地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街89 Mさんの言葉

「Kが事件を起こしてしまって学校は蜂の巣をつついたようになったわけですけど、そんな中で事件の裏にはKとMさんとの、なんていうか週刊誌的に言うと"男女のもつれ"みたいのがあったらしいって噂が広まりました」

「どっから噂になったんだろう…」

「どうやらKの日記帳か何かを見たKの親が、うちの息子をこんな風にさせたのはあの女子生徒だ、みたいに学校に訴えたらしいです。これも噂なんですけど」

「うん。まああり得る話かもね」

「どんなことが書いてあったのかしらね」

「わかりません。もしかしたら僕のことも書いてあったかもしれませんね」

 ふぅっと春日井先生がため息をついた。




「ややこしい話になったわね。Mさんはどうなったの?」

「クラスでもその話で持ちきりで、教室にMさんが来ると授業にならないとかあって、Mさんはいわゆる保健室登校っていう形になりました」

「そっか」

「保健室の先生というのが、養護の先生でもあり、スクールカウンセラーの資格もあって、Mさんはそこで毎日カウンセリングを受けてたみたいです」

「Mさんに聞いたの?」

「はい。時々電話で話をしましたから」

「そう…」

「午前中カウンセリングがあって、それ以外は一応普通のクラスで当日行われている授業の内容について、課題みたいなのを提出するということみたいでした。空いた時間には静かに本でも読んでるっていう感じで」

「Mさんはどう思ってたんだろ」

「退屈だって言ってました」

「K君のことは?」

「悪いとはもちろん思うけど、K君の方でだんだん壊れて行ってしまったと言ってましたね。K君の方でも殴るまでいかなくても、多少暴力的なこともあったそうです」

「Mさんに?」

「そうらしいです」

「カウンセリングでちゃんと言ったのかしら」

「それが言わなかったらしいですよ」

「なぜ?」

 皆川君は一瞬言い淀んだ。




「ん…どうしたの?」

「あ、すいません。保健室の先生は所詮学校の手先だから言いたくない…と」

 春日井先生が右手を口元にもっていき苦笑した。

「そっか」

「いえ、すいません。先生は別ですけど、話を聞いて僕も憤慨しました。ちょうど警察の調書作るみたいな感じであらかじめ用意されてる、『あたしが悪かったです、反省してこれからはまっとうな学校生活送ります』みたいな反省文を書くのがカウンセリングみたいだったようなんです」

「なるほどね、ありそうな話だわ」

 先生は外国映画にあるような、オーマイガーみたいな仕草をした。それを見て皆川君も少し笑った。




「皆川君は?枯葉になってたのね」

「はい。でもどこからか僕とMさんのことも噂になって、陰湿ないじめが続きました」

「そっか…。どんなことかは言わなくていいわよ。思い出したくないだろうから」

「はい…」

 皆川君は下を向いて拳を握っていた。




「僕は卒業までそうしているのも僕の罰みたいなものだと思っていましたけど、うちの親とMさんの親が話し合って、この際本当の解決ではないかも知れないけど、お互い別々の学校でやり直した方がいいんじゃないかということになりました。」

「そっか、それでうちの高校に…」

「ええ、学校も申し出があったら渡りに船みたいな感じです。あれよあれよという間に転校が決まりました」

「そっか、じゃあ、Mさんとはちゃんと話しできなかったのかな」

「そうですね、もう二度と会わないと硬く相互の両親に約束させられましたから」

「そう…。じゃあそれっきり?」

「はい。最後に手紙もらいました」

「うん」

「こんな言葉が書いてありました」




 皆川君へ

私は別の選択をするもう一人の私のために、
もう一人の私を生み出すために、
もう一人の私の人生のために、
転校を受け入れることにしました。

それを選択することはこれまでの私の否定であり、
これまでの私の「死」を意味します。
この私が私に死をもたらそうとすることで、
もう一人の私が誕生することでしょう。
この私は私を犠牲とすることで、
もう一人の私に新たな生をもたらすのです。






「正直よく分からなかったです。でも不思議と忘れられない言葉で、こうやって一字一句正確に覚えてしまいました。いつか多分、この言葉の本当の意味を正確に理解できる時が来るんだろうなって、そんな予感がするからです。その時僕はきっと…」





 皆川君が言葉を飲み込んだ。




「先生!だいじょうぶですか、先生!」

 春日井先生が真っ青な顔をして、そのまま皆川君の足元のベッドに崩れ落ちるようにして気を失った。

地下鉄のない街90 先生の秘密

「先生どうしたんですか、先生しっかりしてください」

 慌ててベッドから起き上がった皆川君は、ベッドに崩れ落ちるようにうつ伏せになった春日井先生の背後に回って肩を抱いた。
 倒れこんだ時のような顔の青さは徐々に退いて、表情には眠っているような穏やかな表情が現れた。それを確認した皆川君は先生の左脇のしたに手をくぐらせ、華奢な先生を抱くようにしてベッドの上に寝かせた。

 ちょうどけが人の皆川君が、見舞いに来た先生を看るような格好になってしまった。





「先生、ナースコールしますからちょっと待ってくださいね」

 ようやくホット一息つけたところで皆川君が眠ったままの先生に声をかけて枕元のボタンに手を延ばした。



「ごめん。もう大丈夫だから呼ばなくていいわ」

 春日井先生が自分のひたいに手をやって、ふーぅっと深呼吸して言った。



「気がついたあ、よかった」

 皆川君の安堵の声に応えるように、先生が起き上がろうとした。



「ちょっと待ってください。なんか逆になっちゃって変なんですけど、しばらくそうしていて下さい。先生は平気って言いましたけど、僕心配です」

 先生は笑って首を振りながら状態を起こした。



「ごめんね、大丈夫なのよ。実はよくある発作なの」

 発作という言葉に皆川君顔が曇る。

「どこかからだお悪いんですか」

「違うのよ、精神的なものなの。こういう発作みたいな症状なんだけど体の方が原因じゃないのよ」

「そう…ですか…」

 精神的なもの…。もちろん皆川君も僕も知らないことだった。先生は少しためらった様子だったけれど、話し始めた。



「実はね、これは学校への書類の既往症欄にも申告してないんだけど、あたしはまだ学生の頃から精神科の医者にずっとかかってるの」

「え、あ…すみません」皆川君は驚いて声をあげた後慌てて謝った。



「いいのよ。生徒の体や心のケアする保健室の先生が精神科に通院してるなんて驚くわよね」

 自嘲気味に言った春日井先生は体を完全に起こして、ベッドに腰掛けながら、足を床につけた。



「ごめんね、びっくりしたでしょ。さっきのMさんの言葉が引き金になったみたい」

「ごめんなさい、ぼく…」

「あ、ごめんなさい、そういう意味じゃないのよ。ちゃんと説明するわ」

 先生は自分の横のベッドのスペースをポンポンと叩いた。



「座って。ごめんね、皆川君のベッド取っちゃって」

 やっと先生らしい笑い顔に戻った様子をみた皆川君は、頷いて横に座った。




「じゃあ、もう一回あたしが話す番ね」

「はい」



 皆川君は隣の先生の目を不安げに覗いた。

地下鉄のない街82 男らしさ

「Tは根が単純で分かりやすいやつでした。彼の考え方や行動の価値基準は一言でいうと"男らしさ"ってことに尽きるんです」

 少しうんざり顔で皆川君はベッドの白いシーツをポンと叩いた。



「粗暴な不良の男らしさ…ね」

 春日井先生も苦笑する。皆川君の気持ちがその一言で十分に伝わったようだった。


「Tが教室で何かというと大きな声を出したり乱暴な言葉を使ったり女の子に嫌がらせをするのも、彼にとっては男らしさということみたいだったんです」

 今度はため息混じりだ。


「なんかそのMさんと衝突しそうね」

「まさにそういうことが起きたんです。僕はその場にいなかったんですが、Mさんは何かのきっかけでTのそういう態度に腹を据えかねて、Tのやってることの愚かしさを教室のみんなの前で延々と叩きのめしたらしいです。しかもかわいく…」

「かわいく叩きのめした…」

 春日井先生が大きな声で笑いそうになるのをこらえながら頷く。


「先生分かるでしょ、その光景が。あのTがあのMさんに…かわいく…」

 皆川君はつられて笑いが止まらない。


「それでT君は?」

 激しく頷きながら先生がフチなしのメガネを外してまなじりを抑えた。笑いすぎて涙がでたらしい。


「逆上したTは、じゃあこのクラスで一番男らしいのは誰だって詰め寄ったらしいんです」

「そっか、そうきたか…。」

 笑いにため息が混じり、やっと先生の笑が落ち着いてきた。


「はい。Tは『Kみたいなのが男らしいっていうのか』ってMさんに詰め寄ったらしいです。」

「う~ん。K君に決闘でも申し込みかねないわね」

「はい。でも最初は取り合わなかったMさんだったんですが、逆上したTがあまりにもしつこかったんで名前を言ったんですが…」

「K君ではなかったのね」

「はい」

「皆川君だった」



「そこにいた全員が驚いたそうです。僕にはそれが目に浮かびます。先生はさっき僕のことを好意的に言ってくれましたけど、少なくとも"男らしさ"っていうのはまるでなかったと思います。Mさんの感受性だと当然Tを男らしいと思うことはあり得なさそうですが、思う対象はやっぱり僕じゃなくてKのはずだと思います」

 けれんみもなく言った皆川君に先生は軽く頷く。


「それが我慢ならなくて、皆川君にわざわざ言いにきたんだ」

「はい。よりによってMさんに好意を寄せてるKがいる前でです。『俺は男らしいっていうのがKなら俺のライバルだから許せるけど、男らしいのがお前っていうのは納得がいかない』と…」

「ライバル…」

 今度は春日井先生はおでこに手をやってはっきりため息をついた。


「うん。それで?」

「TはMさんに多分しつこく、『だったらお前は皆川のことが好きなのか』とか問い詰めたんだと思うんです。Mさんがはっきりと皆川君が好きだと言ったTに言ったそうです。Mさんとしては、しつこいTとの話を打ち切るために話を合わせたんじゃないかと」

「実際はどうだったのかしら」

「あまりにもうるさかったのでついにKが『じゃあ、これから三人でMさんのところに確かめに行こう』と言いました」

 皆川君の表情にかすかに苦渋の色がにじむのを春日井先生はちらっと見たあと、視線をそらした。



「内心気が気じゃなかったかな、K君」

「はい・・・多分。ややこしいことになりました」





「コーヒーいただいていいかな」

「あ、どうぞ」

 春日井先生はベッドの脇ある、来客用の白いソーサーに乗ったカップにインスタントコーヒーをサラサラと入れてお湯を注いだ。

地下鉄のない街83 Mさんと春日井先生の魂の交錯

「はいどうぞ」

 二人分のインスタントコーヒーを淹れた春日井先生は、皆川君のマイマグカップをベッドの枕元付近においた。

「ありがとうございます」

 ぺこりとお辞儀をした皆川君は先生に淹れてもらったコーヒーを両手で抱え、楽しそうにふぅっと湯気を飛ばした。その仕草はまるで小さい子供が風車ふぅっと回しているようにも見えて、僕は春日井先生と一緒にいて心底心を開いている皆川君をうらやましいと思った。

 先生はソーサーを手に持って窓際に行き、少し広い桟(さん)にカップを置き、その横のあいた桟のスペースに浅く座るようにお尻をつけてベッドの方を向いた。




「でもさ、Mさん困っちゃうよね。確かめにいくって言ってもさ。何を確かめるつもりだったの?」

 先生も唇をすぼめてコーヒーの湯気を飛ばした。シャボン玉をそっと吹くように少し唇を突き出して吐息をはく先生はとても魅力的だった。


「それなんですよね。要するにTにとっては皆川が男らしいってどういう意味なんだと、もう一回確かめたかったんだと思います。Kにとっては、本当に皆川のことを好きなのかってことを確かめたかった」

「T君はそうね、男らしいのは俺だろって。K君は好きなのは自分じゃなくて皆川なのか?そんなところかしら。皆川君は?」

「僕ですか…。僕は」

 マグカップを見つめながら皆川君は当時を思い出しているようだった。


「僕はたぶん、Mさんのことがもっと知りたかった」

「彼女の聖域、サンクチュアリの正体を確かめたかった?」

「きっとそうだと思います」




 先生は「そう」と小さく言って窓の外を観た。窓に映った先生はあのもう一人の先生のように見えた。



「それでどうなったの?」

 僕の見えるところからは先生の後ろ姿しか見えなかったけど、窓に映った先生が皆川君に話しかける表情がよく観て取れた。皆川君の位置からは先生の横顔が見えるはずだったけど、皆川君はベッドの背もたれに体を預けて正面を観ながら静かに話している。恋人同士の静かなおしゃべりようにも見えてそれよりももっと深い、浮遊した魂と魂が邂逅しているようだった。風車を回した息とシャボン玉を膨らませた息が溶け合って見えた。





「嘘つき」

 ぼんやり異次元の二人の世界を眺めていた僕の耳に、突然皆川君の違和感のある言葉が聞こえた。

 僕はハッとして、春日井先生と皆川君の会話の内容把握しようとした。




「Mさんが皆川君にそう言ったの?」

「はい。僕が『男らしいのはKの方だろ、僕はまともに自己主張すらできない人間なんだ』ってMさんに言った時です。僕にだけでなく、Mさんはそう言ったあと僕、K、T、三人をそれぞれじっと見つめました。三人それぞれ嘘つきだっていうことだったんですね。三人とも確かに嘘をついていたのかも知れません」

「うーん・・・。なるほど・・・ね」

 先生は何かを真剣に考える時の癖の、両手を小さく組んで右手を顎の付近に持ってく仕草をした。




「僕はいわゆる男らしくありたいと心の何処かで思っているのに、そんこと思ってもみないというふりをしてる嘘。Tは男らしさを無理して過剰に演じようとしている嘘。そしてKは自分のMさんに対する好きだっていう気持ちに対する嘘…かな」

「Mさんがそう言ったの?」

「いえ、Mさんは僕たちそれぞれを見て『嘘つき』って言っただけです。冷たい言い方じゃなかった。どうして、嘘なんかついちゃうの?っていう切なそうな眼でした。嘘つくから世の中も自分たちもややこしくなるんだよっていうような…。僕たちの心の中の一番人には見られたくない、でもどこかでずっと誰かに観て欲しいと思ってるような部分にすっと光を当てられたような気持ちだったと思います。少なくとも僕はそうでしたし、TもKもそうだったと思います。」

「そっか」

 春日井先生は顎に当てた手をきゅっと結ぶ。




 春日井先生はカップに残った最後のコーヒーを窓に向かったまま飲み干すとそのまましばらく真っ暗の外を眺めていた。Mさんの言葉の意味を考えているようだった。先生がポニーテールを留めていたシュシュを解いて深呼吸した。

「本当の自分を出しなさいということか…な。Mさんの言っていることは正しいのだろうけど、たぶんそれは恐ろしいことでもあるわね」



 Mさんの魂が春日井先生の魂と交錯し、先生に何かを吹き込んだように見えた。ポニーテールでついたくせを右手の手ぐしでなおしながらこちらを振り返った春日井先生は、あのもう一人の人だった。先生が消えて一人の女の人がそこにいた。



 皆川君はそれにはまだ気がつかず、正面を向いて話を続けた。

「次の日から三人ともそれぞれ変わりました」

「どう変わったの?」

「Tは男らしさの追求をやめておとなしくなりました」

「そう」

「僕はいっそう人から目立たなくなるように、Mさんの言葉を借りればいっそう嘘つきになりました」

「そっか。K君は?」

「Mさんと付き合うようになりました。それと・・・Kは…僕を激しくいじめるようになりました」

 皆川君はマグカップを両手で抱えてうなだれた。




「そう」

 春日井先生は艶やかに唇を小さく動かしただけだった。

 Mさんのサンクチュアリが春日井先生の何かを覚醒させようとしているようで、僕は恐ろしくなった。
ゆっきー
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