孤島の天才

 いつも、写真撮影から始めていた剛士は、カメラを手に取ると若田部を探した。糸島中学出身の若田部は、172センチの長身で、中学時代から全国的に有名で、福岡の名門Y高校やT高校から誘いがあったほどだが、それを断り糸島中学の篠田教頭の勧めで無名の糸島高校にやって来た。と言っても、部活の練習は火曜日だけで、そのほかの日は、3歳から通っている糸島ローンテニスクラブで練習していた。糸島高校は、篠田教頭の母校で、この策謀には、わけがあった。

 

 現在、出生率から予測される少子化の対策の一環として、中学と高校を統合する計画が進められ、今後、糸島中学と糸島高校が統合されると言う情報を、教頭は県会議員の父親からすでに手に入れていた。今までは、優秀な生徒は名門高校に進学させていたが、その情報を得てからは、今後は、学業やスポーツにおいて優秀な生徒を糸島高校に進学させ、糸島高校を名門高校にする計画を立てた。さらに、国会議員になった暁には、糸島大学を建立する青写真も描いていた。

 

 野球部にも、糸島中学から100年に一人といわれる逸材が送り込まれていた。身長187センチ、体重105キロ、左の長距離バッター、賭布一矢(かけふかずや)、ニックネームは、モンスターと言うスラッガーだった。彼も多くの甲子園の常連校からオファーがあったが、篠田教頭が父親の知り合いの国会議員を使い、Y球団に手を回し、将来の入団を約束するとのことで、家族と本人を説得した。

当初は、甲子園出場を熱望していた家族と一矢は、糸島高校への進学を強く断った。そこで、教頭は、Y球団に契約金の一部として1000万円を手渡すように手を回し、さらに、入団するまでバッティングコーチを手配し、プロで通用するバッターになれるように育成するとの約束を交わさせた。秘かに契約金の一部を受け取った父親は、教頭とY球団を信じ、一矢を糸島高校に進学させた。

 

 剛士は、3面あるコートの一番南側の第三コートでサーブの練習をしている若田部を見つけた。さっそく、若田部の後方に回り込み、うつ伏せになり、シャッターチャンスを待った。ちょうど、サーブを打ち終わって、前傾姿勢になるときが、パンチラのシャッターチャンスだった。剛士は、長い腕の左手先に包まれたボールをトスし始めてから、身体を反らし、後方にラケットを引く肢体をじっと見つめながら、インパクトの瞬間からフォロースルーまで数回シャッターを切った。

 

 見事、パンチラを数枚ゲットした、と笑顔を作った瞬間、グランドから大きな声が沸きあがっていた。剛士は立ち上がり、グランドの方に目をやると、女子テニス部員のキャ~と甲高い悲鳴が炸裂した。そのとき、剛士の目から火花が飛び散り、剛士は倒れた。剛士の頭にモンスターが打った大ファールのボールが直撃したのだった。剛士の頭は、石頭で怪我はなかったが、剛士は猛烈にムカついた。

 心配になった野球部員の一人がコートに走ってやってきていたが、剛士は、ボールを拾うと、フェンスの外まで走り、そこから120メートルほど離れたホームを目がけて「バカヤロ~」と言い放ち、思いっきりボールを投げ返した。そのボールは、見事キャッチャーに捕球され、遠くにいた数人の部員たちがいっせいに大声を上げ、拍手した。「へたしたら、死ぬところだったんだぞ」と言って剛士は、若田部のビデオ撮影をするための準備に入っていたところ、今年、野球部にY球団からやって来たと言う衣笠コーチが、テニスコートのフェンスまでやってきて、剛士に声をかけた。

 

 「お~い、ちょっと話がある。こっちに来てくれ」コーチは、剛士を手招きした。いったい野球部のコーチが何の用事があるのかと思ったが、一応、フェンスの外にいるコーチのところにかけて行った。いってみると、野球部のみんなが君を呼んでいるから、ちょっと来て欲しいとの話であった。剛士は、ボールを打ち込んだことへの謝罪だと思い、笑顔で返事した。

 

 「ボールが頭に当たったことでしたら、気にしていません。ここまで、打った選手に感心しました。うわさのモンスターでしょう。まったく気にしていないと伝えてください」剛士は、そう言って立ち去ろうとしたが、コーチは、大きな声で剛士に声をかけた。「待ってくれ。他にも、ちょっと話があるんだ。とにかく、来てくれ」コーチは、真剣な表情で剛士を見つめた。

 

 剛士は、撮影のためにカメラとビデオをコートの近くに置いていたが、すぐに話は終わると思い、コーチの後についていった。すると、ホームベースの周りに立っていた野球部員たちが笑顔で出迎えてくれた。コーチは、剛士の左肩をポンと叩くと話し始めた。「君は、左利きだな。さっき、左手で投げ返してくれたね。すばらしいボールだった。あそこから見事ホームまで投げ返せるやつはそういない。君は、中学で野球をやっていたのか」剛士を取り囲んでいた部員たちは、黙ってコーチの話に耳を傾けていた。

 

 剛士は、どんな話かと疑心暗鬼になり、ちょっとおびえていたが、そんなことかと分かり、笑顔で答えた。「僕は、姫島中学出身で、野球部はありませんでした。まったく、野球はやったことはありません。ルールもよく分かりません。できるスポーツは、水泳だけです」剛士は、元気よく、スポーツオンチであることを告白した。それを聞いていたコーチと部員たちは、目を丸くして、オ~、と叫んだ。

 

 コーチは、腕組みをしては、大きく頷き、天を見上げ、さらに話を続けた。「しかし、さっきのボールは、すばらしかった。まったく野球をやったことがなくてあんなボールが投げられるものだろうか。本当は、やっていたんだろ~?」コーチは、剛士の言葉が信じられなかった。部員たちも同様に不思議がっていた。剛士は即座に応えた。「本当に、やったことがありません。一度もありません。姫島中学全生徒合わせても、たったの8名しかいないんです。野球もサッカーもまともにできないんです。テレビで見たことはあっても、やったことはありません。本当です」剛士は、これ以上恥じをかきたくなかった。

春日信彦
作家:春日信彦
孤島の天才
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