泣きじゃくる朝子はなつみのかける言葉に徐々に嗚咽を沈め、やがて電話を切った。
篠崎家のリビングでは事件を中継するテレビの音量が控えめに鳴っていた。篠崎と朝子の母親冴子は自分たちの座ったソファの前で必死に状況を伝えた朝子の手を握った。
「ともかくも、最低限必要なところには連絡できたわけだ。パニックになりながらどうしても自分で電話して謝りたいといったお前のことはパパは立派だと思うよ」
篠崎はそう言って朝子の手を握り直した。紗子も大きく何度も頷いている。
「
パパとママ出かけている間に武蔵小杉署の寺村刑事からかかってきた電話は、はなっからお前をはめようとして仕組まれたものだったんだ」
朝子は無言だった。
「ただ、素人のパパに分からないのは、なんで武志くんの救出がこんな住民の避難誘導をした上での銃撃戦の準備みたいになってるのかってことなんだが…」
朝子は大きなため息をついた。
「あなた、そんなこと言ったって朝子だって分からないわよ。朝子の話じゃこのテレビで喋っているようなことは警察では一言も出てこなかったって言うんだから」
「そうだな、すまない朝子」
朝子は力なく首を振った。
「そうすると全てが闇の中か。ごめんな朝子。こういう時に市井の中に埋れてるパパみたいなのには何もわからない…」
普段自分のことを飄々と二枚目半にして笑っている篠崎も、この時ばかりは自分の窺い知れない部分で自分の娘がダシにされ、手前勝手な大きな陰謀がどこかで進行していることに忸怩たる思いだった。
重苦しい空気を少しでも追いやろうと冴子がお茶を入れにソファを立った時に篠崎のケータイが鳴った。ディスプレイには武志の父親の名前が浮かんだ。
「もしもし…」
五分ばかりも篠崎は携帯電話を握りしめていた。
冴子は朝子と一緒にその様子をじっと眺めていた。
「分かったよ。斎藤さんの大学の同じゼミの仲間が警察庁の偉いさんらしい。息子が関わっているということでかなり詳しいことを聞けたらしい。聞けたらしいんだが…」
「どうしたの…」冴子が遠慮がちに篠崎の言葉の先を促した。
「ああ。これは斉藤さんと今斎藤さんのところにいる南方組の石橋さんの状況分析を加えた憶測なんだがどうやら警察の組織的な陰謀があるのかもしれない…」
篠崎は妻と娘にその陰謀論を説明した。
「…そんなことって、この法治国家日本にあるのかしら」
「分からない。幸い千葉の藤井組とは電話は繋がるようなんで今石橋さんが状況を整理しているそうだ。」
「…じゃあ、とりあえずあたしたちはここでテレビを付けてまっているしかないのね」
「ああ。斎藤さんの話では警察庁では武志君の安全確保を第一としながらも、それ以外の人間の全員射殺というシナリオもあり得るということだった」
「オフレコね」
「いや、そうでもないらしい。いくら大学時代の友人の息子が人質だとはいえ、機密部分の捜査情報をバラすことはあり得ない。このあたりはテレビでも発表するらしい」
「世論を味方につけておくということかしら」
「おそらくそうだろう」
そしてテレビニュースは各社篠崎が言った通り捜査本部から、人質の救出と警官隊の犠牲を厭わない射殺も辞さじの方針を伝え始めた。
「パパ。あたしのせいで人がたくさん死ぬの?」
朝子が再び震え始めた。
「いや、そうと決まったわけじゃないと思うが…」
篠崎はテレビをザッピングしながら懸命に頭を整理しようとしていた。
篠崎の手が止まった。
「あ、ひとつお父さんにもできることがありそうだ」
「え?何」冴子と朝子が同時に篠崎を見た。
篠崎が手を止めてじっと見つめる画面の中には、「徹夜で生討論」通称「徹生」というテレビ朝霧放送の人気討論番組の司会者田原慎之助が映っていた。
「田原さんに連絡をとってみよう」
「え、パパ知り合いなの?」
「ああ。電報堂にいた時に何度か仕事したことあるし、妙に気があってひところ随分六本木を飲み歩いたんだ」
「そういえばそんなこと言ってたわね」冴子が相槌をうった。
「パパの
「B面人生論」の唯一の理解者がこの田原慎之助さんなんだ。二人目は武志君のお父さんというわけだ」
喋りながら篠崎は田原のケータイをならして留守番電話にメッセージを吹き込んだ。
「連絡あるといいわね」冴子が祈るような目で篠崎を見た。
「ああ。留守番電話はこういう時は逆にこまめにチェックするものだと思う。つながれば田原さん次第で、テレビ局が握ってる最新情報や警察情報なんかがある程度想像がつくようになると思うんだ」
三人はテレビ画面の中、この事件の状況説明をする田原慎之助の顔をじっと見つめた。
続く