地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街84 Mさんの真意?

「じゃあ、三人は結局Mさんには何かを確認するというより、反対に三人それぞれに嘘を指摘されちゃったわけね」

 皆川君は顔を上げると、ポニーテールを崩した別人のように艶っぽい春日井先生をみて少しびっくりしたようだった。

「ええ、そうですね。一番ショックを受けてたのがKでした。KとしてはMさんが僕のことを好きだということが何かの間違いであることを確認して、もし何かの成り行きで自分の本心と違うことを言ったのだとしたら、Mさんへの自分の思いを僕たちがいる前ではっきり告白するつもりだったのかもしれません。」

 うんうんと先生は軽く頷く。



「結局Mさんは誰が好きだとかはっきり言ったの?」

「Kが聞くと『T君に伝えたとおり』って言いました」

「皆川君のことが好きということか」

「そういうことになってしまいました。Kとしては出鼻をくじかれた上に、さらにMさんから、『実はあたしのことが好きだなんて冗談でしょ』っていう意味のことを言われちゃったわけです」

「皆川君はその心、分かる?」

 春日井先生は何か思うところがあるらしかった。


「たぶんMさんの性格からして…」

 皆川君は少し考えてから口を開いた。


『普段は多少気になるなと思ってたにせよ、白黒つけたいとか、いっそのこと告白しようとかドタバタするのは、あたしが皆川君のことが好きだっていう話を聞いたせいでしょ。自分からそういう告白するんじゃなくて、人に取られそうで初めて自分の気持伝えようなんて、そんなの好きだなんて言えないし、どこか不純。バカにしないで』



「こんなところでしょうか」

「あたしもそんなところかなと思ったわ。そういうこと考える子なの?Mさん」

「はい」

「ちょっとキツイかしら…」

「いえ、そういうところも…」

「かわいいの?」

「……」

「みんなそう思ってるんだ」

「はい」

 先生は苦笑した。



「じゃあ、まあそれはそれでいいのか…。問題はその後ね…。なんでまたそういうやり取りがあったのに、MさんとK君は付き合うようになったのか…。それと、たぶん皆川君のことをタイプは違えども男として好きだったはずのK君が皆川君いじめるようになったか…。K君とはその後話はしたの?」

「は…い」



 皆川君は再び下を向いて黙ってしまった。

地下鉄のない街85 Kの変貌

「しばらくたってから、そうですね、MさんとKが付き合ってるって噂がで始めた頃ですね。僕は昼休みに廊下で呼び止められて、Kは『どうして付き合うようになったのか聞かないのか』って僕に言いました」

「うん。聞いてみたの?」

「はい。不思議だな、どうしてだって」

「何て?」

「三人でMさんを問い詰めることが不発というか、尻切れとんぼになっちゃって、もう帰ろうかって僕たち三人はバツの悪い思いをしながら退散しようとしてたんですよ」

「うん」

「その時MさんがKを呼び止めたんです。『K君』って」

「二人で話したいという感じ?」

「はい。僕もTと顔を見合わせて、そういう感じだと思ったので二人で先に帰ることにしました」

「その後に、付き合ってもいいわよ、みたいな話になったということね」

「そう言ってました。Kとしては当然何でだろうと思ったということでした。Mさんはそれについてはあっさりと、K君のことも嫌いじゃないしね、というようなことを悪びれもなく言ったそうです」

「ふ~ん。会ったことがないからわからないけど、きっとそういうのが通用しちゃうキャラなのね」

「まあ、そういうことです」




 春日井先生は皆川君の両手に握られたマグカップを覗き込み、空になっているのを確認してそれを受け取った。

「もう一杯コーヒーいただくわ。皆川君は?」

「あ、はい。お願いします」

 皆川君の顔に少し笑みがさした。




「じゃあ、とりあえずは二人は仲良く順調に…?」

 両手にカップを持ってこぼさないように先生がそっと歩いてきて、右手に持ったマグカップを皆川君に差し出す。

「そうですね。いや、そう思ってたんですけど、Kはさっそく悩んでました」

 軽くお辞儀をしてマグカップを受け取った皆川君はまた、風車を吹くように湯気を飛ばす。

「やっぱりMさんの愛情感じられないみたいな?」

 先生は唇をすぼめてシャボン玉を膨らます。

「う~ん。それもあったのかもしれないんですが、Kは『自分がどんどんおかしくなっていく』といらだってましたね」

 先生のシャボン玉を膨らます息が止まった。何か感じるものがあったらしい。





「どんな風に?」

「そうですね。それは確かに僕からみてもそう見えました。Mさんと付き合い始めてからのKは変わったかな、良くない方向に・・・」

「周りにも分かっちゃうくらいに変わった・・・」

「はい。僕だけでなくて、クラスの全員がそう思っていたと思います。口には誰も出しませんでしたが」

「あれれ、MさんがK君の精気を吸い取っちゃったかしら」



 春日井先生はじょうだんのつもりだったのだろうけど、皆川君は笑わなかった。

「そうですね。そうなのかもしれません。とにかくクラス一の人気者だったKが、みんなから避けられるようになりましたから…」



 先生は黙って頷きながら、またシャボン玉を膨らませるようにコーヒーの湯気を飛ばし始めた。先生にとってはK君の変貌は何か心当たりがあるようだった。

地下鉄のない街86 僕のせい?

「K君が変わったって、もう少し具体的に聞いていい?」

 さっきと同じように先生は窓の桟にお尻をちょこんと乗せてコーヒーを啜る。

「あ、はい。・・・そうですね、やっぱり生き生きしたところがなくなりましたね。活発さ、明るさ、エネルギーがなくなったみたいな」

「K君は自分では何が変わったって?」

「前みたいに空気が読めなくなったって」

「それまではそうじゃなかった?」

「そうですね。空気を読むことに関してはKは天才的でしたね。相手に気を使うとかいうレベルじゃなくって、その一歩も二歩も先をいくような感じ。個別に一人一人なに考えてるか、どんな気持ちか正確に把握するだけじゃなくて、微妙に、というか絶妙にその場の全員の空気を調整できるんです。いやできたんです、Kは。完璧に」

「どんな時?」

 先生は皆川君の熱心にしゃべる様子に相槌を打つ。




「例えば誰かクラスで委員を決める時とか、十個くらい委員を決めなくちゃいけない時なんか、みんな勝手なこと言い出して大変ですよね」

「そうね。あの委員は絶対嫌だとか、あいつと一緒ならやってもいいとかね」

「そうですね。そういう時Kが仕切るとごく短時間でさっと決まるんです。みんな気持ち良く何の後腐れもなく、最初は委員をやるなんて考えてもいなかったやつまで、気持ち良く引き受けたり・・・まるで最初からその委員に立候補したみたいに」

「へえ、それはすごい才能だわ。教師でも、いや普通の教師になんか絶対無理かも」

「ですよね、神業と言ってもいいんです。そういうのが…」

「なくなっちゃったんだ」

「はい。それで…」

「ん?それでどうしたの?」

 皆川君はまた下を向いてしまった。そしてそれについて何か考えていたようだが大きく頭を何度も振った。




「やっぱり理解できません」

「どういうこと?」

「Kはそれが僕のせいだって、はっきりは言わなかったんですけど…」

「そう言いたそうだった?」

「はい」



 皆川君はまた大きく一度頭を横に振った。

地下鉄のない街89 Mさんの言葉

「Kが事件を起こしてしまって学校は蜂の巣をつついたようになったわけですけど、そんな中で事件の裏にはKとMさんとの、なんていうか週刊誌的に言うと"男女のもつれ"みたいのがあったらしいって噂が広まりました」

「どっから噂になったんだろう…」

「どうやらKの日記帳か何かを見たKの親が、うちの息子をこんな風にさせたのはあの女子生徒だ、みたいに学校に訴えたらしいです。これも噂なんですけど」

「うん。まああり得る話かもね」

「どんなことが書いてあったのかしらね」

「わかりません。もしかしたら僕のことも書いてあったかもしれませんね」

 ふぅっと春日井先生がため息をついた。




「ややこしい話になったわね。Mさんはどうなったの?」

「クラスでもその話で持ちきりで、教室にMさんが来ると授業にならないとかあって、Mさんはいわゆる保健室登校っていう形になりました」

「そっか」

「保健室の先生というのが、養護の先生でもあり、スクールカウンセラーの資格もあって、Mさんはそこで毎日カウンセリングを受けてたみたいです」

「Mさんに聞いたの?」

「はい。時々電話で話をしましたから」

「そう…」

「午前中カウンセリングがあって、それ以外は一応普通のクラスで当日行われている授業の内容について、課題みたいなのを提出するということみたいでした。空いた時間には静かに本でも読んでるっていう感じで」

「Mさんはどう思ってたんだろ」

「退屈だって言ってました」

「K君のことは?」

「悪いとはもちろん思うけど、K君の方でだんだん壊れて行ってしまったと言ってましたね。K君の方でも殴るまでいかなくても、多少暴力的なこともあったそうです」

「Mさんに?」

「そうらしいです」

「カウンセリングでちゃんと言ったのかしら」

「それが言わなかったらしいですよ」

「なぜ?」

 皆川君は一瞬言い淀んだ。




「ん…どうしたの?」

「あ、すいません。保健室の先生は所詮学校の手先だから言いたくない…と」

 春日井先生が右手を口元にもっていき苦笑した。

「そっか」

「いえ、すいません。先生は別ですけど、話を聞いて僕も憤慨しました。ちょうど警察の調書作るみたいな感じであらかじめ用意されてる、『あたしが悪かったです、反省してこれからはまっとうな学校生活送ります』みたいな反省文を書くのがカウンセリングみたいだったようなんです」

「なるほどね、ありそうな話だわ」

 先生は外国映画にあるような、オーマイガーみたいな仕草をした。それを見て皆川君も少し笑った。




「皆川君は?枯葉になってたのね」

「はい。でもどこからか僕とMさんのことも噂になって、陰湿ないじめが続きました」

「そっか…。どんなことかは言わなくていいわよ。思い出したくないだろうから」

「はい…」

 皆川君は下を向いて拳を握っていた。




「僕は卒業までそうしているのも僕の罰みたいなものだと思っていましたけど、うちの親とMさんの親が話し合って、この際本当の解決ではないかも知れないけど、お互い別々の学校でやり直した方がいいんじゃないかということになりました。」

「そっか、それでうちの高校に…」

「ええ、学校も申し出があったら渡りに船みたいな感じです。あれよあれよという間に転校が決まりました」

「そっか、じゃあ、Mさんとはちゃんと話しできなかったのかな」

「そうですね、もう二度と会わないと硬く相互の両親に約束させられましたから」

「そう…。じゃあそれっきり?」

「はい。最後に手紙もらいました」

「うん」

「こんな言葉が書いてありました」




 皆川君へ

私は別の選択をするもう一人の私のために、
もう一人の私を生み出すために、
もう一人の私の人生のために、
転校を受け入れることにしました。

それを選択することはこれまでの私の否定であり、
これまでの私の「死」を意味します。
この私が私に死をもたらそうとすることで、
もう一人の私が誕生することでしょう。
この私は私を犠牲とすることで、
もう一人の私に新たな生をもたらすのです。






「正直よく分からなかったです。でも不思議と忘れられない言葉で、こうやって一字一句正確に覚えてしまいました。いつか多分、この言葉の本当の意味を正確に理解できる時が来るんだろうなって、そんな予感がするからです。その時僕はきっと…」





 皆川君が言葉を飲み込んだ。




「先生!だいじょうぶですか、先生!」

 春日井先生が真っ青な顔をして、そのまま皆川君の足元のベッドに崩れ落ちるようにして気を失った。
ゆっきー
地下鉄のない街 第一部完結
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