五木寛之『親鸞』を読む

『親鸞』読書メモ1「悪人正機」の系譜

 さてでは、何回かに分けて読書メモを書きたいと思います。




 仏教を学んでらっしゃる方には何を今更、とお叱りを受けそうですが、私は「悪人正機」というのは親鸞が初めて考えついた独創的概念かと思っていましたが、それは違うようでした。

『親鸞』(上)冒頭付近「闇に生きる人々」では、忠範(親鸞の幼少の名)が夜中に弟たちを寝かしつけた後庭先の向こうから今様をうたう男女の声が聞こえてきます。




 弥陀の誓いぞ頼もしき
 十悪五逆の人なれど
 ひとたび御名(みな)をとなうれば
 来迎(らいごう)引接(いんじょう)うたがわず






 十悪五逆の人(悪人)でも来迎(らいごう)引接(いんじょう)(正機)する。




(上)の後半「黒面法師の影」では、同じ今様が後白河法皇が催した下人悪人大歓迎の大法会で大唱和されます。この時後白河法皇は群衆からは見えないところで狼藉者に殺されかかっているという緊迫した場面です。


 五人が十人、十人が百人、と歌声はふくれあがっていく。やがて歌声は暁の空を揺るがす大合唱となった。犬丸もうたっている。サヨも声をあわせてうたう。広場にあつまった非人、河原者、山僧、武者、百姓や、町衆まで、すべての者たちが頬をそめてうたっている。

 法勝寺の大伽藍が揺らぐほどの歌声だった。地鳴りとも、雷鳴とも思われるその歌声に、法皇も喉に刃をあてられたまま和してうたいだした。くり返し、くり返し、その歌はつづく。

 弥陀の誓いぞ頼もしき
 十悪五逆の人なれど
 ひとたび御名をとなうれば
 来迎引接うたがわず



 舞台に立つ範宴(親鸞の出家した頃の法名)の目に光るものがあふれ、頬につたうのを犬丸は見た。犬丸も胸が燃え出しそうな気持ちだった。こんな気持ちになったことは、これまでに一度もなかった。

 この広場に集ったひとびとのすべてが、自分の家族のように思われた。




 なんとも言えない名場面です。

 五木寛之さんはここで、それこそ実物の悪人たちが大合唱するのを聞いた親鸞が涙したと書いています。


 ここからも分かるように悪人正機とは仏典を教理として極め尽くした大僧正の頭から出てきた概念ではなく、「生きても地獄死んでも地獄」の悪人たちの心の声だったのでした。




 こうした原体験を親鸞は心に刻み、やがて将来を嘱望された名門延暦寺を勝手に下山してしまいます。念仏を唱えれば極楽に往生できるという、当時としてはとんでもない異端の仏説をとく法然の下で修行するためです。


 延暦寺の大秀才と言われながらも山を下り、悪人たちにも分け隔てなく一切念仏を説く法然に仕える中、親鸞は自分の原体験がいったい何であったのかを、じっくりじっくり確認していくことになります。



続く…

『親鸞』読書メモ2親鸞の師法然

 親鸞は法然に仕えるようになりますが、妻の恵信は親鸞に言います。

「(法然様は)世間のもっとも低いところに暮らしている人びとにむけて念仏を説かれる一方で、九条家をはじめとする身分の高い貴族や、高位高官のかたがたにも、決して背をむけようとはなさらない。わたしは最初、それが不思議でならなかったのです」


 親鸞は妻に頷いて、仏教の開祖釈尊その人が、盗人や遊女世間で卑しまれている人びととも家族のように接しながらも国王や貴族、商人や富豪にもこだわりなく自分の信念を説いたことを思いおこします。

 しかしそうは思っても、やはり親鸞自身の中にもなぜ法然が旧仏教と全面的に対立することを避け、支配階級ともうまくやっていこうとするのかその真意は図り兼ねていました。



 親鸞の妻が感じたこの法然の態度は、後に法然最古参の弟子である信空によって直裁に語られることとなります。

 入門してまだ四年ほどの親鸞が、何十年仕えている高弟でさえ許されるものが稀だった法然の『選択本願念仏集』の写経を許されることとなり、同席した信空は法然に訊ねられて法然の心を親鸞の前で推量します。

「あなたさまは、天台のお山をおりられたが、けっしてお山を去られたかたではない。こうしてちまたに念仏を説かれていても、やはりお山の子なのではありますまいか。家をつぐ子もいる。家を出る子もいる。お上人さまはあたらしい仏の道を求めて、家出をなされた。そして家風とは異なった教えを説かれてはいるが、どこかに生家のきずなを引きずっておられるのでしょう。」




 ここからは、五木寛之さんの小説を読んだ私の感想になります。

 悪人には悪人に生まれたが故の苦しみがあります。今現在極悪人として生きている者たちも、もし貴族の家に生まれていてば盗みや殺しなどはしないでも生きられた。そういう生まれながらの社会的環境の絶対性(『マチウ書試論』で吉本隆明のいう「関係の絶対性」)が、今の悪人を作り出している。

 悪人は善人に比べて圧倒的に不利な、社会的に規定された外部的要因を背負って行きているわけです。
 それゆえにこそ親鸞は「悪人正機」を説くのです。

 生まれが良かったばかりに悪事に手を染めることを強要されなかった、恵まれた存在である善人が往生するのであるからして、生きて行く上での障害のより大きな悪人が自分の運命に苦しんで頑張って生きているにもかかわらず、彼らが往生できぬわけがない。


 このように考えれば悪人が成仏するなんてもっての外、という考え方はいったん退けることができるでしょう。いったんというのは、そうした外部的な要因に甘えてしまって悪事を行うことに開き直ってしまった悪人はどうなるか、という問題はいぜんとしてあるからです。

 しかし、この自分ではどうしようもない環境という視点を導入することで見えてくるものも大きいと思います。


 私は、法然には生まれが良かったゆえの苦しみはなかったのだろうか、と考えました。

 生まれが悪かった故の苦しみは分かりやすいです。しかし、この世の定め、世間のルールにがんじがらめになった地位ある人のその生まれゆえの不自由さという不幸もあると思うのです。

 法然は一切を捨てずに、そうした社会的責任を捨てることが叶わず今ある自分の社会的環境を、悪人と同じように背負って行かねばならない善人たちの苦しみをも見放さないでいた、と言えないでしょうか。



 現代社会を生きる善人にもどうしようもない逃れられない悪があります。例えば会社に強要されて不正や犯罪行為に手を染める、断れば会社を首になって家族が路頭に迷うなどの苦悩は想像のしすぎではなく、多分目に見えているよりもはるかに多く表社会に潜んでいると思います。

 自分が誰かをいじめないと、自分自身がいじめられる、そのために心ならずもいじめに加担してしまう子どもは、善人の社会の中での関係の絶対性に苦しんでしまいます。
(だんだん『地下鉄のない街』になっちゃいましたが(笑))


 法然の善と悪との両方に足を突っ込んだ生き方にはそうした苦悩がありそうに私は思いました。



 さて、親鸞は師匠のそうした態度から何を学んだのでしょうか。



 続く…

『親鸞』読書メモ3もう一人の「善人」

「善信(親鸞)はすでに吉永(法然一派の本拠地)の念仏をはみだしております」

 良禅の言葉に、慈円は眉をひそめた。

「それはどういうことだ」

「さあ」

 良禅は顎に手をあてて、考え込むように頭をかしげた。やがて顔をあげると、まっすぐ慈円の目をみつめた。

「善信は、師の法然がひそかに心に抱いていながらも、みずからは声高には説かぬことをあえて語っておるのではございますまいか」

「話がようわからぬ」

五木寛之『親鸞』




 慈円はあの『愚管抄』の人。

 松岡正剛さんの目から鱗の卓抜な解説によるとこんな人です。

 慈円は1歳で母を亡くし、10歳で父を失い、13歳で出家した。20歳で大原に隠棲して天台法華を学び、翌年には比叡の無動寺に入って千日入堂をはたした。

 こういえば、いっぱしの仏道修行に励んだかのようだが、いや、実際にはそのような覚悟のある人物だったとおもわれるのだが、周囲の目がそうさせなかった。16歳ではやくも一身阿闍梨の称号を許され、いきなり法眼の位を与えられた。

 仏門や遁世を嫌ったのではない。慈円は25歳で比叡を下り、兄の九条兼実のもとに赴いて「遁世したい」ということを申し出るのだが、兼実に思い止まるように説得されてしまっている。隠棲への思いはあったのに、名門の出自を捨てるには至らなかったのだ。そればかりか、結局は<比叡山延暦寺の中央に摂関家から送りこまれた管理者のエースとしての役割を負わされた。




 この人もまた、社会的責任を捨てることが叶わず今ある自分の社会的環境を、悪人と同じように背負って行かねばならない善人たちの苦しみドアを負う人であった。


 吉川英治バージョンの『親鸞』ですと、この慈円と親鸞はもっと直接交流がたくさんあるのですが、五木寛之『親鸞』では終始すれ違いです。
 いずれにしても、慈円からすると天台改革の優秀な手駒として働かせたかった親鸞は、その期待には応えなかったということは言えるでしょう。

 さてでは、慈円の手駒の良禅がいう「師の法然がひそかに心に抱いていながらも、みずからは声高には説かぬこと」とは何だったのでしょう。



 次回それをみてみましょう。


 続く…

『親鸞』読書メモ4 「選択本願念仏集」のまたその先に

 さて、では法然の仏説とはどんなものなのでしょうか。

 前回の続きには、にはこんな風におどろおどろしく描かれています。



 慈円のいぶかしげな表情にうなずいて、良禅は言葉を選ぶようにゆっくりという。

「法然は、区別なく、という立場で人びとに念仏を説いております。富者、貧者の区別なく、善人、悪人の区別なく、僧侶、俗人の区別なく、戒、破戒の区別なく、男、女の区別なく、すべて念仏することで救われる、と」

「それはわかっておる。だからこそ、身分の高いかたがたのところへも招かれれば出向き、また女人や、賎しき者たちをも区別せずに受け入れておるのであろう。仏の前ではすべての人びとに区別はない。われらもそこを学ぶべきだとわたしは、ずっというてきた」

「そのとおりでございます。しかし、それは法然のたてまえではないか、とわたしは疑っております」

「では、本心は?」

「選択本願念仏集、に」

「なるほど」

五木寛之『親鸞』



 法然の隠された本心は「選択本願念仏集」にあり。

 ふむふむ、じゃあ選択本願念仏集ってどんな危険な思想が盛ってあるのだろう?

 …となります。

 五木寛之さんの『親鸞』が好評なのは、ひとつにはこうした専門的な分野に素人の私のような読者を誘ってくれるたくみな筆致にもありそうです。

 さっそく前回もお世話になった松岡正剛さんの文章を参照してみましょう。



 『選択本願念仏集』がどういう構成になっているかというと、ざっといえば、最初に道綽の『安楽集』にもとづいて仏教を「聖道門」と「浄土門」に分け、深遠難解な哲理による聖道門はあまりにも困難な修行がともなうが、往生を重視するなら浄土門に帰入すべきだということを述べます。

 ついで、浄土に往生するには善導の『観経疎』に大いに注目すべきだということを何度も強調する。引用も多くなります。そして称名念仏の重要性を「正行・雑行」などの分類をもって説明しながら、その発心は「至誠心」「深心」「廻向発願心」という三心(さんじん)によっているのだから、それをもって「恭敬修・無余修・無間修・長時修」といった四修(ししゅ)に臨むといいというふうに解説していく。

 三心は阿弥陀仏の浄土に往生したいと思う気持ちの持ち方のこと、四修は浄土宗には安心(あんじん)・起行(きぎょう)・作業(あごう)という実践プログラムがあるのですが、その作業のメソッドのことです。

 だいたいこのようなことを説いていって、そこから阿弥陀仏とはどういうものであるかというクライマックスにさしかかり、さきほど説明した「散善」との関係を説くのです。これを何度かにわたって多重に「選択」していく。それが『選択本願念仏集』の構成であって、仕組みです。





 なるほど、これは親切です。簡単にいうと構成的にはこうなってるということでしょうか。


1 修行には難しいのと簡単なのがありますが、簡単な浄土門でも効果があります
2 三心の核心を説いてるお経を拾い読みしてみよう
3 今読んだことをさっそく四修で実践してみよう
4 分かった!つまり阿弥陀仏ってこうなんだ!



 よく本屋に並んでる「今日からやさしく始める○○入門」というのにてる気がします。



 どうもこれを読む限り別段危ないことはなさそうに思います。

 どうやら仏説そのものの危うさというよりは、偉い人も悪人も仏の前ではみな平等だし、悪人であっても念仏を唱えれば往生できるという考え方が、当時の社会不安背景にして社会的権威、宗教的権威を失墜させ、社会秩序を混乱させる温床になるのではないか、というのが正解のようです。

 いわば、悪人向けにハウツー本を書いて出版しちゃったことが危険だということでしょう。『国税OBが伝授する 税務署をギャフンと言わせる脱税のやり方』とか、『元刑事が教える カンタン改造拳銃の作り方』とかそういう本が危険だというのと似てるかもしれません。

 悪人向けである、というのが良禅のいう「選択本願念仏集」にあらわれた法然の「本心」というわけです。


 思想性の危険を感知する良禅の視線は、法然思想をさらに深読みして実践しようとしている親鸞に向けられます。


「善信(親鸞)は師の教えの示した道を、さらに一歩ふみだすことで、もっとも忠実な弟子となろうとしているのではないでしょうか」

「さらに一歩とは?」

「悪人、善人の区別さえつけないという考えのように思えます」

「なるほど」

 慈円はため息をついていった。

「それは、とほうもなく危うい考え方だ」

 良禅はうなずいた。

五木寛之『親鸞』




 さて、だんだんとこの読書メモのテーマである親鸞が法然から受け継いだものが表に出てこようとしています。


 悪人、善人の区別さえつけないという考えは何がそんなに危ないのでしょうか。




続く…
ゆっきー
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