地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街~7 三人目の君島

「ふう、やっと自分の自由な時間が来たな」

夕飯を終えたこの時間が自分の一番ほっとする時間だ。あ、もう接続されているや、あの子のパソコン。

「こんばんわ、Y.Kだよー。まあ、そろそろいいや、本名由紀子だよ」

僕宛の文字がすでにディスプレイに浮かんでいた。

不思議な子だ。

いつも唐突に現れて、顔も見えないのに僕を明るくしてくれる。



僕はすぐ下の行に自分のメッセージを打ち込んだ。

「ああ、こんばんわ。こっちから呼ぼうとしてたんだ。由紀子ちゃんていうんだね」

「その名前でいいよ、これからは。もうしょうがない。だんだん近づいてきちゃったから。」

「近づいて?」



 カーソルがそのまま点滅している。反応がない・・・。

 由紀子ちゃんはその文字を見てないかのようだった。

「お父さんに会ったんだね、今日」

「お父さん?誰それ?まあいいや。今日不思議なことが沢山起きてね」

「うん。そうみたいね」

不思議だ。チャットなのに由紀子ちゃんの声がひどく沈んで聞こえた。




「今日さ、取引先にいこうとしたら地下鉄がなくなっちゃってね」

 やっと本題に入れた。この話に彼女、いや由紀子ちゃんはなんて反応するだろう。キーボードを打つのがもどかしい。

「ハハハハー。疲れてるね」

 やっぱりそうきたか。

「いや、本当なんだ。」

「まあ、不思議なことは人生に沢山あるさ」

「まあね」


 またカーソルだけが点滅している。





「お父さんに会えてよかったね」

「え?」

またお父さん?

「あなたのこと、いろいろ聞いたから」

「え?ぼくの父に?」

「うん。小さいころから。あたしの知らないことも」

「どういうこと?」



 カーソルはまるで由紀子ちゃんの息遣いのようだった。

 心臓の鼓動のような秘密めいたカーソルの点滅がなぜだか僕には懐かしかった。これと同じ時間を前にも過ごしたような気がする。その時確か僕は泣きながら?





「まあ、それはまたあとで。今日は何かいいことあった?」

「いやべつに何にも」

「そうか」



「君はいいことあったの」

「いや別に何にもないよ。あたしには何もないの」

 どういっていいか分からなかった。しばらくアイドリング状態が続いた。話題を変えなきゃ。



「会社の女の子のこと話したよね」

「ああ。由貴さんね」

「うん。控えめで、とてもよく気がつくこなんだ」

「あたしと正反対ねえ」

「控えめかどうかはわからないけど、君もいい人だとおもうよ」


 由紀子ちゃんは答えてくれない。カーソルだけが点滅している。





「由貴さんとはどうしてるの?」

「どうって」

「昨日あなたの誕生日だったでしょ。お祝いしてくれた?」

「あれ?どうして知ってるの?そんな話してないけど」

「あなたの誕生日忘れるわけないでしょう」

「どういうこと」

「あたしのイニシャルのKは君島よ」

「え?」

「それで、Y.Kさんか。しかし偶然は重なるものだね。今日これで君島が三人揃ったことになる」


 カーソルの点滅に息が感じられた。




「そうだね」

「その今日あったもう一人の君島さんってどんな人だった?」

「うーん、エネルギッシュで、優しかったな」

「そうでしょ。ちょっとこわいけど、不器用で誠実な人。厳しいことも多いけど、あなたのこと思ってのことなんだから。銭湯に行ったときに男湯の脱衣場で飲んでたコーヒー牛乳覚えてる?あたしの中ではあなたとあれとワンセットなんだよね。あたしは男湯には入れなかったけど目に浮かぶわ」






「ちょっと待ってくれ、そんな話どこから聞いたの?」

「だから、お父さんから。」

「君いっただれなんだ」





 カーソルがぬくもりさえ感じられるほどにやさしく点滅し始めた。





続く

地下鉄のない街~8 君島由紀子

 僕はだんだん不安になっていった。


 行ってはいけないところに、行けない所に行ってしまうような恐怖がわき起こって来るのが感じられた。

「お父さんのこと赦してあげてね。お父さんももう年だしさ」

「そんなことは今はいい。誰なんだ君は」

「あなたの姉よ。あなたのお姉さんの名前由紀子でしょ。だから君島由紀子」


 深夜のマンションのパソコンの中で、懐かしい姉の名前「君島由紀子」という文字が浮かび上がった。交通事故で死んだはずの姉の名前だ。



「だからお父さんに会ったんだって言ったの。あたしのね」

「ははは。何をバカなこといってるんだ、君まだ17歳だろう」

「そうよ。嘘はついていないわ。あたしが死んでしまった年ね」





 怖い。笑うしかなかった。





「久しぶりね」

「なんだよ姉って、そんなバカな話あるものか」

「今日神田行きの地下鉄が無くなったっていったでしょ」

「うん。あしたまた確かめるけど」

「昔はなかったわ、あなたの会社から神田まで地下鉄なんて」

「昔っていつ?」

「あなたが生まれたころ」






なにを言っているんだろう・・・。

「かわいかったよ。お風呂に入れてあげようとして、浴槽にぶくぶくってすべって顔つけちゃってごめんね。あの日のことはずいぶん言われちゃったわね。」

「なんで、死んだ姉のその話のこと知ってるの?」

「だから、あたしはあなたのお姉さん」

「一度会って話をしたいよ」

「いいわよ。終わりの始まりね・・・」

「どういう意味?」

「ううん、なんでもない」

「どこに行ったらいいの?」

「神田にしましょう」

「神田?いいけど、どの辺?」

「千鳥が淵公園でどう」

「いいよ。あした土曜日だけど、1時くらいに会えないかな」

「いいわよ。地下鉄ないから、驚かないでね」

「また、消えてるの?なんでそれが君に分かるの?」

「会って話すわ」

「分かった」

「じゃあね」

「じゃあ」











 文字だけの会話・・・。

 君島由紀子

 ぼくはスクロールで消えてしまったカーソルに自分自身でその文字を打ち込んでみた。

 明日だれがいるんだろう。千鳥が淵公園に・・・。





続く

地下鉄のない街~9 二十年のボロボロ

 翌日やっぱり地下鉄はなかった。

 地下鉄の九段下で降りれば千鳥ヶ淵公園はすぐなのに。でも神田までは行ける。ちょっと歩くけどな、千鳥が淵まで。

 ニコライ聖堂の横を通って駿河台あたりを過ぎる時予備校生らしい集団とすれ違った。志望校についていといろ大声で話をしている。共通一次試験という言葉が聞こえる。センター試験の間違いではなかった。やはり時間が過去にさかのぼっているようだった。



 ぼくはどこに向かって歩いているんだろう。本当に公園に彼女はいるんだろうか。

 ああやっと着いたぞ。

 ずいぶん歩いたな。しまった、服装の特長とか聞いておくの忘れたから、どの子か分からないや。まぬけだなあ。



「こっちよ」

 明るくて、まぶしいかわいい女の子が手招きをしていた。頭が真っ白になる。ありえない。姉さんだ。でも・・・。

「ああ、君が由紀子さん。はじめまして。よくぼくのことが分かったね」

 僕はなぜだか姉さんと呼べなかった。姉さんと呼んでしまうと、この現実がすうっと消え去ってしまいそうだったから。



「当たり前じゃない。でも・・・ま、いっか」

 姉さんはそんな僕の気持ちを察してくれたようだった。気が付かないふりをするならそれに付き合ってあげようか、そんな風に姉さんの顔がわらった。


小説 『音の風景』 空から降る木漏れ日の中、ぼくたちは、恋人同士のように千鳥ヶ淵公園を散歩した。

「いろんな話したねえ。パソコンで」

 姉さんがうれしそうに話す。

「そうだね、なんだか初めて会った気がしないや」

 

 生きていればもう姉さんも37歳か。

「初めてじゃないから」

 目の前の17歳の姉さんはクククッとわらう。昔のように。おかしさが弾けるように控えめに体の中からわらい声が出てくる。屈託の無い、澄んだ真水のような声。







 僕はとりあえず、この姉さんの生き写しの、そして姉さんしか知らない過去を知る人と初めて出会ったという自分を演じることにした。

 それは、本当の姉さんと向き合うとこの刹那の幸せが消えてしまうのではないかという不安だけでなく、あれから二十年年経った自分、それなりには成長もした自分を大好きな姉さんにわかって欲しかったからだった。それを成長と呼べるのであればだけどさ・・・姉さん。


 僕を知る唯一の人。

 これまでも、これからも。

 僕が僕であることの唯一の証の姉さんに、会えなかった二十年分のボロボロの僕を知って欲しかったから。

 あの頃の思い出を語る前に、姉さんの知らない所で生きてきた僕を知ってほしい。

 いつも姉さんが見ていてくれていることだけを支えに生きてきた僕のことを・・・。







 かさかさという少し哀しげな音を立てる枯葉を踏みながら、千鳥が淵公園を僕らはゆっくり歩いた。 秋のやわらなか木漏れ日が優しく包んでいた。





「今日も地下鉄なかったでしょ」

「うん、なかった。どうしてなんだろ」

「知りたい?」

「うん。それになんか変だ。この公園歩いているおんなの人の髪型とか、服装とか、ものすごく昔のかんじがする。来る途中に予備校生が共通一次試験って言ってたよ」

 
 17歳の姉さんはそっと頷いた。面の前の姉さんは二十近くも年下なのにやはり姉さんらしく年上のように優しく頷いた。知っているんだね。何もかも・・・。





「ねえ、あそこの喫茶店でお茶でも飲みましょう」

 こんもりとなだらかに盛り上がった道の先に木々に埋もれるように喫茶店らしき店が見えた。

「いいね。行こうか」

 ぼくはなだらかな坂道を早足に歩いていく姉さんの後を追った。





 坂道の鬱蒼とした木々の中を抜けると、急に視界が晴れた。

 陽射しがまぶしく、まるで懐かしい別世界のようだった。






続く

地下鉄のない街~10 父親のこと

「こんにちはー」

「いらっしゃいお嬢さん。今日はお父さんは一緒じゃないの?」

 五十代くらいの柔和なマスターが、笑顔で迎えてくれた。常連さんなんだな。

「今日は彼氏といっしょよ」

「あ、それはそれは」

 他意のない笑顔で、ぼくの方を見てくれた。なんだか恥ずかしい。

「いや違いますよ、彼氏じゃないです。今日初めてあったんですから」

「ははは、なにどぎまぎしてるのよ。初めてじゃないって言ってるでしょ」

「・・・」

 いいから座ろう。あたしはモカ。なんにする?

「いやコーヒーのこと詳しくないから」

「そうだったね。じゃあ、モカ二つお願いします」

「はいかしこまりました」

 カウンター越しから、マスターが小さく応答していた。




「お待ちどうさまです」

 アルバイトの店員の手は開いていたが、さあどうぞ、といった感じでマスターが自分で運んできてくれた。

「あいかわらずちっちゃいね、このカップ。量が少ないよ」

 ぼくはヒヤヒヤする。姉さんはいつも大人にもこんな喋り方をしてたっけ。

「また、そんなこと言って。お父さんもあなたも、おいしいおいしいって言ってくれるじゃないですか」

 マスターの柔和な笑顔と二人のあけすけな雰囲気は、17歳の姉さんがこの店にいつも来ていることを物語っていた。

 喫茶店でコーヒーを一緒に飲んだことは・・・確か無かった。

$小説 『音の風景』 「お父さんのこと好きじゃないの?健太郎は」

 ポンとボールを投げてよこすように突然、でもちゃんとそれを取りやすい胸の位置にさりげなくねえさんが言葉を投げかけてくる。

 この時だけは時間が停滞する。父さんの話になる時だ。

 外に飛んでいる鳥の声が急に大きくなって、少しそれに気を取られた。

 どのくらいたっただろう、三十秒か三分か、もっとかもしれない。




「聞いてるの?健太郎」

「ああ、聞いてるよ」

 僕は切ない思いで返事をした。そうか・・・やっぱり。

 チャットで一度も使ったことのない僕の下の名前だ。



「お父さん、健太郎のこと好きだよ。あなたもそうでしょ。だから地下鉄消えたんだよ。あたしとも会えたしね」

「悪いけどいろいろあって、ぼくは素直になれない。昔も姉さんが死んでからもさ」

「でもあなた地下鉄消してここにこれたじゃない。思いが通じたのよ、お父さんの」

「よく分からないや。言っていることが」

 不安を打ち消すように、ぼくは少しぶっきらぼうなしゃべり方で答えた。

「ここは地下鉄では来ることができない神田よ、はるか昔の」

「ああ分かってるさ」

 僕が答えると姉さんは寂しそうに笑った。





 しばらく間が空いた。





「コーヒー終わったし、また今度会おうね。今日は楽しかったわ」

 姉さんは唐突に言った。

「うん。今度はいつどこで会えるの?」

 僕はそれを止めようとはしなかった。もっとこの世界にいたかったけれど、それはたぶん無理なんだとわかっていた。姉さんがそれを促すのならそろそろ僕は元の世界に帰るべきなんだ。

「来週の土曜日でもいいわよ。ただ場所は神田だけ」

 そうか。

 あのチャットのときに文字から伝わってくるさびしそうなニュアンスは、この表情なんだね。

 姉さんの姿がすっと薄くなって、パソコンのカーソルが僕と姐さんの間で透明に点滅しているようだった。





「分かった。」

「さよなら。あたしはもしばらくここにいるから」

「そうなのか」

「そう」

「うん、わかった」

「またね、さようなら。地下鉄で帰ってね」

「そうするよ」






 あとはよく覚えていない。

 九段下の駅から地下鉄に乗って自分の家のある駅で電車を降りた。

 長いエスカレーターを登って地下鉄の通路を出ると、見慣れた町並みが広がっていた。




続く
ゆっきー
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