地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街81 Mさんのこと

「Kには好きな子がいました。同じクラスのMさんという子です。そう言えば今思ったんですけど雰囲気が何となく先生に似てるかも知れません。そうですね、すごく的を得た言葉をさらっと、こっちが注意していないと聞き逃してしまうような、めったに同世代からは、いや大人からも聞けないようなことをたまに言うんです。それでいて、もったいつけたような感じがない。「え?なんか今すごいこと言ってなかったお前」ってKはときどき言ってましたね。そういう時は僕もハッとしました。でも彼女は、え?何のことって感じでもう次の話題に話が移ってたりするんです。ええ、もちろんとてもかわいい子でしたよ。かわいくてどこか、一瞬だけ凄みのあるというかな、いったいどんな経験をしてどんなことを感じて生きてきたのかなって思わずにはいられないような、Kも僕もMさんだけにはどうしたってかなわないなって心の底で思ってました。彼女は人の心のよくわかる、人から何かを虚心に学ぼうという謙虚さに溢れてました。でもたぶん根本のところで他の人が立ち入れない聖域のようなものを持っている感じでした。そこだけはどうやっても到達できないような、そこがまた彼女の魅力を揺るぎないものにしてたし、男からすると、その全体的な可愛らしい雰囲気とのミスマッチがとどうしても抗い難い魔力のようなもになってるように感じました」

 病室の白い壁をぼんやり見つめながら一気にしゃべった皆川君は、春日井先生の方を見た。自分の思い出を先生の中に投影しているのだろうか。少し放心したような感じだった。




「皆川君もMさんのことが好きだったの?」

 少しはにかんで皆川くんは笑った。



「はい。そうでした。でもどうしたらいいか分かりませんでした。Kのことがありましたし」

「KくんのMさんへの思いに遠慮した?」

「遠慮という偉そうなものじゃないです。だってMさんにふさわしいのはKでしたし」

「うーん」春日井先生は小さく腕組みをして首をかしげた。



「彼女の気持ちはどうだったのかしら」

 先生の目が皆川君を覗いた。

「彼女は…Mさんは、僕のことが好きだったらしいです」

「告白されたの?」

「いえ、人から聞きました」

「クラスの子?」

「はい。Kが転校する事件を引き起こすきっかけになったTから聞きました。Kとは違ったタイプの不良、なんというか粗暴で嫌われ者の不良と言ったところです」

 二度先生が頷いた。


「じゃあ、T君の話を聞かせて。なぜMさんの気持ちを彼が知ってたのかも」

「はい」






「あ、先生」

 皆川くんは思い出したように声を上げた。

「Mさんが先生に似ているところがわかりました」

「どこかしら」

「ええと、さっき誰も触れられない聖域があるって言いましたけど、それは人を寄せ付けない聖域っていうのじゃないんです。刺々しくもないし変な硬さもない。何かブロックしてる雰囲気も全然ないんです。だれでも簡単に近寄れるようにそれはふとしたときに見え隠れするんです、Mさんの中に自然と。でもその聖域を見てしまったらもう二度と・・・」



「こっち側の世界に戻ってこれなくなる…のかしら」

 あのもう一人の春日井先生の吸い込まれそうな透明で底知れない綺麗な表情で先生は言った。

 皆川君が前の学校で観たMさんの笑い顔は、きっとあんな顔だったのかもしれないなと僕は思った。

地下鉄のない街84 Mさんの真意?

「じゃあ、三人は結局Mさんには何かを確認するというより、反対に三人それぞれに嘘を指摘されちゃったわけね」

 皆川君は顔を上げると、ポニーテールを崩した別人のように艶っぽい春日井先生をみて少しびっくりしたようだった。

「ええ、そうですね。一番ショックを受けてたのがKでした。KとしてはMさんが僕のことを好きだということが何かの間違いであることを確認して、もし何かの成り行きで自分の本心と違うことを言ったのだとしたら、Mさんへの自分の思いを僕たちがいる前ではっきり告白するつもりだったのかもしれません。」

 うんうんと先生は軽く頷く。



「結局Mさんは誰が好きだとかはっきり言ったの?」

「Kが聞くと『T君に伝えたとおり』って言いました」

「皆川君のことが好きということか」

「そういうことになってしまいました。Kとしては出鼻をくじかれた上に、さらにMさんから、『実はあたしのことが好きだなんて冗談でしょ』っていう意味のことを言われちゃったわけです」

「皆川君はその心、分かる?」

 春日井先生は何か思うところがあるらしかった。


「たぶんMさんの性格からして…」

 皆川君は少し考えてから口を開いた。


『普段は多少気になるなと思ってたにせよ、白黒つけたいとか、いっそのこと告白しようとかドタバタするのは、あたしが皆川君のことが好きだっていう話を聞いたせいでしょ。自分からそういう告白するんじゃなくて、人に取られそうで初めて自分の気持伝えようなんて、そんなの好きだなんて言えないし、どこか不純。バカにしないで』



「こんなところでしょうか」

「あたしもそんなところかなと思ったわ。そういうこと考える子なの?Mさん」

「はい」

「ちょっとキツイかしら…」

「いえ、そういうところも…」

「かわいいの?」

「……」

「みんなそう思ってるんだ」

「はい」

 先生は苦笑した。



「じゃあ、まあそれはそれでいいのか…。問題はその後ね…。なんでまたそういうやり取りがあったのに、MさんとK君は付き合うようになったのか…。それと、たぶん皆川君のことをタイプは違えども男として好きだったはずのK君が皆川君いじめるようになったか…。K君とはその後話はしたの?」

「は…い」



 皆川君は再び下を向いて黙ってしまった。

地下鉄のない街85 Kの変貌

「しばらくたってから、そうですね、MさんとKが付き合ってるって噂がで始めた頃ですね。僕は昼休みに廊下で呼び止められて、Kは『どうして付き合うようになったのか聞かないのか』って僕に言いました」

「うん。聞いてみたの?」

「はい。不思議だな、どうしてだって」

「何て?」

「三人でMさんを問い詰めることが不発というか、尻切れとんぼになっちゃって、もう帰ろうかって僕たち三人はバツの悪い思いをしながら退散しようとしてたんですよ」

「うん」

「その時MさんがKを呼び止めたんです。『K君』って」

「二人で話したいという感じ?」

「はい。僕もTと顔を見合わせて、そういう感じだと思ったので二人で先に帰ることにしました」

「その後に、付き合ってもいいわよ、みたいな話になったということね」

「そう言ってました。Kとしては当然何でだろうと思ったということでした。Mさんはそれについてはあっさりと、K君のことも嫌いじゃないしね、というようなことを悪びれもなく言ったそうです」

「ふ~ん。会ったことがないからわからないけど、きっとそういうのが通用しちゃうキャラなのね」

「まあ、そういうことです」




 春日井先生は皆川君の両手に握られたマグカップを覗き込み、空になっているのを確認してそれを受け取った。

「もう一杯コーヒーいただくわ。皆川君は?」

「あ、はい。お願いします」

 皆川君の顔に少し笑みがさした。




「じゃあ、とりあえずは二人は仲良く順調に…?」

 両手にカップを持ってこぼさないように先生がそっと歩いてきて、右手に持ったマグカップを皆川君に差し出す。

「そうですね。いや、そう思ってたんですけど、Kはさっそく悩んでました」

 軽くお辞儀をしてマグカップを受け取った皆川君はまた、風車を吹くように湯気を飛ばす。

「やっぱりMさんの愛情感じられないみたいな?」

 先生は唇をすぼめてシャボン玉を膨らます。

「う~ん。それもあったのかもしれないんですが、Kは『自分がどんどんおかしくなっていく』といらだってましたね」

 先生のシャボン玉を膨らます息が止まった。何か感じるものがあったらしい。





「どんな風に?」

「そうですね。それは確かに僕からみてもそう見えました。Mさんと付き合い始めてからのKは変わったかな、良くない方向に・・・」

「周りにも分かっちゃうくらいに変わった・・・」

「はい。僕だけでなくて、クラスの全員がそう思っていたと思います。口には誰も出しませんでしたが」

「あれれ、MさんがK君の精気を吸い取っちゃったかしら」



 春日井先生はじょうだんのつもりだったのだろうけど、皆川君は笑わなかった。

「そうですね。そうなのかもしれません。とにかくクラス一の人気者だったKが、みんなから避けられるようになりましたから…」



 先生は黙って頷きながら、またシャボン玉を膨らませるようにコーヒーの湯気を飛ばし始めた。先生にとってはK君の変貌は何か心当たりがあるようだった。

地下鉄のない街86 僕のせい?

「K君が変わったって、もう少し具体的に聞いていい?」

 さっきと同じように先生は窓の桟にお尻をちょこんと乗せてコーヒーを啜る。

「あ、はい。・・・そうですね、やっぱり生き生きしたところがなくなりましたね。活発さ、明るさ、エネルギーがなくなったみたいな」

「K君は自分では何が変わったって?」

「前みたいに空気が読めなくなったって」

「それまではそうじゃなかった?」

「そうですね。空気を読むことに関してはKは天才的でしたね。相手に気を使うとかいうレベルじゃなくって、その一歩も二歩も先をいくような感じ。個別に一人一人なに考えてるか、どんな気持ちか正確に把握するだけじゃなくて、微妙に、というか絶妙にその場の全員の空気を調整できるんです。いやできたんです、Kは。完璧に」

「どんな時?」

 先生は皆川君の熱心にしゃべる様子に相槌を打つ。




「例えば誰かクラスで委員を決める時とか、十個くらい委員を決めなくちゃいけない時なんか、みんな勝手なこと言い出して大変ですよね」

「そうね。あの委員は絶対嫌だとか、あいつと一緒ならやってもいいとかね」

「そうですね。そういう時Kが仕切るとごく短時間でさっと決まるんです。みんな気持ち良く何の後腐れもなく、最初は委員をやるなんて考えてもいなかったやつまで、気持ち良く引き受けたり・・・まるで最初からその委員に立候補したみたいに」

「へえ、それはすごい才能だわ。教師でも、いや普通の教師になんか絶対無理かも」

「ですよね、神業と言ってもいいんです。そういうのが…」

「なくなっちゃったんだ」

「はい。それで…」

「ん?それでどうしたの?」

 皆川君はまた下を向いてしまった。そしてそれについて何か考えていたようだが大きく頭を何度も振った。




「やっぱり理解できません」

「どういうこと?」

「Kはそれが僕のせいだって、はっきりは言わなかったんですけど…」

「そう言いたそうだった?」

「はい」



 皆川君はまた大きく一度頭を横に振った。
ゆっきー
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