな。さっき、左手で投げ返してくれたね。すばらしいボールだった。あそこから見事ホームまで投げ返せるやつはそういない。君は、中学で野球をやっていたのか」剛士を取り囲んでいた部員たちは、黙ってコーチの話に耳を傾けていた。

 

 剛士は、どんな話かと疑心暗鬼になり、ちょっとおびえていたが、そんなことかと分かり、笑顔で答えた。「僕は、姫島中学出身で、野球部はありませんでした。まったく、野球はやったことはありません。ルールもよく分かりません。できるスポーツは、水泳だけです」剛士は、元気よく、スポーツオンチであることを告白した。それを聞いていたコーチと部員たちは、目を丸くして、オ~、と叫んだ。

 

 コーチは、腕組みをしては、大きく頷き、天を見上げ、さらに話を続けた。「しかし、さっきのボールは、すばらしかった。まったく野球をやったことがなくてあんなボールが投げられるものだろうか。本当は、やっていたんだろ~?」コーチは、剛士の言葉が信じられなかった。部員たちも同様に不思議がっていた。剛士は即座に応えた。「本当に、やったことがありません。一度もありません。姫島中学全生徒合わせても、たったの8名しかいないんです。野球もサッカーもまともにできないんです。テレビで見たことはあっても、やったことはありません。本当です」剛士は、これ以上恥じをかきたくなかった。

 コーチは、頭をかしげ、剛士に訊ねた。「しかし、さっきのボールは、幻じゃない。どうして、あんなボールが投げられるんだ。信じられない筋力を持っている」剛士は、返事に困った。投げられたことに剛士も不思議に思っていたからだ。剛士は、思いつくことを話すことにした。「まあ、小さいころから舟をこいでいたから、足腰は強いと思います。でも、本当に野球はやったことがありません。さっきのはまぐれです」剛士は、嘘を言っていると思われると、悲しくなってしまった。実は、剛士は、遺伝子組換え人間だったが、そのことは、両親から知らされていなかった。

 

 コーチは、笑顔で頷き、納得した顔で部員を見渡した。部員たちも納得した顔で頷いた。「分かった。とにかく、投げてくれ」コーチは、剛士にボールを手渡した。剛士は、いったい何のことかわけが分からなかった。「投げるって、どこにですか?」剛士は問い返した。コーチと部員たちは、大声で笑うと、キャッチャーの安倍が、ミットに右手を突っ込み、ホームに腰を下ろした。「俺に、投げろ。思いっきりだぞ。全力で投げろ。いいな」どこから投げればいいか分からない剛士は、きょとんとコーチを見つめた。

 

 3年生ピッチャーの金田は、剛士をマウンドに連れて行くと声をかけた。「ここから、ミット目がけて全力で投げろ。さあ」部員たちは、固唾を呑んで剛士を見つめていた。剛士は、どんなフォームで投げていいか分からなかったが、テレビで見ていたピッチャーのフォームを思い出して思いっきり投げた。ボールは、ピッチャーの頭上2メートルのところを弾丸のように突っ走っていった。

 ワ~といっせいに歓声が上がった。ボールはとんでもないところに飛んでいったが、スピードは、150キロを超えていた。それを見届けたコーチは、大きな声で叫んだ。「こいつで行こう」コーチと部員たちは、頷き剛士のところに駆け寄って行った。「お前ならやれる。そうだな、みんな」コーチはみんなの同意を求めた。部員たちは、頷き、笑顔で承諾した。剛士は、いったい部員たちはなにを喜んでいるのだろうと、不審に思った。

 

 「いったい、どういうことですか。野球部に入れと?」剛士は、ムカついた顔で大声を出した。「そうだ、野球部に入ってくれ」コーチは即座に返事した。剛士は、はらわたが煮えたぎる思いであったが、じっとこらえて、静かに返事した。「申し訳ありませんが、僕は、写真部に所属しています。野球部に転部する気持ちはまったくありません。野球をしたいという気持ちもまったくありません」剛士は、頭を下げて、踝を返した。

 

 コーチは、即座に声をかけ剛士の肩に手を置いた。「悪かった。勝手なことを言って。今じゃなくて言い、一度考えてくれないか。今、エースピッチャーがいないんだ。頼む、この通りだ」コーチは、両手をあわせ頭を下げた。モンスターが熊のように歩きより、「俺からも頼む。頭、痛くネ~か?」モンスターは、剛士の頭をそっとなでた。剛士は、どんなに頼まれても野球をする気はないと口元まで出かかっていたが、軽くかわして立ち去った。

 

 部員たちは、落胆し、コーチも天を仰いだが、頑なな剛士の後姿をじっと眺めて、引き止めることはしなかった。コーチは、たとえ土下座してお願いしても、うんとは言わないやつだと直感していた。コーチは、剛士をうんと言わせる秘策をじっくり練ることにした。剛士は、コートに戻り、いつものように若田部のビデオ撮影を始めた。頭にボールが直撃し、野球部に入れと誘われ、頭はカッカきていたが、若田部のはりのあるウチモモがアップで目の前に現れると、ハ~ハ~と興奮してしまい、いつものように股間が盛りあがった。

 

孤島の天才

 

 久しぶりに仲良し三人組は、ゆう子の家でだべることになった。12時に予約していたピザクックのピザが配達され、彼女たちは手際よく昼食の準備を始めた。ジュース、チキン、フライドポテト、ピザを各自の小皿にとって、グラスにジュースを注ぐと、グラスを手に取り、乾杯の明るい声が響き渡った。今日の集合をかけたのは、横山だった。今日の話題は、ゆう子のグラドルデビューだった。

 

 ゆう子の写真は、剛士が流したネットで全国に広まっていたが、それを見ていたのは、中学生、高校生だけではなかった。芸能関係者も物色していた。グラビア写真を専門とする事務所が、ゆう子に目をつけ、さっそく、新体操の妖精を口説き落とそうと、東京から糸島高校まで飛んでくると、さらに、説得のため自宅まで押しかけてきた。唐突のことで、家族は、疑心暗鬼で躊躇したが、事務所の執拗な説得に押されて、ゆう子はグラドルになる決意をした。

春日信彦
作家:春日信彦
孤島の天才
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