地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街109 窪みの重さ

 西村は大きな窓を背にして配置されたセパレート型のソファに、体をゆったりと沈めていた。コーヒーを飲みながら南堂がしゃべり始めるのを待っているようだった。



「皆川さんはお若いから、金の塊というものを生では見る機会はまだないでしょう」

 南堂は西村の隣のソファにちょこんと腰を沈めていた。

 向かいに座った皆川君が「はい」と小さく答える。

 西村はまたコーヒーを啜った。

 南堂が満足げに微笑む。



「いいもんですよぉ。金。あの重みがね。私ね、こう見えて赤ん坊が大好きなんですよ。ええ、そりゃもう、本当大好きで。何が好きってあの重みが好きなんです。不安定なのに触れた瞬間ずしっとくるあの感覚。薄っぺらいニセモノの、張り子でできたこの世のペコペコの大道具の舞台に、そこだけすぅっと窪みができる。深淵なる窪み。ね、こんな感じに。金は赤ん坊なんです」



 南堂は掌を上に右手を差し出し、そこに純金がのっているかのように手首を折り曲げた後、今度はそれに左手を添えて、胸元で袈裟懸けに抱いた赤ん坊をあやすような仕草をした。

「深淵なる不安定な窪みの中には不思議な永遠につながるような安心感があるんです。その窪みの形や重さは人それぞれ違う。そしてその重みはその人が生きている証です。それを抱いた者だけがその生命力を感じることができる。その小さな命は、やがて大きくなり子を生み、子が孫を生み、自分の家が子々孫々永遠に続いていくという家族の真実がそこにあります。家族という幻想はこの掌の中の重みの中に実感としてあるんですよ。

 こんな幸せなことがありますか?

 皆川さんはまだ高校生ですからご自分のお子さんという実感はないでしょう。しかし、あなたも生きている孤独感というものを味わったことはあるはずだ。いや、多感な高校生の今だからこそ、自分自身の不安定さに耐えられない時もあおりになると思うんですよ。お若い方がよく意地を張るようには、それはかっこ悪いことなんかじゃないんです。

 自我はね、人間の自我というものは自分自身の中には、決していかなる根拠をも持っていないんです。自分自身を手のひらに載せて、自分の重みを、世界のくぼみを実感することができますか?みんな何となくできると思ってる。でもできやしない。

 自分を支える存在はまず最初は自分の外側にあるんですよ。だからいくら精神論で内面を見つめても不安が増すばかりなんです。そういう方は多いんです。金をお求めになろうという方に特にね。だから私は、まず私の会社にご訪問いただいたお客様には、この世の窪みを実感していただくんですよ。」


 南堂はゆっくりとここまで言い終わると、おもむろに自分の脇においてあった安物のポーチのジッパーを開けた。

 ベージュ色の巾着のように口が絞ってある包みを取り出すと、南堂は皆川君の顔の前にそれを差し出した。



「貴方はまだ高校生だから、自分の赤ちゃんという想像はしにくいでしょう。ですから今は、貴方の心の中にいる、あなたがまだ触れることができない大切なあの人のことを思い浮かべてみてください。私にはそれが誰だかはわかりません。でもあなたにはどうやらそういう大切な方がいらっしゃるようです。それは私にはわかります。なぜって、私の会社にご訪問いただくお客様はみんなあなたのような目をされているからです。そしてその人に触れる瞬間のことを、その人の手を、肩をそっとを愛撫する感触を思ってください。そういうやさしい手で今からお渡しするものをお手にとってみてください。

 私は今からこの袋の中身を取り出します。あなたは軽く目を閉じてぜひ、その方のことをまぶたの内側に思い起こしてください」



 皆川君は話の展開に戸惑った目で西村を見た。

地下鉄のない街110 春日井先生の魂

 西村が真面目な顔をして頷いた。まるで皆川君を自分の親友でも見るかのような友愛の情に満ちた目。皆川君は一瞬何かを決断したかのような厳しい表情をした後、口元を少し笑うように動かしてそれに応えた。インチキだろうがまあやってみても害はない、そんなところだろうか。

「さあ、目を閉じてあなたの大事な人を思い浮かべたら、そのまま右手の掌を上にして下さい」




 差し出した右手に南堂が取り出した金塊をすっと載せた。皆川君の手は重みでぐっと一瞬だけ下がり、皆川君はバランスを取り戻すように手首を元の位置に戻した。

「おっと、落とさないでくださいよ。抱いた赤ちゃんを地面に落としたら大変です。あなたとその大事な方とのこれから育って行く絆の糸が切れてしまいますよ。そうです。そっと、やさしくね。金属なのに冷たくないでしょう。冷んやりしたのは最初だけ。あなたの掌の温もりが伝わって、まるで肉体と同じように温かくなってきた。人肌の温もり、愛撫する存在の確かさ、どうです、あなたは自分の囚われた心から解き放たれ、永遠へと繋がっているのですよ」


 まるで催眠術師のように話す南堂は、さっきまでの軽薄な様子はすっかり影を潜め、童話の中に出てくる道に迷った旅人を部屋に招き入れ、暖かいスープとパンをあてがう親切な老人のように、目を閉じた皆川君をそっと見ていた。誠実でまるで牧師さんのような目をしていた。

「腕が疲れてきますから、目を閉じたままその右手をそっと自分の胸元に引き寄せてください。そして左手を添えて、あなたの大切な人の魂を、赤ん坊をそっと抱くように大事に慈しんでください」

 春日井恭子先生の白衣や、あの天真爛漫な笑顔、そして皆川君と先生が二人でしゃべっているのを姉さんと二人で異次元から聞いていた時の哀しい話の数々。僕は皆川くんに感情移入する形で、そんなことを思い浮かべた。

 今気がついたのだが、南堂という男は金塊を投資対象の商品ではなく、仏像のような信仰の対象の偶像として説明しているのだった。あの金塊がいくらするものかは分からない。右手にちょうど収まるくらいで、5万円とかではないだろう。多分500万円とかもっとなのかもしれない。金の投資に来たお客さんはこうやって、いつしか新興宗教のオブジェを買うように金を購入するということになるのだろうか…。



「さあ、いいですか、皆川さん。私がこれから三つ数えたら、私はあなたの今思い描いている人との世界にお邪魔しますよ。ここにいる西村さんと一緒にね。体を楽にしてください。意識がすっとなくなってあなたの心は解放されてます。倒れても大丈夫。あなたが今座っているソファにそのまま横たわってくださいね。私たちがあなたとその大事な方との世界にお邪魔いたします。そして、あなた方の未来を作るお手伝いをほんの少しだけさせていただきます。さあ、数を逆から数えますよ」


 目を開けて怒こり出すかと思ったが、皆川君は金塊を赤子のように抱いたまま小さく頷いた。皆川君にとってあの金塊はもうすでに、まだ届かぬ春日井先生の魂のように感じられているのだろうか。



「三」

 皆川君は動かない。

「二」

 西村は無言で皆川君を見る。

「一」

 南堂の声とともに皆川君がゆっくりとソファに倒れた。

地下鉄のない街111 南堂社長

「夢の中ですか、ここは」

 皆川君は右手の純金の重みを確かめながらソファから起き上がった。二十代と思しきスーツ姿の男子がカウンターの接客ににこやかに対応している。その数ざっと二十数名。月末の銀行の窓口みたいだった。フリーハンドのイヤホンマイクを装着してテレアポに忙しいのがカウンターのバックエンドに居並ぶ綺麗な女子社員。こちらはさらに数が多く、40-50名はいるだろう。

 そして南堂はというと、さっきまでの胡散臭い雰囲気は影を潜め、大部屋の一番奥まった角のデスクで管理職らしい社員に指示を与えていた。





「うん。まあ、夢みたいなものだな。タイムトラベルのような夢。そんなところ」

 話しかけられた西村は皆川君の隣で南堂の方を向いたままそう答えた。

 ここはどうやら南堂のオフィスらしい。全盛期の南堂のなのだろうか、するとここはタイムスリップした世界?西村や南堂はこういうことが自在に可能なのか?まさか、僕や姉さんが体験したあの不思議な時空間は西村と南堂にも関係があるのか?そういえば、皆川君の退院準備の病室で西村は「自分の仕事は時間警察、タイムパトロールみたいなことだ」と言っていた。


「そろそろセミナーの時間だな」壁にかかった時計を見ながら西村は言った。

「セミナーですか」皆川君が西村を見る。

「ああ、忘れちゃったのかい?南堂大先生が感動の大演説会をやるって」


 そうか、それでタイムスリップのようにしてここに来たのか。僕が大部屋の廊下に目を転ずると、後から後から新しいお客さんが詰めかけており、廊下の奥へと消えて行った。おそらく廊下の先に大きなセミナールームでもあるのだろう。
 お客さんの中には今にも怒鳴り出しそうな緊迫した表情の人も多く見られる。詐欺商法を糾弾してやろうと内心の激情をこらえているようにも見えた。





「さて、僕たちもそろそろセミナー会場に移動しよう」

 西村がニヤニヤしながら立ち上がって皆川君の肩を叩いた。

地下鉄のない街112 株式会社 純金天下家族会

「皆さん、こんにちは!株式会社 純金天下家族会の南堂でございます!」

 南堂はあえてマイクを通さずに太い響き渡るような声で会場に挨拶した。

 会場からは、同じような大きな声で「こんにちは!」と大きな声が谺する。しかし、声を出しているのは会場の一部で、会場全体にはやや冷ややかな空気が流れていた。




 今日はマスコミの関係者に方も大勢いらっしゃってる。そこでまず、お手元の資料にあります私たちの「純金天下家族会および、純金ワールド契約証券」についてのご説明と、契約者の方にはその素晴らしさの再確認をしていただきたい。本日はそういう趣旨のセミナーでございます。

 我が組織純金家族は構成員五万四千八百四十四名、本日も九十二名の新家族をお迎えしてまもなく六万人、来年を迎える頃には十万人の仲間に育つ予定であります。



 私共の組織はご加入の方は先刻ご承知のように、一つの大きな家族なのです。今日これだけ家族の仲間が増えた後も、加入いただいた方は私と一度は差し向かいでお話ししたことのある方ばかりです。私はどんなに忙しくても、みなさま一人一人にこれから投資していただく純金の塊をお手にとっていただき、「世界の窪み」を実感していただき、十分にご納得いただいた末にご加入いただいております。

 まずは皆様に金をご購入いただく。そこまではごくありきたりの儲け主義の金投資なのです。私共が家族である理由は、その金の投資をきっかけに、運命共同体ともいうべき「純金ワールド契約証券」に同時加入していただくことなのです。

 純金をただお買い求めいただいて、家に持ち帰っても盗難の心配もありますし、利息も付きやしません。そこで私共では「純金ワールド契約証券」に同時加入しいただくことをお勧めするのです。強制ではありませんが趣旨に賛同していただいたお客様99%の方に加入いただいています。

 私共に純金の保管を委託していただく、これだけですと保管料もかかってしまいますが、私共はお預かりした金塊に対して年率18%、五年満期のお預かりの場合にはなんと年率36%のお利息を逆にお支払いするのです。その預かり証が「純金ワールド契約証券」なわけですね。
 どうですか。分かりやすいでしょう。一部のマスコミが、解約したいと言っても解約できず、集めた金の利息を支払うために、ねずみ講のように次から次へと「家族を増やす」と称して強引な金投資を勧誘していると報道していますが、根も葉もない嘘なんです!

 実際に解約したいと言ってきたお客様はごく少数ですが確かにいらっしゃいますし、その折私なり営業がそれは損だからおやめなさい、とやんわり説明すると解約を取りやめ、それどころかさらに倍の金投資をされるお客様もいらっしゃいます。


 みなさん、ですからご安心ください。私共は国からちゃんと営業許可も得ています。国のお墨付きなんですよ。さらに言えば、国の保険制度、大手企業の各種保険だって私共の「純金ワールド契約証券」と同じなんです。相互扶助の精神でお金を集め、それを一定のルールでリスクヘッジしたり、貢献度の高いお客様に分配したりするわけですね。


 さあ、ちょっと話が理屈っぽくなりましたので、ここでもう6年に渡って「純金ワールド契約証券」の年率36%の配当金を受け取ってらっしゃる渡辺すゑさんにご登壇いただきましょう。渡辺さんは今年92さいのお婆ちゃまです。渡辺さんは受け取った配当をさらに金に再投資されていますので、元金の金塊が2000万円分もあります。皆様お分かりですね。このおばあちゃんは、「純金ワールド契約証券」の配当として株式会社純金天下家族会より毎年暮れに720万円を受け取っているのですよ。どんな大金かお分かりになられますよね。軽くサラリーマンの平均的な年収を超えていますね。


 では、ご登壇いただきましょう!渡辺すゑさんです。拍手でお迎えください!




 西村は会場の後ろで笑いを堪えていた。

「西村さんこれって…」

「いや、まあまて。これからますます面白くなるし、おしまいまで聞けば、ひょっとすると今皆川が口にしようと思った言葉は適切じゃないかもしれないぜ」


 僕はもちろん皆川君が口にしようとした言葉が分かった。


 詐欺だ。これは…。
ゆっきー
地下鉄のない街 第一部完結
0
  • 0円
  • ダウンロード

106 / 133

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント