「子供の名前はここではいいですね。一人娘です。私が今年92歳ですから、ご想像のように娘ももう、70を少し越えております。ですから娘と言ってもお婆ちゃんですね。私どもにとってはいつまでも幼い娘といった思い出と一緒ですから、今でも会えばすっと年齢のことは忘れてしまいます。娘が独身でいるせいもあるでしょうね。ですから、わたくしども老夫婦にとっても、そしてまた娘にとっても「家族」という言葉は特別なのですね。わたくしは、この純金を通した会が「家族」という名前を含んでいることがとても心温まることのように思えるのですよ。
南堂社長は少し誤解を受けるタイプの方かもしれませんが、お話をよくよく聞いてみれば、この会を本当の家族のように思い、みなさんの幸せを一緒に育み、共に発展させて行こうというお気持ちが、わたくしにはよく伝わってくるのですよ。
それはわたくしども老夫婦が迎えた家族の試練があったからよけいなのかもしれませんね」
すゑさんはここで会場を穏やかな目で見渡した。誰の目にもすゑさんの落ち着いた雰囲気は心地よかった。あの穏やかな目の奥に、当時どんな苦しみがあったというのだろう。
「みなさんも多分ご経験があるでしょう。子供の頃、きっかけははっきりとは覚えていなくても、なんだか突然世界中から見放されたような気分になって、それが何の脈絡もなく『わたしってこの両親の本当の子じゃないんじゃないか』っていう恐怖に変わった思い出。わたし自身もございますのよ。こんな歳になっても、そのときの胸の鼓動と、突然自分が住んでいる家、自分の部屋が偽物に見えてしまったあのこわい気持ちはよく覚えています。両親の笑い声もどこか演技のように聞こえる。そんな気分になってしまった理由はただ一つ。あたしが本当の子供じゃなくて、何かのきっかけでこの家にたまたま住むことになったからに違いない。だからきっと、両親は明日にでも私にそのことを告げるに違いない。私には一つ上の兄がおりましたが、もちろん兄に相談できるはずもありませんでした。だって兄は本当の子。そして私だけこの家族に中に紛れてしまったよその子、そうとしか思えなかったのですから。」
会場の人々は、純金ビジネスの説明会で思いがけず聞くことになったすゑさんの話に、すっかり引き込まれていった。
「夕食に呼ばれても、私は部屋の隅で膝を折って頑なに食卓に行こうとはしませんでした。もちろん両親は心配します。兄も困った顔で笑いかけながら一緒に夕食を食べようと言ってくれます。でも私にはその誘いまでもが、三人で示し合わせて私に、私がもらわれっ子だということを隠そうと優しくしているとしか思えなかったのでした」
僕は会場を見渡しながら、僕の家族のこと、両親、ねえさんのこと
あのスパイ映画を観た時の恐怖と春日井先生、そして春日井先生の弟さんのことを思い出していた。