地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街124 春日井先生を取り締まる者

「まずはじめに、すゑさんが言ってた悪魔のようなカウンセラーという言い方なんだが、あれはすゑさんの体験からするとしょうがない言葉なのかもしれない。でも俺も南堂さんもそうは思ってない」

 西村は自販機で買った真っ赤真な絵柄の紙コップ二つのうち一つを皆川君に勧めた。

「それどころか、まあ、ああいう言われ方はお前のように春日井先生に特別な思いがなかったとしても、ちょっと気の毒かなという気もする」

 春日井先生をフォローするような西村の口調に皆川君は真意を図りかねて、勧められた紙コップ頭を下げて受け取りながら無言で西村を見た。


「お前言ってたよな。『その通りだね。ずいぶん春日井先生のことをよく分かってるじゃないか』って。あれがどういう意味なのかまだ聞いてなかったよな」




 とぼけた顔で西村が話を続ける。

「ところでさっき驚いたろ、南堂さんが一字一句違わずうちの教団の教理を演説してたの」

「はい」皆川君もそれは聞きたいところだったらしく西村の目をはっきり見て頷いた。

「もともと、あれはもちろんうちの教団のオリジナルなわけだけど、南堂さんが独自に考えていた純金投資の考え方とまったく一緒だったそうだ。南堂さんところのお客さんがたまたまうちの信者で考え方がびっくりするほど似てるって話を南堂さんにしたらしい。そこで南堂さんが見学にやってから付き合いが始まったというわけさ」

「同じというと…?」

 西村はよく聞いてくれたとばかりに口元を緩めた。

「正しい過去、正しい現在、正しい未来っていうのは信頼によって正しく一本につながって行くっていうのがその考えなのさ」

「一本?バラバラじゃなくて…」

「ああ。生まれたことを肯定し、今の自分を肯定することで正しく未来への道が開ける。抽象的にいうとこんな感じさ。言ってみればすゑさんの娘の愛さんはそこがバラバラに多元化してしまったわけ」

 多元化…。ぼくは何となく西村の言おうとしていることがボンヤリと浮かんだ。この僕の体験、この『地下鉄のない街』というカルテに書かれた世界を今こうして生きていること、例えばそれは西村のいう多元化された世界なのではないだろうか?だとすれば僕や姉さんは「正しくない過去、正しくない現在、正しくない未来」に無間地獄のように彷徨う、タイムマシンの故障したタイムトラベラーのようなものなのか?


「さっきの宿題の話なんだけど…」

「うん。そうだ。そこなんだよ。お前は実は気がついてる。春日井先生がやらかしてくれてることっていうのは、あの人と関わりをもった人が、次々と自分勝手な自分の世界を手に入れて、世界がどんどん多元化して、そこにすゑさん親子のような悲劇がうまれるというわけなんだな」

皆川くんは西村の話を聞いて少し顔を歪めた。

「春日井先生が保健室で生徒の話を聞いて、生徒がそれで精神的に蘇生するというのは…」

「そうだね。すゑさん親子の悲劇を学校でどんどん量産しているということに他ならない」

「だから…」

「そう。教団『暁の雫』の未来の正しい後継者としての俺は、それを黙って見てるわけにはいかないということさ」

「タイムパトロール…」

「そう。過去を勝手に改変して親子の中をおかしく多元化したりする人物は取り締まらないといけないわけだ。それが春日井先生の過去の言い知れない苦悩の生み出したものだったとしてもな…」

地下鉄のない街125 西村の真意?

「もちろんタイムパトロールっていうのは大げさな言い方なわけだけどな」

 西村はそう言って自分で自嘲気味に笑い出した。しかしその笑はどこか朗らかで楽しそうにもみえた。

「でもたとえ話としてはなかなか都合がいいんだ。俺がようやく見つけたかもしれない、自分の逃れられない宿命の説明の仕方にも少しだけなるしな…」

 西村の顔からさっきの微笑みは消えて、達観したような寂しそうな顔が覗いた。

「教団の跡継ぎのことを言ってるんですか」

 僕には西村にそう聞いた皆川君の口調に、どことなく友情めいたニュアンスを感じた。

「まあな。呪ったさ、小さい頃は。暁の雫の人間だ、しかも教祖の息子だって分かった瞬間から友達の親が俺と遊ぶをことを禁止したとかね、まあ良くある話なんだろうけど子供心にはそれはかなりのトラウマとはなるな…」



 トラウマという言葉を口にした西村は少し照れ臭そうだった。

「根っこのところは実は同じなのさ。俺が考えてる、俺なりになんていうか…大それた言い方かもしれないけど、苦しんでる人の心をなんとかしてあげたいっていう気持ちと、春日井先生の気持ちは…多分な」

 皆川君は西村の話の続きを待った。

「春日井先生は、相手の心の中に降りて行って、その世界でその人の心を解放してあげられる。前にも言ったようにあの人自身が多重人格者だから、相手に完全に同調できるわけさ。自分も病気だから人の苦しみもわかるとかいうのとは大違いなのは分かるだろう。そんな安っぽいヒューマニズムみたいなのは本当に苦しんでる人にはまったく届かないよ。そうじゃなくて春日井先生のは、その人が自分でも気がつかなかった自分を春日井先生という鏡の中に発見するということだと思う。これは俺の想像なんだけどおそらく間違いないだろう。」

 コーラを飲み干してストローで底の氷をカチャカチャかき混ぜながら西村はそう言った。

「どんな人でも自分が本当に求めていた自分を春日井先生の中に発見する…。あの人が自分というものを持たない多重人格者だから…。」


 二人はしばらく沈黙した。

「だったら、春日井先生自身の幸せってなんなんだろう」
 
 沈黙を破った皆川君のつぶやきに西村が声をあげて笑った。それは朗らかで善良な、そして友情に満ちた笑い声だった。

「だからさ、それは皆川君よ。お前に聞きたいことだよ。しんどい救済者だぜ、あのかわいいポニーテールの先生は。お前本当に春日井先生のこと考えてんのか?」



 僕は一瞬西村の言葉の真意を図りかねた。言葉通りに受け止めれば西村は春日井先生のことを、愛情は別にしても皆川君と同じように放っておけない人として考えているようにも聞こえた。




「救われた方はいいかもな。でも救った人、救う立場の人がもしかしたら一番救いを必要としてる人かもしれない。そんなこと考えたこと…」

 皆川君はそこで西村に顔を強く見返した。

「おっとっと。分かってるってば、怖い目で睨むなよ。分かってるさ、お前はそういうやつだ。だからこそおれは、競技会でお前にぜひ八百長をやってもらいたいんだ。」



 僕も皆川君も西村の最後の言葉に混乱したが、僕たちはすっかり西村の話に聴き入っていた。

地下鉄のない街126 世界の秩序を壊すものたち

「うん。いろいろと話をしてきたけど、核心部分が全然話せてないんだ」

 西村は溶けた氷を飲み干してからコーラの紙コップをぐしゃっと潰した。皆川君が気を利かせて自分の紙コップと一緒に自販機の横に捨ててくる。

 サンキュと唇だけ動かして西村が話を続けた。

「宗教ってさ、教義を維持するためなのか、教団を組織として維持するためなのか、まあ両方かもしれないけど、自分の敵っていうのを必ず作ってるもんなんだよ。」

「はい。共通の標的みたいなのがいた方が都合がいいってことですかね」

 皆川君は西村の目をしっかり見て相槌をうつ。

「まあね。そう言っちゃうと身も蓋もないんだけどさ。そういうわけでうちの教団にも開祖から伝わる敵ってのがいる」

「その敵って言うのは…」

「ああ。具体的にじゃないんだけどな。要するに正しい過去、正しい現在、正しい未来という一本の線をぐちゃぐちゃにしてしまう、つまり『東方暁の雫』の教義そのものをメチャクチャにしてしまう存在なんだそうだ。その的は開祖以来三代目の周りに現れて、教団の存続そのものを危うくするというこった。三代目…。つまり俺の周りにそういう途轍もない力を持った人間が出現するというわけ」

 皆川君の表情にすっと影が差す。
「それが、他人の過去にカウンセラーとして介入して当人やその周りの家族の正しい時間の流れを変えてしまう春日井先生のような人だと…」

「いや」

 西村は皆川くんの言葉を途中で遮って鋭く首を振った。

「最初は俺もそんな気がしてたんだよ。まあ、そうでなかったとしても、春日井先生のことは渡辺すゑさんの娘さんのこともあっていずれ何らかの行動を起こさないといけないなと思ってたわけだし、お前の恋の道にちょっかい出そうというのもそういうわけなんだが…」

 恋の道と冗談めいた言い方をされて、皆川君は羞恥と軽い怒りで頬を少し染めた。

「いや、悪い。俺はさっきも言ったようにすゑさんが春日井先生のことを悪魔だなんだというのは言い過ぎだと思ってるんだよ。あの人もまた救われるべき人なんだっていう言葉にも嘘偽りはない」

「だったら…」

「どうもな…。おまえの同級生の君島、君島健太郎、あいつがその途方もない力を持った存在じゃないかと俺は思い始めてる。いや、最近では確信に近いかな。」





 僕は自分の名前がいきなりこんな形で飛び出してきて、心臓が大きく膨張するのを感じた。

「お姉さんがいるだろ。ちょっとかわいい感じの。あの兄弟ワンセットでうちの教団どころかこの世界の根幹部分を根こそぎ破壊してしまうような力を持ってるはずだ」

 姉さん?ワンセットで…。世界の破壊?

 膨張した僕の心臓は今度は一瞬にして心筋梗塞のような痛みと一緒に収縮した。



「というわけで、お前には協議会で八百長をやってもらいたい。君島兄弟を抹殺するために」

 僕は事態が全く飲み込めなかった。

 心臓は止まることはなく、大きな半鐘を鳴らすように規則的に僕の体に血流を流し込んでいた。

地下鉄のない街127 真っ暗な被告席

「とても頭が混乱してます」

 皆川君はしかし西村の目をじっと見つめたまま真剣な面持ちでそう言った。混乱するからやめてくれというのではなかった。どういう意味か知りたい、少なくとも皆川君は西村の言おうとしていることに関心を持ち始めていた。

「ああ。当然だ。まずお前が信じることが可能な部分から話を始めよう。今皆川は俺とこうして、南堂社長の講演会を抜け出して廊下でしゃべっているわけだ」

「はい」

「しかしやってここに来たか覚えているか?」

 すっと何か憑き物が落ちたような表情になった皆川君はすぐに不安そうな顔になった。

「確かここに来る前は、西村さんの教団の応接室のようなところで南堂社長と三人で話をしていて…」

「そうだよ。その通りだ。そこでお前は南堂さんに純金を持たされてすっと意識が遠くなった。じゃあ、これはすべて夢の中の出来事か?」

 自分の顔に手をやった皆川君は手で軽くパチンと頬を叩いた。

「いえ、自分が眠っているようには感じません。でもあるいは、こうやって頬を触って確かめていることすら夢なのかもしれませんけど…」

「そうだな…。俺はな、皆川。これだけは何があっても譲れないところなんだが、もしある種の力を使って誰かが人を夢に中に落としたら、例えば夢の中でしか気がつくことのできないような何かをその人に見せてあげる目的で、その人を夢の中に突き落としたら、夢を見せたあと突き落とした人間は何がどうあっても突き落とした人間を元の世界に戻す義務があると思うんだ」

「これも夢ですか?」

「ああ、そうさ。これはお前の意識の奥深くの世界だ。お前自身の体は『東方暁の雫』の俺の部屋で眠ってるよ」

「こんなにリアルなのに」

「夢は自分で夢だと確かめられないから常にリアルなんだよ。さっきみたいに頬を叩いても、思いっきりつねっても、頬の感触を確かめたこと、痛みを感じたこと自体が夢の中の出来事かもしれない。お前がこれを夢だったと確信できるのは、例えば俺が何か合図をした時にお前の意識が覚醒して自分自身が南堂さんに渡された純金を右手に持ったまま教団の応接室で目が覚めた時だろう」

「はい」

「ところが、俺はお前にこの夢を見続けさせることだってできる。そうすればお前はこの世界そのものがお前の現実だと思って、応接室での出来事に至るまでの自分の人生は、昨日見た夢、むしろそっちが今の覚醒している世界から見た不思議な夢だったということになる」

「それは…困ります」

「ああ。そりゃそうだ。向こうの世界にはお前のご両親や春日井先生やその他かけがえのない人が、向こうの世界を現実として生きている人たちがお前がいなくなってしまったことを心の底から悲しむだろう」

「はい。多分…」

「もちろん俺はそんなことはしない。しかし春日井先生が彼女のやり方で、何か夢を見させて本当の自分、現実世界を生き直す手がかりを与えようとする以上のカウンセリングをしてしまうこと、見させた夢が現実だと思い込んでしまうまでのカウンセリングをあの人はやれてしまうわけだけど、それはある意味、俺が皆川をこのままこの世界に置き去りにするようなものなんだ。それは、おれは出来ない。世界の秩序の根本への冒涜だ。人間にはやってはならないことだと思う。例えていうなら、遺伝子操作でクローン人間を作るというレベルで、いやそれ以上の神への世界の根元への冒涜だと思うんだ」


 西村は淀みなく静かに、しかし確信を持ってそう言った。



「お話はわかってきました。でもそれが君島くん姉弟とどういう関係があるんですか」

 西村は話が通じたことにホッとしたのか、ふぅっと息をついた。



「春日井先生は個人レベルでそういう間違い、夢から醒めない夢をみさせてしまうことがある。自分でその重大さに気がつかずに、よかれと思ってね。しかし君島は、世界全体にそれをやっている。世界全体を醒めない夢に突き落とし、夢を見させ始めている。もちろんあの二人にその自覚はない。いや、お姉さんの方はことの重大さに薄々気がつき始めているようにも見えるんだが…」




 僕が何をしているって?

 僕は真っ暗な法廷の被告席に立ったような気がした。

 姉さんはそのことに気がつき始めている…って。

 どういうことなんだ一体…
 
 姉さん?今どこにいるの?
ゆっきー
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