地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街112 株式会社 純金天下家族会

「皆さん、こんにちは!株式会社 純金天下家族会の南堂でございます!」

 南堂はあえてマイクを通さずに太い響き渡るような声で会場に挨拶した。

 会場からは、同じような大きな声で「こんにちは!」と大きな声が谺する。しかし、声を出しているのは会場の一部で、会場全体にはやや冷ややかな空気が流れていた。




 今日はマスコミの関係者に方も大勢いらっしゃってる。そこでまず、お手元の資料にあります私たちの「純金天下家族会および、純金ワールド契約証券」についてのご説明と、契約者の方にはその素晴らしさの再確認をしていただきたい。本日はそういう趣旨のセミナーでございます。

 我が組織純金家族は構成員五万四千八百四十四名、本日も九十二名の新家族をお迎えしてまもなく六万人、来年を迎える頃には十万人の仲間に育つ予定であります。



 私共の組織はご加入の方は先刻ご承知のように、一つの大きな家族なのです。今日これだけ家族の仲間が増えた後も、加入いただいた方は私と一度は差し向かいでお話ししたことのある方ばかりです。私はどんなに忙しくても、みなさま一人一人にこれから投資していただく純金の塊をお手にとっていただき、「世界の窪み」を実感していただき、十分にご納得いただいた末にご加入いただいております。

 まずは皆様に金をご購入いただく。そこまではごくありきたりの儲け主義の金投資なのです。私共が家族である理由は、その金の投資をきっかけに、運命共同体ともいうべき「純金ワールド契約証券」に同時加入していただくことなのです。

 純金をただお買い求めいただいて、家に持ち帰っても盗難の心配もありますし、利息も付きやしません。そこで私共では「純金ワールド契約証券」に同時加入しいただくことをお勧めするのです。強制ではありませんが趣旨に賛同していただいたお客様99%の方に加入いただいています。

 私共に純金の保管を委託していただく、これだけですと保管料もかかってしまいますが、私共はお預かりした金塊に対して年率18%、五年満期のお預かりの場合にはなんと年率36%のお利息を逆にお支払いするのです。その預かり証が「純金ワールド契約証券」なわけですね。
 どうですか。分かりやすいでしょう。一部のマスコミが、解約したいと言っても解約できず、集めた金の利息を支払うために、ねずみ講のように次から次へと「家族を増やす」と称して強引な金投資を勧誘していると報道していますが、根も葉もない嘘なんです!

 実際に解約したいと言ってきたお客様はごく少数ですが確かにいらっしゃいますし、その折私なり営業がそれは損だからおやめなさい、とやんわり説明すると解約を取りやめ、それどころかさらに倍の金投資をされるお客様もいらっしゃいます。


 みなさん、ですからご安心ください。私共は国からちゃんと営業許可も得ています。国のお墨付きなんですよ。さらに言えば、国の保険制度、大手企業の各種保険だって私共の「純金ワールド契約証券」と同じなんです。相互扶助の精神でお金を集め、それを一定のルールでリスクヘッジしたり、貢献度の高いお客様に分配したりするわけですね。


 さあ、ちょっと話が理屈っぽくなりましたので、ここでもう6年に渡って「純金ワールド契約証券」の年率36%の配当金を受け取ってらっしゃる渡辺すゑさんにご登壇いただきましょう。渡辺さんは今年92さいのお婆ちゃまです。渡辺さんは受け取った配当をさらに金に再投資されていますので、元金の金塊が2000万円分もあります。皆様お分かりですね。このおばあちゃんは、「純金ワールド契約証券」の配当として株式会社純金天下家族会より毎年暮れに720万円を受け取っているのですよ。どんな大金かお分かりになられますよね。軽くサラリーマンの平均的な年収を超えていますね。


 では、ご登壇いただきましょう!渡辺すゑさんです。拍手でお迎えください!




 西村は会場の後ろで笑いを堪えていた。

「西村さんこれって…」

「いや、まあまて。これからますます面白くなるし、おしまいまで聞けば、ひょっとすると今皆川が口にしようと思った言葉は適切じゃないかもしれないぜ」


 僕はもちろん皆川君が口にしようとした言葉が分かった。


 詐欺だ。これは…。

地下鉄のない街108 投資哲学

 例えて言うなら戦前からの古い伝統のある私立学園の理事長室のようだった。厚手の思い漆喰のドアを内側に押すように開くと、西村の個室はそんな風情で皆川君を迎えた。昔のしっかりした建物が皆そうであるように、天井も外に向かって開かれた窓もかなり高く、窓の一番上には梯子でも使わなくては開閉ができないような喚起窓があった。西村の言いつけ通りその小窓がすべて綺麗に内側に倒され、爽やかな風が部屋に入り込んでいた。




「ただいまコーヒーでもお持ちいたしますね」

 南堂はすたすたとサイドボードのコーヒーソーサーに向かったが、小窓を開ける時に使った脚立が壁際に出しっぱなしになっているのに気がつき、すぐ片付けます、と大袈裟に恭しく西村に黙礼をし、部屋の奥のドアの向こうに消えていった。


「どこまで演技でどこまで本当なんだろ…そう思ったかい?」

 南堂を目で追う皆川君を見て西村はそう呟いた。皆川君が振り返ると西村は応接セットの椅子に腰掛け、右手で自分の対面のソファを皆川君に勧めた。




「変わった人ですね」

 部屋の中をぐるっと見渡しながら皆川君が腰をおろした。未来の教団トップが使う部屋。ここはどんな部屋なんだろう。窓際には重厚な木製の執務机が据えられており、綺麗に片付いた机の上には書類を留めておくための像の文鎮が置かれている。

「うん。まあね。案外ああいう雰囲気に善良な人がころっと騙されちゃうんだから分からないもんだなあ」

 僕はさっきの西村の話を思い出した。羽振りが良かった頃の純金投資詐欺のことを言っているのだろう。人ごとのように言っているが、いまでは教団が南堂の訴訟費用を負担していると言っていた。いくら教団を頼ってくる信者のためとはいえ、普通はそこまでやらないだろう。いったい、教団と南堂との間にはどんないきさつがあるのか。



「おや、騙すとか何とか人聞きの悪い言葉が聞こえましたよ」

 顔にへばりついたような笑みを浮かべて南堂が四角いお盆にコーヒーを乗せてきた。

「いや、ごめん。南堂さんのことじゃないよ」

「またまたあ。いいんですよ、西村本部長」




 本部長と言われた西村はそれまでの飄々とした表情から露骨に不快な顔になり、不機嫌そうに南堂を見た。

「あ…。ところで私の話ですが、どんな風にお話すればいいでしょうか」

 西村の表情に慌てた南堂は本題に入ろうとした。


 コーヒーをすすりながら西村は気を沈めているようだった。女系教祖の『東方暁の雫』では、父親を含めた男性幹部は事務方だということだったが、本部長という役職はきっとその頂点か、父親のすぐ下くらいの地位を思わせた。とにかく西村はその呼ばれ方が嫌いらしい。



「そうだね、南堂さんが逮捕直前に社員と投資家400名を集めてやったていう、あの伝説の演説でももう一度やってみたら?」

「え?あれをですか。意地悪ですねえ。西村さんも。あれは…」

「いいじゃない。何も立ち上がって演説口調でやってくれと言ってるわけじゃない。もしかしたらこれは詐欺なんじゃないかって血相変え説明を求めてる投資家や、不信や不満で爆発寸前の社員全員があなたの演説が終わったあと感動でむせび泣いたというあれをやってよ」






 南堂は西村の本意がどこにあるか探るような目をしたが、すぐに笑顔になった。

「分かりました。では、我が社の投資哲学をお話ししましょう」

 西村は満足そうに頷いた。

地下鉄のない街112 意外な接点

 渡辺すゑさんは、600人近くは入っている純金天下家族会セミナールームの一番前に座っていたようだった。純金天下家族会職員の若いスーツ姿の男に肩を添えられ、舞台脇にある小さな階段でちょこちょこと壇上に上がって行く。92歳、不労所得720万円のおばあちゃんの背中は生き生きとして見えた。背中は少し丸くなっていたが、薄い黄色のツーピースを無難に着こなしていた。壇上の女性司会者が手を引こうとすると、上品な仕草で首を振り、自分の足でゆっくりと壇上に向かった。




「それではご紹介いたします。先ほど南堂がご紹介させていただきました渡辺すゑさんです。皆様どうか盛大な拍手でお迎えください」

 会場が拍手で包まれる。さっきまで冷ややかな空気は潮が引きようにすっと消え、にっこりと微笑む品のいい老婦人の笑顔に会場に安堵の空気が流れ込んだ。女優の森光子さんを思わせるような明るい、笑い顔が素敵なお婆さん。まるでさっきまでの南堂の演説までもが、この老婦人の登壇で信憑性を獲得したかのようだった。

 老婦人は自己紹介をした。夫の軍人恩給で慎ましやかに暮らす中、渡辺すゑさんの自宅のチャイムをいきなり鳴らした純金天下家族会柿内というセールスマンと出会ったのはもう十年近く前だったという。寝たきりになっていた夫の介護で疲れ果てていたすゑさんが純金天下家族会のセールスマンを自宅に上げたのは、強引さではなくて、久しぶりに会いにきた孫がおばあちゃんに接するような朴訥な態度だった。午前中やってきたセールスマンは、結局夕方の六時まですゑさん宅にいたのだった。炊事をしたり、溜まっていた洗濯を片付けたり、ねたきり老人の身体を拭いたり、大きなゴミをまとめて回収業者を手配したり、押し付けがましくもなく、ごく自然にそんなことをしてくれたという。

「ではここで、本日会場整理にあたっている弊社柿内をご紹介します」

 司会の女性がそういうと、会場入口付近のにいた西村と皆川君のすぐ横にスポットライトが当てられた。柿内というセールスマンがライトの中に浮かび上がり、会場には大きな暖かい拍手が湧いた。柿内さんは照れたように黙礼をしただけで、再びすゑさんの体験談が続いた。


「私も夫も世間からは忘れられた、今はただつつがなく天寿を全うすることだけの毎日を過ごす老夫婦です。しかし、だからと言って、ぼけてしまっているわけじゃありません。私は親切な柿内さんとおっしゃるその方が、お昼ごはんをご一緒した時に鞄から出した純金を売りにきた人だということを理解していました。悪くいえば、そんなに良くしてくれるのは、私たちが貯めた軍人恩給が目当てであることは間違いないのですから。」


 会場はすゑさんの言葉に聞き入っていた。

「ですから、もしみなさんの御宅に親切そうな若いセールスマンがやってきて身の回りの世話をしてくれたり、話し相手になってくれたからといってすぐに信用しちゃダメですよ。あの方達はそれが作戦なんですから」


 森光子さん似の渡辺すゑさんがそう言ってにっこり微笑むと、一瞬の戸惑いの沈黙のあと、会場は好意的な大爆笑の渦に包まれた。みんなが実は信用したくて堪らなかった、この純金天下家族会のうさんくささを、渡辺すゑさんはわずか五分ですっかり何処かへ追いやってしまったのだった。

 会場に詰めかけた投資者たちは、自分がもう後戻りできないところまでお金をつぎ込んでいる現実に、何とかして信憑性のお墨付きが欲しかった。この際中身は後回しでもいい。とにかくこの自分のモヤモヤを誰かなんとかして欲しい。誰もがそう思っていたのだった。もしかしたら、自分も親切そうな若いセールスマンに騙されたのかもしれない。しかし、そうでもなさそうな感じがしてきた。
 すゑさんの冗談に、壇上奥のパイプ椅子に座っている南堂社長が大げさに頭をかいて苦笑して見せている。「すゑさん!何てこと言うの!」慌てふためいてコミカルにオロオロしている南堂社長の様子は、演技とわかっていてもさらに大きな爆笑を誘ったのだった。


 すゑさんの巧みな体験談は続いた。演技でもいい。すゑさんと南堂社長の醸し出すこの雰囲気に自分のどす黒い疑心暗鬼を消してもらいたい、投資者でも何でもない僕にはそんな集団心理を巧みに利用した演出がよく見えたのだが、会場は完全に渡辺さんムード、いや、純金天下家族会ムード一色になっていた。





 しかし、会場は一瞬で静まり返った。

「そんな生き生きとした生活を与えてくださった純金天下家族会なんですが、セールスの柿内さんがいらっしゃった時には実は、いえ、具体的にはその次の日に、私たち老夫婦は無料心中する予定だったんですよ」

 水を打ったように静まり返った会場はすゑさんの言葉を待った。

「辛いお話を少しだけさせてくださいね。その方が、私の純金天下家族会の体験談も一層皆様のご判断のお役に立つのではないかしらと思いますので。私たちがそんな決意をした理由お話するには、私たちの一人娘と、悪魔のような心理カウンセラーの話をしないといけません」




 西村がそこでとなりの皆川君の脇腹を肘でつついた。

「驚くなよ。意外な接点がここで出てくるんだ。その悪魔のような心理カウンセラーというのはお前も知ってる綺麗な女性カウンセラーなんだが、誰だかわかるかい?」

 皆川君は西村の不気味な笑みに表情をこわばらせた。

「そう。皆川の想像通りだ。春日井恭子先生のことさ」

地下鉄のない街113 すゑさん、僕、春日井先生

「子供の名前はここではいいですね。一人娘です。私が今年92歳ですから、ご想像のように娘ももう、70を少し越えております。ですから娘と言ってもお婆ちゃんですね。私どもにとってはいつまでも幼い娘といった思い出と一緒ですから、今でも会えばすっと年齢のことは忘れてしまいます。娘が独身でいるせいもあるでしょうね。ですから、わたくしども老夫婦にとっても、そしてまた娘にとっても「家族」という言葉は特別なのですね。わたくしは、この純金を通した会が「家族」という名前を含んでいることがとても心温まることのように思えるのですよ。
 南堂社長は少し誤解を受けるタイプの方かもしれませんが、お話をよくよく聞いてみれば、この会を本当の家族のように思い、みなさんの幸せを一緒に育み、共に発展させて行こうというお気持ちが、わたくしにはよく伝わってくるのですよ。
 それはわたくしども老夫婦が迎えた家族の試練があったからよけいなのかもしれませんね」




 すゑさんはここで会場を穏やかな目で見渡した。誰の目にもすゑさんの落ち着いた雰囲気は心地よかった。あの穏やかな目の奥に、当時どんな苦しみがあったというのだろう。




「みなさんも多分ご経験があるでしょう。子供の頃、きっかけははっきりとは覚えていなくても、なんだか突然世界中から見放されたような気分になって、それが何の脈絡もなく『わたしってこの両親の本当の子じゃないんじゃないか』っていう恐怖に変わった思い出。わたし自身もございますのよ。こんな歳になっても、そのときの胸の鼓動と、突然自分が住んでいる家、自分の部屋が偽物に見えてしまったあのこわい気持ちはよく覚えています。両親の笑い声もどこか演技のように聞こえる。そんな気分になってしまった理由はただ一つ。あたしが本当の子供じゃなくて、何かのきっかけでこの家にたまたま住むことになったからに違いない。だからきっと、両親は明日にでも私にそのことを告げるに違いない。私には一つ上の兄がおりましたが、もちろん兄に相談できるはずもありませんでした。だって兄は本当の子。そして私だけこの家族に中に紛れてしまったよその子、そうとしか思えなかったのですから。」



 会場の人々は、純金ビジネスの説明会で思いがけず聞くことになったすゑさんの話に、すっかり引き込まれていった。



「夕食に呼ばれても、私は部屋の隅で膝を折って頑なに食卓に行こうとはしませんでした。もちろん両親は心配します。兄も困った顔で笑いかけながら一緒に夕食を食べようと言ってくれます。でも私にはその誘いまでもが、三人で示し合わせて私に、私がもらわれっ子だということを隠そうと優しくしているとしか思えなかったのでした」



 僕は会場を見渡しながら、僕の家族のこと、両親、ねえさんのことあのスパイ映画を観た時の恐怖と春日井先生、そして春日井先生の弟さんのことを思い出していた。
ゆっきー
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