地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街110 春日井先生の魂

 西村が真面目な顔をして頷いた。まるで皆川君を自分の親友でも見るかのような友愛の情に満ちた目。皆川君は一瞬何かを決断したかのような厳しい表情をした後、口元を少し笑うように動かしてそれに応えた。インチキだろうがまあやってみても害はない、そんなところだろうか。

「さあ、目を閉じてあなたの大事な人を思い浮かべたら、そのまま右手の掌を上にして下さい」




 差し出した右手に南堂が取り出した金塊をすっと載せた。皆川君の手は重みでぐっと一瞬だけ下がり、皆川君はバランスを取り戻すように手首を元の位置に戻した。

「おっと、落とさないでくださいよ。抱いた赤ちゃんを地面に落としたら大変です。あなたとその大事な方とのこれから育って行く絆の糸が切れてしまいますよ。そうです。そっと、やさしくね。金属なのに冷たくないでしょう。冷んやりしたのは最初だけ。あなたの掌の温もりが伝わって、まるで肉体と同じように温かくなってきた。人肌の温もり、愛撫する存在の確かさ、どうです、あなたは自分の囚われた心から解き放たれ、永遠へと繋がっているのですよ」


 まるで催眠術師のように話す南堂は、さっきまでの軽薄な様子はすっかり影を潜め、童話の中に出てくる道に迷った旅人を部屋に招き入れ、暖かいスープとパンをあてがう親切な老人のように、目を閉じた皆川君をそっと見ていた。誠実でまるで牧師さんのような目をしていた。

「腕が疲れてきますから、目を閉じたままその右手をそっと自分の胸元に引き寄せてください。そして左手を添えて、あなたの大切な人の魂を、赤ん坊をそっと抱くように大事に慈しんでください」

 春日井恭子先生の白衣や、あの天真爛漫な笑顔、そして皆川君と先生が二人でしゃべっているのを姉さんと二人で異次元から聞いていた時の哀しい話の数々。僕は皆川くんに感情移入する形で、そんなことを思い浮かべた。

 今気がついたのだが、南堂という男は金塊を投資対象の商品ではなく、仏像のような信仰の対象の偶像として説明しているのだった。あの金塊がいくらするものかは分からない。右手にちょうど収まるくらいで、5万円とかではないだろう。多分500万円とかもっとなのかもしれない。金の投資に来たお客さんはこうやって、いつしか新興宗教のオブジェを買うように金を購入するということになるのだろうか…。



「さあ、いいですか、皆川さん。私がこれから三つ数えたら、私はあなたの今思い描いている人との世界にお邪魔しますよ。ここにいる西村さんと一緒にね。体を楽にしてください。意識がすっとなくなってあなたの心は解放されてます。倒れても大丈夫。あなたが今座っているソファにそのまま横たわってくださいね。私たちがあなたとその大事な方との世界にお邪魔いたします。そして、あなた方の未来を作るお手伝いをほんの少しだけさせていただきます。さあ、数を逆から数えますよ」


 目を開けて怒こり出すかと思ったが、皆川君は金塊を赤子のように抱いたまま小さく頷いた。皆川君にとってあの金塊はもうすでに、まだ届かぬ春日井先生の魂のように感じられているのだろうか。



「三」

 皆川君は動かない。

「二」

 西村は無言で皆川君を見る。

「一」

 南堂の声とともに皆川君がゆっくりとソファに倒れた。

地下鉄のない街111 南堂社長

「夢の中ですか、ここは」

 皆川君は右手の純金の重みを確かめながらソファから起き上がった。二十代と思しきスーツ姿の男子がカウンターの接客ににこやかに対応している。その数ざっと二十数名。月末の銀行の窓口みたいだった。フリーハンドのイヤホンマイクを装着してテレアポに忙しいのがカウンターのバックエンドに居並ぶ綺麗な女子社員。こちらはさらに数が多く、40-50名はいるだろう。

 そして南堂はというと、さっきまでの胡散臭い雰囲気は影を潜め、大部屋の一番奥まった角のデスクで管理職らしい社員に指示を与えていた。





「うん。まあ、夢みたいなものだな。タイムトラベルのような夢。そんなところ」

 話しかけられた西村は皆川君の隣で南堂の方を向いたままそう答えた。

 ここはどうやら南堂のオフィスらしい。全盛期の南堂のなのだろうか、するとここはタイムスリップした世界?西村や南堂はこういうことが自在に可能なのか?まさか、僕や姉さんが体験したあの不思議な時空間は西村と南堂にも関係があるのか?そういえば、皆川君の退院準備の病室で西村は「自分の仕事は時間警察、タイムパトロールみたいなことだ」と言っていた。


「そろそろセミナーの時間だな」壁にかかった時計を見ながら西村は言った。

「セミナーですか」皆川君が西村を見る。

「ああ、忘れちゃったのかい?南堂大先生が感動の大演説会をやるって」


 そうか、それでタイムスリップのようにしてここに来たのか。僕が大部屋の廊下に目を転ずると、後から後から新しいお客さんが詰めかけており、廊下の奥へと消えて行った。おそらく廊下の先に大きなセミナールームでもあるのだろう。
 お客さんの中には今にも怒鳴り出しそうな緊迫した表情の人も多く見られる。詐欺商法を糾弾してやろうと内心の激情をこらえているようにも見えた。





「さて、僕たちもそろそろセミナー会場に移動しよう」

 西村がニヤニヤしながら立ち上がって皆川君の肩を叩いた。

地下鉄のない街112 株式会社 純金天下家族会

「皆さん、こんにちは!株式会社 純金天下家族会の南堂でございます!」

 南堂はあえてマイクを通さずに太い響き渡るような声で会場に挨拶した。

 会場からは、同じような大きな声で「こんにちは!」と大きな声が谺する。しかし、声を出しているのは会場の一部で、会場全体にはやや冷ややかな空気が流れていた。




 今日はマスコミの関係者に方も大勢いらっしゃってる。そこでまず、お手元の資料にあります私たちの「純金天下家族会および、純金ワールド契約証券」についてのご説明と、契約者の方にはその素晴らしさの再確認をしていただきたい。本日はそういう趣旨のセミナーでございます。

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 まずは皆様に金をご購入いただく。そこまではごくありきたりの儲け主義の金投資なのです。私共が家族である理由は、その金の投資をきっかけに、運命共同体ともいうべき「純金ワールド契約証券」に同時加入していただくことなのです。

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 では、ご登壇いただきましょう!渡辺すゑさんです。拍手でお迎えください!




 西村は会場の後ろで笑いを堪えていた。

「西村さんこれって…」

「いや、まあまて。これからますます面白くなるし、おしまいまで聞けば、ひょっとすると今皆川が口にしようと思った言葉は適切じゃないかもしれないぜ」


 僕はもちろん皆川君が口にしようとした言葉が分かった。


 詐欺だ。これは…。

地下鉄のない街108 投資哲学

 例えて言うなら戦前からの古い伝統のある私立学園の理事長室のようだった。厚手の思い漆喰のドアを内側に押すように開くと、西村の個室はそんな風情で皆川君を迎えた。昔のしっかりした建物が皆そうであるように、天井も外に向かって開かれた窓もかなり高く、窓の一番上には梯子でも使わなくては開閉ができないような喚起窓があった。西村の言いつけ通りその小窓がすべて綺麗に内側に倒され、爽やかな風が部屋に入り込んでいた。




「ただいまコーヒーでもお持ちいたしますね」

 南堂はすたすたとサイドボードのコーヒーソーサーに向かったが、小窓を開ける時に使った脚立が壁際に出しっぱなしになっているのに気がつき、すぐ片付けます、と大袈裟に恭しく西村に黙礼をし、部屋の奥のドアの向こうに消えていった。


「どこまで演技でどこまで本当なんだろ…そう思ったかい?」

 南堂を目で追う皆川君を見て西村はそう呟いた。皆川君が振り返ると西村は応接セットの椅子に腰掛け、右手で自分の対面のソファを皆川君に勧めた。




「変わった人ですね」

 部屋の中をぐるっと見渡しながら皆川君が腰をおろした。未来の教団トップが使う部屋。ここはどんな部屋なんだろう。窓際には重厚な木製の執務机が据えられており、綺麗に片付いた机の上には書類を留めておくための像の文鎮が置かれている。

「うん。まあね。案外ああいう雰囲気に善良な人がころっと騙されちゃうんだから分からないもんだなあ」

 僕はさっきの西村の話を思い出した。羽振りが良かった頃の純金投資詐欺のことを言っているのだろう。人ごとのように言っているが、いまでは教団が南堂の訴訟費用を負担していると言っていた。いくら教団を頼ってくる信者のためとはいえ、普通はそこまでやらないだろう。いったい、教団と南堂との間にはどんないきさつがあるのか。



「おや、騙すとか何とか人聞きの悪い言葉が聞こえましたよ」

 顔にへばりついたような笑みを浮かべて南堂が四角いお盆にコーヒーを乗せてきた。

「いや、ごめん。南堂さんのことじゃないよ」

「またまたあ。いいんですよ、西村本部長」




 本部長と言われた西村はそれまでの飄々とした表情から露骨に不快な顔になり、不機嫌そうに南堂を見た。

「あ…。ところで私の話ですが、どんな風にお話すればいいでしょうか」

 西村の表情に慌てた南堂は本題に入ろうとした。


 コーヒーをすすりながら西村は気を沈めているようだった。女系教祖の『東方暁の雫』では、父親を含めた男性幹部は事務方だということだったが、本部長という役職はきっとその頂点か、父親のすぐ下くらいの地位を思わせた。とにかく西村はその呼ばれ方が嫌いらしい。



「そうだね、南堂さんが逮捕直前に社員と投資家400名を集めてやったていう、あの伝説の演説でももう一度やってみたら?」

「え?あれをですか。意地悪ですねえ。西村さんも。あれは…」

「いいじゃない。何も立ち上がって演説口調でやってくれと言ってるわけじゃない。もしかしたらこれは詐欺なんじゃないかって血相変え説明を求めてる投資家や、不信や不満で爆発寸前の社員全員があなたの演説が終わったあと感動でむせび泣いたというあれをやってよ」






 南堂は西村の本意がどこにあるか探るような目をしたが、すぐに笑顔になった。

「分かりました。では、我が社の投資哲学をお話ししましょう」

 西村は満足そうに頷いた。
ゆっきー
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