地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街114 暗がり

「笑ってしまいますわね。代わる代わる心配そうに私の様子を部屋に覗きに来た家族も私の心配の元を聞くと大声で笑い出しましたよ。私はそれでも気持ちがふさいでいたのですが、その時あたしのお腹がぐうーっとなったの。また三人は大笑いしましたわ。今度は私も一緒に笑いました。涙を拭きながら四人で思いっきり笑いました。ぺったんこのお腹がさらにぺったんこによじれるくらいに」



 気持ちの良い笑い声が会場に谺した。会場の人たちは、幼いすゑさんに「心配しなくていいんだよ」とあの時笑ったすゑさんの本当の家族と同じように、92歳のすゑさんをもう一度笑い飛ばすように、すゑさんを暖かい笑い声で包んだのだった。すゑさんにとってその会場の笑い声は多分あの時の部屋の暗がりの中に響いた笑い声と同じだったに違いない。すゑさんも涙をハンカチで抑えながらマイクを離して愉快そうに壇上で笑った。南堂社長は…。南堂社長もいい笑顔ではしゃぐように笑っていた。

「みなさん、暖かい笑い声をありがとう。その笑い声こそが私の根拠のない不安を消し飛ばしてくれたんです。ありがとう。みなさん」



 誰か一人が拍手をした。

 拍手は渦のように会場を包んだ。


「だから今度はわたしの娘が『私はお父さんとお母さんの本当の娘じゃない』って真剣な顔で言った時には、私はすぐ笑い飛ばそうとしたしたんですよ。ああ、この子も同じだ。わたしと同じだ。わたしもこの子を笑い飛ばして、そのあと主人と三人で思いっきり笑おう。私はそう思ったんですよ。」

  会場は再び笑に包まれた。

「でもね、私と違ったのは、私がそう言ったのは四歳の時。でも私の娘がそう言ったのは今から15年前。私が77歳の時」


 会場の笑い声のトーンが少し低くなった。すゑさんが77ならその時娘さんは…?


「みなさん、あれ?とお思いになったことでしょうね。そう。その時娘はもう50も後半です。それまでなに一つ手のかからない、私たち夫婦にしてみたらかえって手がかからなすぎて、ある時ふっとかえって不安になるくらいでした。従順で反抗めいた言葉ひとつ口にしたことがない。そんな子でした。たったひとつだけ自分の我を最後まで通したのは、ガンとして縁談の話にのらなかったことくらいですね。その娘がいきなりそんなことを言ったのは、今にして思えば大きなわけがあったんですの。決して笑い飛ばすことが出ないような」

 会場の笑い声はすっかり消えて、人々はすゑさんの次の言葉を待った。


「あの子は私と二人っきりの部屋の中でこう言いました。『私はお父さんとお母さんの本当の娘じゃない。それはお父さんからそう聞いた』。そしてこうも言ったのです」


 すゑさんの顔からも一切の笑が消えた。


『その証拠に、お父さんは血の繋がっていない私に性的ないたずらをし続けてきた。血が繋がっていないんだから良いんだって、そう言ってた。私はその事をずっと無意識の底に封じ込めてきたけれど、最近知り合った心理カウンセラーの人と話すうちにそのことを思い出してしまった』


 娘はこう言いました。

 笑い飛ばそうと準備していたわたしは、反対に真っ暗闇に突き落とされたようでした。その暗さは、四歳の時のあの部屋の暗がりと同じでした。

地下鉄のない街115 「愛」がばらばらになる

「私は最初は娘が何を言っているのか分かりませんでした。あの子の顔を某然と見ていたのだと思います。そしておぼろげながら言っていることの意味がわかりかけた途端、私はもう一度笑い飛ばそうとしました。それでも、あの子の真剣な顔をみるとその笑いはまるで上から墨を塗られたように真っ黒なりました。次に私は、気が動転していたのか、今の娘の言葉がまったく聞こえなかったふりをしようとしました。別の話を無視して始めようとしました。ズルいですね。恥ずかしいと思います、そんな見え透いた嘘。次に私は娘を思いっきりしかり飛ばそうとしました。でもそうしようとしてあの子の顔を見ると、今度は私は娘の頬を伝う涙に怒りを引っ込めなければならなかったのでした。」


 会場は咳払い一つなく、すゑさんの息遣いだけが広い会場の空気を揺らした。


「そこで私はやっと、とにかく娘の話を聞かなければならないと思えたのでした。主人はその頃すでに脳血栓の後遺症で寝たきりの生活でしたから、娘との話を聞かれる心配はなかったのですけど、私はあの子の部屋でじっくりと夜中になるまで話を聞いたのでした。」


 70代の親が50代の娘の反抗期に戸惑う。そんな感じだろうか。でもかなり深刻でいったいすゑさんはどう対処したのだろうか。いろんな家庭があるものだな。僕は父さんと母さんの不仲を思い出した。


「わたしは自分の部屋から古い日記帳を持ってきました。わたしは何十年もめくったことのない自分の日記帳をめくりました。どのページにも娘の名前が踊らない日はありませんでした。漢字一文字の当時としてはハイカラな名前でしたね。わたくしお話をする前に娘の名前は言わなくてもいいですね、と言いましたが「愛」という字を書いて「めぐみ」と言うんですの。少し当て字のようですが、夫が可愛がってもらっていた陸軍士官学校の先輩につけていただいたのでした。愛と書いてめぐみ。わたしども夫婦の幸せの証、いえ、生きてきた証そのものですね。でも、その文字を見ればみるほど、なんだか「愛」という字がバラバラに見えてきました」


 すゑさんは、愛という字を右腕で大きく会場のみんなに向かって、虚空に書いて見せた。


「みなさんもご経験が一度はおありになるのではないでしょうか。漢字って不思議ですよね。普段何も気に留めていない時は、普通に違和感がありません。でも、何かの拍子に、そう…。あれ、この漢字って点を打つのだっけ、それとも打たないのだっけとか、書いてる途中に不安になって字引など引きます時に、しげしげとその漢字をながめていると、漢字そのものがばらばらに見えてくる。「愛」だったらカタカナの「ノ」の下にカタカナの「ツ」。かんむりを書いたすぐ下に「心」そして「久しい」。そう書いて「めぐみ」。本当にめぐみっていう感じはこれで良かったのかしら、わたしはとても不安になりました。私の知っている特別な漢字。私の幸福な記憶そのものと言っていい「愛」という字が「ノ」と「ツ」と「心」と「久」にバラバラになって、私に不気味に笑いかけているように感じられてきて怖くなりました」





 壇上にいる南堂社長はおそらくこの話も詳しく知っているのだろう。神妙な面持ちで、下を向いてうつむいていた。

地下鉄のない街116 デジタル時計

「私は日記帳や写真を指差しながら、娘に向かってあなたがどれだけ愛されてきたのか。私たち夫婦にとってかけがえのない宝物だったかをゆっくりと話し始めました。わたしは徐々に心が落ち着いてきました。小学校に入学した時のことや誕生日をお祝いしたこと、一つ一つが頭に思い浮かびました。


 でも娘は無表情でそれを聞いているだけでした。わたしはともかくも日記やアルバムのページをめくりました。


 そのうちにだんだん恐ろしいことが起きてきました。さっきの「愛」という文字がバラバラになった感じと同じように、日記帳がバラバラに感じられてきたのでした。日記はほぼ毎日、何十年に渡って書いてきました。日記帳だけで一つの本棚の何列かの棚が埋まっているほどです。だからその日付はずっと何十年も繋がって、何十冊にも渡って今の私たちに繋がっているはずです。本棚をみると、背表紙にあの子が生まれた頃からつけ始めた年代から今の年代まで、見た目はずっと繋がっているんですね。でも何だか繋がってない。わたしは落ち着かない気持ちで、あの子の節目節目の出来事を探しました。賞をとったピアノの発表会や受験の合格発表、夏休みに外国に旅行したこと、確かに探せばその一つ一つは日記の中に見つかりました。


 そして、この思い出の出口が今目の前にいるこの子に繋がっている、それを確かめたくてわたしは古い日記に書かれた私の字を見ながら、何度も娘を見ました。もちろん日記に書かれているのは子供の頃。今目の前にいるのはもう初老にさしかかったあの子です。でも、さっきまではその年をとったあの子の中に、わたしはいくらでも小さかった頃のあの子を、ごく自然に重ね合わせることができたのです。


 恐ろしいことに、日記帳のエピソードがバラバラになって見えてきただけではなくて、この日記帳と今目の前にいる娘のとの、そのつなぎ目が見えなくなってきたんです。




『私はお母さんの本当の娘じゃないわ』

 まさにそう思った瞬間に、また娘が静かにわたしにそう言いました。


 確かに私はあの子のすべてを知っているわけではない。日記の日付は綿々続いている。でもその間は私は知らないのです。ちょうどデジタル時計のように、10:00分も12:30分も夜の21:40分も日記には書いてあります。でも、それはあの子の人生の瞬間を、自分に都合良く、自分がいいと思ったことだけ、自分に理解可能なところだけ、自分が残したいところだけ自分の都合で切り取っただけかもしれない。膨大なあの子の全体の姿を私は確かに知らないのかもしれない。


 わたしはもう一度日記帳の背表紙を見ました。

 アナログ時計針のような滑らかな繋がりはなくなって、本棚にはバラバラな書類をまとめた束が日記の姿をして無造作に並んでいるだけのように見えてきました。娘をみると、そこに私の知らない表情をした娘に似ている初老の一人の人間が座っていました。


『あなたはあたしのことを何も知らない』

 わたしは自分でしゃべることをやめ、目の前の私とは別人格を持った一人の女性の話を聞き始めました。」

地下鉄のない街117 娘の変貌

「娘は言いました。
『私の人生を返して欲しい』と」

 すゑさんは、穏やかな笑みを浮かべながら静かにそう言った。



「娘がその人に会ったのはほんとの偶然だったそうです。あの子はいつもお昼ご飯を済ませたあと二時間ほど近所の喫茶店に行くんですの。独身生活ですから、多少暇を持て余しているところもあったのでしょう。わたしども親としましても、あの子が外の空気に触れるのは必要なことだと思っていましたので、あの子が『行ってきます』と出て行くのをいつも笑顔で送り出していたのです。

 あの子が昔から好きな本がありまして、あの子は喫茶店に行く時はいつでもその本を持って行ったのです。『かもめのジョナサン』という本ですの。若い方はあまりご存知ないのかしら。いっときは大ベストセラーだったよう記憶しております。でもブームが去ったあとでもあの子は繰り返し繰り返しあの本を読んでいました。よほど気に入ったのでしょうね。ある時などは『私がお墓に入る時にはこの本を一緒にいれて』なんて真面目な顔してわたしたちに言うものですから、これには寝たきりの主人も苦笑しながら『おいおい、愛は私たちより先に死んでしまうつもりなのかい』ってわざと多少怒った口ぶりで言いました。これにはあの子も笑い出して『あれ、あたしおかしなこと言ったわ。ごめんなさい』と舌を出してました。そして三人で愉快に笑いましたわ。



 そんなある日、あの子が嬉しそうに顔を輝かせて帰ってきました。あまり嬉しそうなので尋ねてみますと、喫茶店で『かもめのジョナサン』を読んでいる若い女の人を見かけたと言います。フチなしの知的なメガネをかけた、髪をポニーテールに結った魅力的な人だったそうですわ。何でもまだ大学を出たばかりで、大学の先輩が開業している心療内科のクリニックでカウンセラーの見習いのようなことをしてらっしゃるとか。すごく気があったようで、娘は毎日その人とおしゃべりするために喫茶店に通うようになったようです。二時間くらいで戻ってきたのが、夕方まで帰ってこないこともありました。ずっと話し込んでいた時もあったし、その方が持ってきてくださった色々な本を読んで過ごしていた時もあったようです。

 娘は日に日に見違えるように明るく、外交的になって行きました。私も主人もそれは喜びましたわ。手のかからない子ではあったのはよかったけれど、欲を言えばもっとわがままに、活発に、自分のやりたいことをどんどんして欲しいな、そんな風にも思っていましたし、あの子がおとなしく年をとりそのまま老いて行くのを間近で毎日見ていますと、ああ、もしかしたら私たちはこの子の育て方をどこか根本的な部分で間違っていたなんてことはないんだろうかって、そんな不安にとらわれることもありましたから。」



 嵐の前の静けさ。僕にはすゑさんが穏やかに話している様子がそんな風に感じられた。すゑさんの話し方というのは、穏やかで静かな海面のようだった。でもその海面の下には深い海が途方もない深さまで続いていて、何かの拍子でパックリと口を開けた海原は小舟を一瞬で飲み込んでしまう。




「今にして思えば、きっと普通のご家庭が思春期を迎える我が子を見るような、そんな時期だったのかもしれませんね。あの子はそのポニーテールの魅力的なカウンセラーの方に会ってから急速に変わりました。とても意思的な目をして、自分で何か困難を克服しようとするような、私たちには分からない大事なものを追い求めるような。親から自立して行く準備を始めた子どものたくましさ、その反面の自分の手を離れて行くのだという親としての恐れ、そんな気持ちをあの子が十代の頃には持ったこともありませんでした。

 でも、あの頃、それを強烈に感じました。主人も同じ感じを持っていました」




「そんなある日でした。喫茶店から帰ってきたあの子が『私の人生を返して欲しい』と静かに言ったのは。あの日は聞き違いかと思って聞き流してしまいました」

 静かな水面にパックリと深淵が開こうとしていた。


「二人っきりの暗くなりかけた部屋で、娘はその時と同じ言葉を同じ口調で口にしました。今度は私の耳にもはっきりと聞こえました。」
ゆっきー
地下鉄のない街 第一部完結
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