翌日やっぱり地下鉄はなかった。
地下鉄の九段下で降りれば千鳥ヶ淵公園はすぐなのに。でも神田までは行ける。ちょっと歩くけどな、千鳥が淵まで。
ニコライ聖堂の横を通って駿河台あたりを過ぎる時予備校生らしい集団とすれ違った。志望校についていといろ大声で話をしている。共通一次試験という言葉が聞こえる。センター試験の間違いではなかった。やはり時間が過去にさかのぼっているようだった。
ぼくはどこに向かって歩いているんだろう。本当に公園に彼女はいるんだろうか。
ああやっと着いたぞ。
ずいぶん歩いたな。しまった、服装の特長とか聞いておくの忘れたから、どの子か分からないや。まぬけだなあ。
「こっちよ」
明るくて、まぶしいかわいい女の子が手招きをしていた。頭が真っ白になる。ありえない。姉さんだ。でも・・・。
「ああ、君が由紀子さん。はじめまして。よくぼくのことが分かったね」
僕はなぜだか姉さんと呼べなかった。姉さんと呼んでしまうと、この現実がすうっと消え去ってしまいそうだったから。
「当たり前じゃない。でも・・・ま、いっか」
姉さんはそんな僕の気持ちを察してくれたようだった。気が付かないふりをするならそれに付き合ってあげようか、そんな風に姉さんの顔がわらった。
空から降る木漏れ日の中、ぼくたちは、恋人同士のように千鳥ヶ淵公園を散歩した。
「いろんな話したねえ。パソコンで」
姉さんがうれしそうに話す。
「そうだね、なんだか初めて会った気がしないや」
生きていればもう姉さんも37歳か。
「初めてじゃないから」
目の前の17歳の姉さんはクククッとわらう。昔のように。おかしさが弾けるように控えめに体の中からわらい声が出てくる。屈託の無い、澄んだ真水のような声。
僕はとりあえず、この姉さんの生き写しの、そして姉さんしか知らない過去を知る人と初めて出会ったという自分を演じることにした。
それは、本当の姉さんと向き合うとこの刹那の幸せが消えてしまうのではないかという不安だけでなく、あれから二十年年経った自分、それなりには成長もした自分を大好きな姉さんにわかって欲しかったからだった。それを成長と呼べるのであればだけどさ・・・姉さん。
僕を知る唯一の人。
これまでも、これからも。
僕が僕であることの唯一の証の姉さんに、会えなかった二十年分のボロボロの僕を知って欲しかったから。
あの頃の思い出を語る前に、姉さんの知らない所で生きてきた僕を知ってほしい。
いつも姉さんが見ていてくれていることだけを支えに生きてきた僕のことを・・・。
かさかさという少し哀しげな音を立てる枯葉を踏みながら、千鳥が淵公園を僕らはゆっくり歩いた。 秋のやわらなか木漏れ日が優しく包んでいた。
「今日も地下鉄なかったでしょ」
「うん、なかった。どうしてなんだろ」
「知りたい?」
「うん。それになんか変だ。この公園歩いているおんなの人の髪型とか、服装とか、ものすごく昔のかんじがする。来る途中に予備校生が共通一次試験って言ってたよ」
17歳の姉さんはそっと頷いた。面の前の姉さんは二十近くも年下なのにやはり姉さんらしく年上のように優しく頷いた。知っているんだね。何もかも・・・。
「ねえ、あそこの喫茶店でお茶でも飲みましょう」
こんもりとなだらかに盛り上がった道の先に木々に埋もれるように喫茶店らしき店が見えた。
「いいね。行こうか」
ぼくはなだらかな坂道を早足に歩いていく姉さんの後を追った。
坂道の鬱蒼とした木々の中を抜けると、急に視界が晴れた。
陽射しがまぶしく、まるで懐かしい別世界のようだった。
続く