地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街125 西村の真意?

「もちろんタイムパトロールっていうのは大げさな言い方なわけだけどな」

 西村はそう言って自分で自嘲気味に笑い出した。しかしその笑はどこか朗らかで楽しそうにもみえた。

「でもたとえ話としてはなかなか都合がいいんだ。俺がようやく見つけたかもしれない、自分の逃れられない宿命の説明の仕方にも少しだけなるしな…」

 西村の顔からさっきの微笑みは消えて、達観したような寂しそうな顔が覗いた。

「教団の跡継ぎのことを言ってるんですか」

 僕には西村にそう聞いた皆川君の口調に、どことなく友情めいたニュアンスを感じた。

「まあな。呪ったさ、小さい頃は。暁の雫の人間だ、しかも教祖の息子だって分かった瞬間から友達の親が俺と遊ぶをことを禁止したとかね、まあ良くある話なんだろうけど子供心にはそれはかなりのトラウマとはなるな…」



 トラウマという言葉を口にした西村は少し照れ臭そうだった。

「根っこのところは実は同じなのさ。俺が考えてる、俺なりになんていうか…大それた言い方かもしれないけど、苦しんでる人の心をなんとかしてあげたいっていう気持ちと、春日井先生の気持ちは…多分な」

 皆川君は西村の話の続きを待った。

「春日井先生は、相手の心の中に降りて行って、その世界でその人の心を解放してあげられる。前にも言ったようにあの人自身が多重人格者だから、相手に完全に同調できるわけさ。自分も病気だから人の苦しみもわかるとかいうのとは大違いなのは分かるだろう。そんな安っぽいヒューマニズムみたいなのは本当に苦しんでる人にはまったく届かないよ。そうじゃなくて春日井先生のは、その人が自分でも気がつかなかった自分を春日井先生という鏡の中に発見するということだと思う。これは俺の想像なんだけどおそらく間違いないだろう。」

 コーラを飲み干してストローで底の氷をカチャカチャかき混ぜながら西村はそう言った。

「どんな人でも自分が本当に求めていた自分を春日井先生の中に発見する…。あの人が自分というものを持たない多重人格者だから…。」


 二人はしばらく沈黙した。

「だったら、春日井先生自身の幸せってなんなんだろう」
 
 沈黙を破った皆川君のつぶやきに西村が声をあげて笑った。それは朗らかで善良な、そして友情に満ちた笑い声だった。

「だからさ、それは皆川君よ。お前に聞きたいことだよ。しんどい救済者だぜ、あのかわいいポニーテールの先生は。お前本当に春日井先生のこと考えてんのか?」



 僕は一瞬西村の言葉の真意を図りかねた。言葉通りに受け止めれば西村は春日井先生のことを、愛情は別にしても皆川君と同じように放っておけない人として考えているようにも聞こえた。




「救われた方はいいかもな。でも救った人、救う立場の人がもしかしたら一番救いを必要としてる人かもしれない。そんなこと考えたこと…」

 皆川君はそこで西村に顔を強く見返した。

「おっとっと。分かってるってば、怖い目で睨むなよ。分かってるさ、お前はそういうやつだ。だからこそおれは、競技会でお前にぜひ八百長をやってもらいたいんだ。」



 僕も皆川君も西村の最後の言葉に混乱したが、僕たちはすっかり西村の話に聴き入っていた。

地下鉄のない街126 世界の秩序を壊すものたち

「うん。いろいろと話をしてきたけど、核心部分が全然話せてないんだ」

 西村は溶けた氷を飲み干してからコーラの紙コップをぐしゃっと潰した。皆川君が気を利かせて自分の紙コップと一緒に自販機の横に捨ててくる。

 サンキュと唇だけ動かして西村が話を続けた。

「宗教ってさ、教義を維持するためなのか、教団を組織として維持するためなのか、まあ両方かもしれないけど、自分の敵っていうのを必ず作ってるもんなんだよ。」

「はい。共通の標的みたいなのがいた方が都合がいいってことですかね」

 皆川君は西村の目をしっかり見て相槌をうつ。

「まあね。そう言っちゃうと身も蓋もないんだけどさ。そういうわけでうちの教団にも開祖から伝わる敵ってのがいる」

「その敵って言うのは…」

「ああ。具体的にじゃないんだけどな。要するに正しい過去、正しい現在、正しい未来という一本の線をぐちゃぐちゃにしてしまう、つまり『東方暁の雫』の教義そのものをメチャクチャにしてしまう存在なんだそうだ。その的は開祖以来三代目の周りに現れて、教団の存続そのものを危うくするというこった。三代目…。つまり俺の周りにそういう途轍もない力を持った人間が出現するというわけ」

 皆川君の表情にすっと影が差す。
「それが、他人の過去にカウンセラーとして介入して当人やその周りの家族の正しい時間の流れを変えてしまう春日井先生のような人だと…」

「いや」

 西村は皆川くんの言葉を途中で遮って鋭く首を振った。

「最初は俺もそんな気がしてたんだよ。まあ、そうでなかったとしても、春日井先生のことは渡辺すゑさんの娘さんのこともあっていずれ何らかの行動を起こさないといけないなと思ってたわけだし、お前の恋の道にちょっかい出そうというのもそういうわけなんだが…」

 恋の道と冗談めいた言い方をされて、皆川君は羞恥と軽い怒りで頬を少し染めた。

「いや、悪い。俺はさっきも言ったようにすゑさんが春日井先生のことを悪魔だなんだというのは言い過ぎだと思ってるんだよ。あの人もまた救われるべき人なんだっていう言葉にも嘘偽りはない」

「だったら…」

「どうもな…。おまえの同級生の君島、君島健太郎、あいつがその途方もない力を持った存在じゃないかと俺は思い始めてる。いや、最近では確信に近いかな。」





 僕は自分の名前がいきなりこんな形で飛び出してきて、心臓が大きく膨張するのを感じた。

「お姉さんがいるだろ。ちょっとかわいい感じの。あの兄弟ワンセットでうちの教団どころかこの世界の根幹部分を根こそぎ破壊してしまうような力を持ってるはずだ」

 姉さん?ワンセットで…。世界の破壊?

 膨張した僕の心臓は今度は一瞬にして心筋梗塞のような痛みと一緒に収縮した。



「というわけで、お前には協議会で八百長をやってもらいたい。君島兄弟を抹殺するために」

 僕は事態が全く飲み込めなかった。

 心臓は止まることはなく、大きな半鐘を鳴らすように規則的に僕の体に血流を流し込んでいた。

地下鉄のない街127 真っ暗な被告席

「とても頭が混乱してます」

 皆川君はしかし西村の目をじっと見つめたまま真剣な面持ちでそう言った。混乱するからやめてくれというのではなかった。どういう意味か知りたい、少なくとも皆川君は西村の言おうとしていることに関心を持ち始めていた。

「ああ。当然だ。まずお前が信じることが可能な部分から話を始めよう。今皆川は俺とこうして、南堂社長の講演会を抜け出して廊下でしゃべっているわけだ」

「はい」

「しかしやってここに来たか覚えているか?」

 すっと何か憑き物が落ちたような表情になった皆川君はすぐに不安そうな顔になった。

「確かここに来る前は、西村さんの教団の応接室のようなところで南堂社長と三人で話をしていて…」

「そうだよ。その通りだ。そこでお前は南堂さんに純金を持たされてすっと意識が遠くなった。じゃあ、これはすべて夢の中の出来事か?」

 自分の顔に手をやった皆川君は手で軽くパチンと頬を叩いた。

「いえ、自分が眠っているようには感じません。でもあるいは、こうやって頬を触って確かめていることすら夢なのかもしれませんけど…」

「そうだな…。俺はな、皆川。これだけは何があっても譲れないところなんだが、もしある種の力を使って誰かが人を夢に中に落としたら、例えば夢の中でしか気がつくことのできないような何かをその人に見せてあげる目的で、その人を夢の中に突き落としたら、夢を見せたあと突き落とした人間は何がどうあっても突き落とした人間を元の世界に戻す義務があると思うんだ」

「これも夢ですか?」

「ああ、そうさ。これはお前の意識の奥深くの世界だ。お前自身の体は『東方暁の雫』の俺の部屋で眠ってるよ」

「こんなにリアルなのに」

「夢は自分で夢だと確かめられないから常にリアルなんだよ。さっきみたいに頬を叩いても、思いっきりつねっても、頬の感触を確かめたこと、痛みを感じたこと自体が夢の中の出来事かもしれない。お前がこれを夢だったと確信できるのは、例えば俺が何か合図をした時にお前の意識が覚醒して自分自身が南堂さんに渡された純金を右手に持ったまま教団の応接室で目が覚めた時だろう」

「はい」

「ところが、俺はお前にこの夢を見続けさせることだってできる。そうすればお前はこの世界そのものがお前の現実だと思って、応接室での出来事に至るまでの自分の人生は、昨日見た夢、むしろそっちが今の覚醒している世界から見た不思議な夢だったということになる」

「それは…困ります」

「ああ。そりゃそうだ。向こうの世界にはお前のご両親や春日井先生やその他かけがえのない人が、向こうの世界を現実として生きている人たちがお前がいなくなってしまったことを心の底から悲しむだろう」

「はい。多分…」

「もちろん俺はそんなことはしない。しかし春日井先生が彼女のやり方で、何か夢を見させて本当の自分、現実世界を生き直す手がかりを与えようとする以上のカウンセリングをしてしまうこと、見させた夢が現実だと思い込んでしまうまでのカウンセリングをあの人はやれてしまうわけだけど、それはある意味、俺が皆川をこのままこの世界に置き去りにするようなものなんだ。それは、おれは出来ない。世界の秩序の根本への冒涜だ。人間にはやってはならないことだと思う。例えていうなら、遺伝子操作でクローン人間を作るというレベルで、いやそれ以上の神への世界の根元への冒涜だと思うんだ」


 西村は淀みなく静かに、しかし確信を持ってそう言った。



「お話はわかってきました。でもそれが君島くん姉弟とどういう関係があるんですか」

 西村は話が通じたことにホッとしたのか、ふぅっと息をついた。



「春日井先生は個人レベルでそういう間違い、夢から醒めない夢をみさせてしまうことがある。自分でその重大さに気がつかずに、よかれと思ってね。しかし君島は、世界全体にそれをやっている。世界全体を醒めない夢に突き落とし、夢を見させ始めている。もちろんあの二人にその自覚はない。いや、お姉さんの方はことの重大さに薄々気がつき始めているようにも見えるんだが…」




 僕が何をしているって?

 僕は真っ暗な法廷の被告席に立ったような気がした。

 姉さんはそのことに気がつき始めている…って。

 どういうことなんだ一体…
 
 姉さん?今どこにいるの?

地下鉄のない街128 『地下鉄のない街』という魔書

「なあ、皆川」

 西村はロビーの長椅子に座って前を向いたまま言った。

「はい」

「おまえ、生き霊って信じるか?」

 皆川君は西村の横顔をそれとなく観察したが、西村はいたって真面目に話をしているようだった。

「生き霊ってあの…。源氏物語とかに出てくるあれですか…?」



 そういえば西村は時々こんな話し方をした。自分の仕事はSFのタイムパトロールだと言うところからこの皆川君の異世界の体験も始まっている。西村は重要な話をする時あえて斜めから話を始めて、聞く方は気がついた時にはすっかり西村の術中というか、話の核心に否応無く引き込まれてしまうのだ。



「そうそう。お前は二年だから古文の時間に源氏物語読まされてる最中だもんな。」

 苦笑しながら西村が言ったのは、うちの学校では二年生は副読本として年間を通じて源氏物語を読まされるからなのだが、それにしてもなぜ生き霊の話なのか、僕にも皆川君にもさっぱり分からなかった。

「六条御息所ってのが出てきたっけな。なんか哀れな」

「哀れですか…」

「うん、まあ、葵の上とか柏木に取り憑いて悪さをする怖いイメージなんだが、俺はちょっと違うイメージなんだな」

 今度はたまたま話の流れで自分が出した源氏物語の話になりそうで、皆川君はさすがに当惑の色を隠さなかった。

「ああ、わりいわりい。話は別にそれてないんだよ」

 やっと体をひねって皆川君を正面にした西村は、皆川君に形だけ弁解した。そして自信を持って意外なことを口にしたのだった。

「世界全体に春日井先生がやってるような夢を見させるようなことをやっている。さっき言った世界全体を醒めない夢に突き落とし、夢を見させ始めている君島兄弟ね…。特にあのお姉さん。お姉さんの気がつき始めたこと、していることというのを説明しようと思ってな。源氏物語の話し出してくれて話がしやすくなったよ。あの六条御息所の苦悩みたいなものの成せる技なんだろうなあ。お姉さんのあの力は…」




「力ですか…?気がつき始めたこと、していること?」

 話に流れがふっとぼやける一瞬にいつも西村の話の核心は飛び出してくる。僕も皆川君も次の西村の一言を待たざるを得なかった。

「六条御息所がさ、かわいいのは、いやかわいそうなのは…かな。自分では他の人間に取り憑いて悪さをするなんてこと思ってもみない所さ。確か六条さんは、じぶんがつらいのはしょうがないとしても、自分が知らない間に生き霊となって誰かの人生を変えてしまう、夢の中で人の運命を変えてしまうことに絶望して悩んでたね。似てると思うな、やっぱり」

「君島のお姉さんが…」

「そ、由紀子さん。多分弟の健太郎もその苦悩に気がついてないだろう」

 西村は断定的にそう言って口の端を少しあげて笑顔を作った。

「あなたは…」皆川君が口を開きかけたのを西村が遮った。

「うん。なんの根拠があってって、いう顔だな。うん、まあ根拠か…。惚れてしまった女だからかなあ。いや違う。俺だけが気がついたあの人のしんどさを俺なりになんとかしてあげたかったから…かな。すっぱり拒絶されてしまったけど…」



 西村がいうのはおそらく姉さんにラブレターを渡して云々という話のことだろう。無論皆川くんはそのことを知らないから、西村の中途半端な言い方に顔をしかめていた。



「おっとごめんな。話があっちこっち飛んで。じゃあ、ちょっと具体的にお前にも関係する話をする。いいな」

「はい」

「あのな、もうしばらくすると、というのは陸上競技会のことなんだが、あれが終わるとお前の春日井先生は一切お前の助けはいらなくなるだろう」

「え?」

「うん。お前に打ち明けた底知れない春日井先生の苦悩は一切解決していて、春日井先生はもはやお前なんか必要ではなくなるということさ…」

 皆川君の表情は今度は困惑に変わった。

「まあ、いいことではあるだろう。彼女の悩みはなくなるんだから。というかなかったことになるんだ、正確には」

「なかったことに?」

「そ。君島由紀子さんの春日井先生を上回る、いやすっぽり包み込むような過去の改変、人の運命を変えてしまう夢の力でな。ついでに皆川!」



 トンと西村は皆川君の肩を叩いた。

「お前と春日井先生はのほろ苦いいろんな思いでも消去されてなかったことになる。つまり春日井先生にとってお前はなかった事になるんだ」

「何でそんなこと…。そんなこと仮に起こるのだとしても春日井先生は望んでないはずだ…」

 西村の手を振り払いながら皆川くんは強く抗議した。


「いや、ところがそうでもないんだなこれが。このファイルには、春日井先生は自分で『ありがとう』って感謝の言葉を記してるよ」

 西村が座っていた廊下の長椅子のくぼみにさっきまでなかったファイルがあった。

「なんですか、これは」


「うん。この存在で俺も気がついたんだよ。君島姉弟がやっていることを。そしてそれを阻止しようと決めたんだ」



 何であのファイルがここにあるのかは分からなかった。しかし間違いない。皆川君が持ち上げた分厚いファイルはあれに違いなかった。


「『地下鉄のない街』…。なんですかこれは」

 皆川君はページをめくり、その中に春日井先生の署名や「ありがとう」という文字を見つけたようだった。



「うん。生き霊の哀しい活動記録…、いや記録じゃないな。そこに書かれていることが過去に遡って現実となる、夢の世界と現実界の裂け目にある魔書だな。これを読んでしまうと、自分の生きれてきた過去が作り変えられてしまう。春日井先生のカウンセリングと違う最大の恐ろしい点は、その改変されたことに誰も気がつかないことなんだよ。みんなすっぽり違う過去から現在を生き始めるんだ。だれもそのことに気がつかない。恐ろしいことだぜ、これは…」

 ページをめくりながら、皆川君の顔は青ざめていった。西村はその様子を見ながら話を続けた。
ゆっきー
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