親鸞は法然に仕えるようになりますが、妻の恵信は親鸞に言います。
- 「(法然様は)世間のもっとも低いところに暮らしている人びとにむけて念仏を説かれる一方で、九条家をはじめとする身分の高い貴族や、高位高官のかたがたにも、決して背をむけようとはなさらない。わたしは最初、それが不思議でならなかったのです」
親鸞は妻に頷いて、仏教の開祖釈尊その人が、盗人や遊女世間で卑しまれている人びととも家族のように接しながらも国王や貴族、商人や富豪にもこだわりなく自分の信念を説いたことを思いおこします。
しかしそうは思っても、やはり親鸞自身の中にもなぜ法然が旧仏教と全面的に対立することを避け、支配階級ともうまくやっていこうとするのかその真意は図り兼ねていました。
親鸞の妻が感じたこの法然の態度は、後に法然最古参の弟子である信空によって直裁に語られることとなります。
入門してまだ四年ほどの親鸞が、何十年仕えている高弟でさえ許されるものが稀だった法然の
『選択本願念仏集』の写経を許されることとなり、同席した信空は法然に訊ねられて法然の心を親鸞の前で推量します。
- 「あなたさまは、天台のお山をおりられたが、けっしてお山を去られたかたではない。こうしてちまたに念仏を説かれていても、やはりお山の子なのではありますまいか。家をつぐ子もいる。家を出る子もいる。お上人さまはあたらしい仏の道を求めて、家出をなされた。そして家風とは異なった教えを説かれてはいるが、どこかに生家のきずなを引きずっておられるのでしょう。」
ここからは、五木寛之さんの小説を読んだ私の感想になります。
悪人には悪人に生まれたが故の苦しみがあります。今現在極悪人として生きている者たちも、もし貴族の家に生まれていてば盗みや殺しなどはしないでも生きられた。そういう生まれながらの社会的環境の絶対性(『マチウ書試論』で吉本隆明のいう「関係の絶対性」)が、今の悪人を作り出している。
悪人は善人に比べて圧倒的に不利な、社会的に規定された外部的要因を背負って行きているわけです。
それゆえにこそ親鸞は「悪人正機」を説くのです。
生まれが良かったばかりに悪事に手を染めることを強要されなかった、恵まれた存在である善人が往生するのであるからして、生きて行く上での障害のより大きな悪人が自分の運命に苦しんで頑張って生きているにもかかわらず、彼らが往生できぬわけがない。
このように考えれば悪人が成仏するなんてもっての外、という考え方はいったん退けることができるでしょう。いったんというのは、そうした外部的な要因に甘えてしまって悪事を行うことに開き直ってしまった悪人はどうなるか、という問題はいぜんとしてあるからです。
しかし、この自分ではどうしようもない環境という視点を導入することで見えてくるものも大きいと思います。
私は、
法然には生まれが良かったゆえの苦しみはなかったのだろうか、と考えました。
生まれが悪かった故の苦しみは分かりやすいです。しかし、この世の定め、世間のルールにがんじがらめになった地位ある人のその生まれゆえの不自由さという不幸もあると思うのです。
法然は一切を捨てずに、
そうした社会的責任を捨てることが叶わず今ある自分の社会的環境を、悪人と同じように背負って行かねばならない善人たちの苦しみをも見放さないでいた、と言えないでしょうか。
現代社会を生きる善人にもどうしようもない逃れられない悪があります。例えば会社に強要されて不正や犯罪行為に手を染める、断れば会社を首になって家族が路頭に迷うなどの苦悩は想像のしすぎではなく、多分目に見えているよりもはるかに多く表社会に潜んでいると思います。
自分が誰かをいじめないと、自分自身がいじめられる、そのために心ならずもいじめに加担してしまう子どもは、善人の社会の中での関係の絶対性に苦しんでしまいます。
(だんだん『地下鉄のない街』になっちゃいましたが(笑))
法然の善と悪との両方に足を突っ込んだ生き方にはそうした苦悩がありそうに私は思いました。
さて、親鸞は師匠のそうした態度から何を学んだのでしょうか。
続く…