大人のピアノ

大人のピアノ そのきゅうじゅうきゅう 警察官の鏡

「次に具体的な作戦方針に移ります」

 郡司隊長の声に合わせて室内の照明が再び点灯され、蛍光灯の青白い光線が会議室の男たちを照らしだした。どの刑事たちも、さっきまでOHPに映されていた現実離れした藤井組の武器戦力が頭から離れない様子だった。

「これだけの重火器を揃えているわけですが、この中にはショットガンや短銃のように比較的取り扱いが簡単なものもあれば、迫撃砲や軍事ヘリのように扱うための訓練が不可欠な兵器も存在します」

 捜査員から我が意を得たりというざわめきが漏れた。

 これだけの兵器を全て扱える者はは警官にもいない。しいて言えば全てではないにせよ部分的に扱えるのは全国の主だった県警に存在する特殊部隊だけということになる。

 しかしそれにしてもこれは治安を目的とした警察の装備というよりは戦争遂行の兵器であり、完全に取り扱えるのは自衛隊隊員のみではないか。脅しと恐喝のプロではあっても、所詮武器戦闘は素人集団のヤクザにこの銃器は扱えない。

 ほとんどんの捜査員がそう思った矢先だった。



「今回突入する藤井組の幹部には、元陸上自衛隊機甲科士長がいます」

 再び捜査本部がざわめいたが、今度のざわめきのトーンは暗澹たるものだった。



「え!?そうなんですか寺村さん」

 脇田がすかさず横にいる寺村に訊いた。

「ああ。そうだよ。三浦っていう藤井組のナンバーツーが陸上自衛隊出身だ」

「ええっ、まずいじゃないですか。三浦の元で組員たちが地下室使ってある程度の訓練を積んでいたら完全な戦争ですよ」

「まあ、そーだよな」寺村は人ごとのように事もなげに言い放った。





「質問があります」

 捜査本部の後ろの席から四十代の刑事が挙手をした。

「どうぞ」郡司が発言を許可する。

「千葉県警捜査一課警部補の坂下といいます。自衛隊機甲科というのは具体的にはどういう任務を遂行する部隊なのでしょうか」

「機甲科には戦車部隊と偵察部隊があり、主に戦車の火力機動力及び装甲防護力により、敵を殲滅するとともに前線の情報収集を行います」

 郡司隊長がとりあえず型通りの説明をした。

「そうしますと、銃器の扱いはもちろん対戦車ミサイルや迫撃砲などの扱いも可能だということになるでしょうか」

「彼らは先ほどのOHPにありましたエリアウェポンのプロフェッショナルです」

 会議室にざわめきは起こらず、かわりに水を打ったような不気味な静寂が部屋を支配した。



「よって今回の作戦は、警察側にも犠牲者が出ることが考えられます。近接陸戦における戦力を測る基本的な計算式は、所持している武器にそれを取り扱い可能な人員を掛け算したものとなります。極端な話、銃器だけがあっても拳銃の扱いすら不可能な一般市民を掛け算で乗じた場合、戦力計算の結果はゼロになるわけです。今回は敵陣で指揮を取る人間が一般的な警官よりも武器の取り扱い能力に優れています。そのため戦力の掛け算もかなり多めに見積もる必要があります」

 郡司隊長はここで言葉を切ったが、追加質問をするものはいなかった。


「そのため被害を最小限にするためにも躊躇なく敵重火器に対抗できる戦力を投入する必要があります」

 ここで再び会議室の照明が落とされて、暗闇の中に作戦概要のOHPシートが浮かび上がった。




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ロケットミサイルおよび迫撃砲発射による広範囲な被害を想定し、海神町藤井組から半径二キロ県内の住民に強制避難勧告(千葉県警警察官担当)


深夜における、低空侵攻能力を持つ戦略ヘリコプターでの上空圏域制圧。ならびに空域制圧作戦成功時に特殊作戦用輸送機によるパラシュート部隊の投入(警視庁、千葉県警、神奈川県警各SAT担当)


陸上からの装甲車、および人海戦術による空挺作戦支援(千葉県警、神奈川県警各警察官担当)


空、陸特殊部隊一斉突入(警察庁、千葉県警、神奈川県警各SIT担当)


人質の身柄確保(千葉県警、神奈川県警各警察官担当)

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 ものものしい突入作戦を目にするのが初めてである一般警察官はしんと静まり返った。

「質問よろしいでしょうか」

 先ほどの千葉県警の警部補だった。先ほどよりも顔が青ざめているのが遠目にも見て取れるほどだった。

「どうぞ」

「今回の作戦、捜査方針立案において特徴的なのは、事前に把握できている情報が極めて正確性の高いものであると推察される点です。逆に言えば、敵の物的なあるいは人的な戦力が事前情報と万が一違っていた場合、作戦の遂行に重大な齟齬が生じると推察されます」

「その通りです。先ほどの近接戦闘力測定の掛け算の結果が変わります」

「今回の情報源はここで明らかにすることは可能でしょうか」



 郡司隊長は幹部席の方に視線を投げた。

「私がお答えいたします」

 武蔵小杉署署長の東原が口を開いた。

「今回の作戦においては、第一の功労者はこの武蔵小杉署捜査一課巡査長の長年に渡る危険な潜入捜査の賜物だと言えます。巡査長はその危険な任務にもかかわらず、市民の安全と警察の威信を守るため、献身的に重大な任務を粛々とこなしてきました。まさに警察官の鏡と言って良いこの巡査長がこの捜査本部会議室にも列席しているので、ここでご紹介いたします」

 東原署長が厳粛な面持ちで寺村の方を向いた。


「え!?警察官の鏡って寺村さんのことですか?」

 裏を全て知っている脇田はこのキャリアを巻き込んだ茶番劇に寒気すら覚えた。

「寺村巡査長、一言こちらから自己紹介をしたまえ」

 手招きをされた寺村は脇田に小さく似合わないウインクをして、捜査本部の幹部が居並ぶ雛壇に進んだ。




 全国警察の英雄が足を進めるごとに割れんばかりの拍手が捜査本部を包んだ。

 関東管区警備局長、千葉県警刑事部長、神奈川県警刑事部長、特殊部隊幹部、そして東原武蔵小杉署署長は立ち上がって寺村を迎えた。

 脇田は一人呆然と拍手をすることも忘れて寺村を見つめていた。





続く

大人のピアノ その百 朝子からの電話

 警察の陰謀は意外なところから関係者の知るところとなった。

 斎藤家では客間で武志の父と南方組のナンバーツー石橋が、武志の安否を気遣いながらも和やかに談笑していた。
 武志の姉のなつみは、こうした非日常的な時間の中で飛び出した母親の幼い頃の思い出話に聞き入っていた。ドア



 時刻は午後11時半過ぎ。

 長かった一日が終わろうとしている。誰もがその非日常的な一日が武志の帰宅とともに集結すると考えていたその時、なつみのスマートフォンが着信した。

「あ、お母様、いっくんのお話の続きちょっとだけ待って。せっかくお母様の初恋の人の下の名前が"伊佐男"っていうところまで出てきたドアけど、篠崎さんのところの朝子さからよ」

 朝子と今回の件で知り合ったのはほんの数日前だが、二人は篠崎家でなんとなく話をするうち、お互いまるで姉妹のように気心が通じ合うことを確認していた。

 武志の姉と恋人。そしてその弟武志をめぐる大騒が二人の心を急速に近づけた。なつみはスマホのディスプレイに浮かんだ「篠崎朝子」という文字に顔をほころばせた。



「もしもし」

 朝子の声は自分の上ずった声を無理に抑えようとしたような息苦しさを感じさせた。

「朝子ちゃん、どうした?武志はまだだけど、こっちに来てくれた石橋さんと父との話だとそんなに心配する必要もないということだったみたいだけど…」

「テレビつけてください」

 なつみの話が耳に入っていない様子の朝子は思いつめたように短くそう言った。

「え?テレビ。何チャンネル?」

「何チャンネルでも同じのやってます。武志さんのことも出てきてます」

「武志がテレビに!?」




 電話の声になつみの母親が顔を向けた。

 スマホを片手にリモコンを探そうとすると、母親がいち早くテーブルの上にあったリモコンを見つけて電源を入れた。




==============[拉致監禁されている斎藤武志さん(20)]==========


 いきなり武志のフルネームと年齢と一緒に武志の写真が大きくテレビ画面に映った。




「え?どういうことこれ」




 なつみはスマホを耳に当てたまま思わず叫んでしまった後、それが朝子への非難のように聞こえてしまったかと慌てた。

「あ、ごめんなさい朝子ちゃん。ちょっと動転してしまって。今の朝子ちゃんにいったんじゃないのよ」

「いえ、違います。こうなったの全部あたしのせいなんです。あたしが勝手に警察に武志さんのこと喋ってしまって、それでこんな恐ろしいことになってしまったんです」

 そこまで言い終わると、朝子は抑えていた堰が決壊したかのように大声で泣きじゃくった。

「どういうことなの、落ち着いて話して。あたしは何があっても朝子ちゃんの味方だから」

 朝子をなだめようとするばかりでなく、なつみは心底そう思った。何か自分の意図しないところでとんでもないことが引き起こされてしまい、朝子はパニック状態に陥っている。できれば今すぐ会って顔を見ながら朝子の心を鎮めながら話をしたい。




「お母様、朝子ちゃんパニック状態みたいでまだ要領を得ないんだけど、とりあえずお父様と石橋さんにこのことを…」

 言いかけてなつみは、母親もまた平常心を失い、能面のように真っ白な顔でテレビを食い入るように見つめているのに気がついた。

「お母様…?」



 テレビのテロップは事件の実行犯の顔を次々と写真入りで紹介していた。

=====[広域指定暴力団藤井組組長 藤井清蔵(67)]=====


=====[元自衛隊員同藤井組筆頭若頭 三浦元久(34)]=====


 


 母親は顔面蒼白のまま画面を見ていた。

=====[広域指定暴力団 蜷川会若頭南方組組長 南方伊佐男(53)]=====





 その名前を見たとき母親の顔が引きつった。

「いっくん…」

 なつみの頭が何かの核心に思い至りそうになり、しかし寸前のところでそれをつかみ損ねた。

「いっくん、って何言ってるのお母様」

 なつみはそう言って再び母親が凝視しているテレビ画面を見た。

「伊佐男…?まさか」



「おいどうした」

 その時、慌ただしい様子の部屋を心配した父親がドアを開けた。

 斎藤氏はテレビを見てすぐに自体を把握した。

「なつみは母さんを頼む。向こうの部屋のテレビを確認しながら石橋さんと善後策を話してくる」




 なつみの耳には、まだスマホ越しに朝子の絶望的に泣きじゃくる声がこだましていた。

 




続く



 

大人のピアノ その百いち 『徹夜で生テレビ』

 泣きじゃくる朝子はなつみのかける言葉に徐々に嗚咽を沈め、やがて電話を切った。

 篠崎家のリビングでは事件を中継するテレビの音量が控えめに鳴っていた。篠崎と朝子の母親冴子は自分たちの座ったソファの前で必死に状況を伝えた朝子の手を握った。

「ともかくも、最低限必要なところには連絡できたわけだ。パニックになりながらどうしても自分で電話して謝りたいといったお前のことはパパは立派だと思うよ」

 篠崎はそう言って朝子の手を握り直した。紗子も大きく何度も頷いている。



パパとママ出かけている間に武蔵小杉署の寺村刑事からかかってきた電話ドアは、はなっからお前をはめようとして仕組まれたものだったんだ」

 朝子は無言だった。

「ただ、素人のパパに分からないのは、なんで武志くんの救出がこんな住民の避難誘導をした上での銃撃戦の準備みたいになってるのかってことなんだが…」

 朝子は大きなため息をついた。

「あなた、そんなこと言ったって朝子だって分からないわよ。朝子の話じゃこのテレビで喋っているようなことは警察では一言も出てこなかったって言うんだから」

「そうだな、すまない朝子」

 朝子は力なく首を振った。

「そうすると全てが闇の中か。ごめんな朝子。こういう時に市井の中に埋れてるパパみたいなのには何もわからない…」

 普段自分のことを飄々と二枚目半にして笑っている篠崎も、この時ばかりは自分の窺い知れない部分で自分の娘がダシにされ、手前勝手な大きな陰謀がどこかで進行していることに忸怩たる思いだった。




 重苦しい空気を少しでも追いやろうと冴子がお茶を入れにソファを立った時に篠崎のケータイが鳴った。ディスプレイには武志の父親の名前が浮かんだ。

「もしもし…」

 五分ばかりも篠崎は携帯電話を握りしめていた。

 冴子は朝子と一緒にその様子をじっと眺めていた。



「分かったよ。斎藤さんの大学の同じゼミの仲間が警察庁の偉いさんらしい。息子が関わっているということでかなり詳しいことを聞けたらしい。聞けたらしいんだが…」

「どうしたの…」冴子が遠慮がちに篠崎の言葉の先を促した。

「ああ。これは斉藤さんと今斎藤さんのところにいる南方組の石橋さんの状況分析を加えた憶測なんだがどうやら警察の組織的な陰謀があるのかもしれない…」

 篠崎は妻と娘にその陰謀論を説明した。




「…そんなことって、この法治国家日本にあるのかしら」

「分からない。幸い千葉の藤井組とは電話は繋がるようなんで今石橋さんが状況を整理しているそうだ。」

「…じゃあ、とりあえずあたしたちはここでテレビを付けてまっているしかないのね」

「ああ。斎藤さんの話では警察庁では武志君の安全確保を第一としながらも、それ以外の人間の全員射殺というシナリオもあり得るということだった」

「オフレコね」

「いや、そうでもないらしい。いくら大学時代の友人の息子が人質だとはいえ、機密部分の捜査情報をバラすことはあり得ない。このあたりはテレビでも発表するらしい」

「世論を味方につけておくということかしら」

「おそらくそうだろう」



 そしてテレビニュースは各社篠崎が言った通り捜査本部から、人質の救出と警官隊の犠牲を厭わない射殺も辞さじの方針を伝え始めた。

「パパ。あたしのせいで人がたくさん死ぬの?」

 朝子が再び震え始めた。

「いや、そうと決まったわけじゃないと思うが…」




 篠崎はテレビをザッピングしながら懸命に頭を整理しようとしていた。

 篠崎の手が止まった。

「あ、ひとつお父さんにもできることがありそうだ」

「え?何」冴子と朝子が同時に篠崎を見た。




 篠崎が手を止めてじっと見つめる画面の中には、「徹夜で生討論」通称「徹生」というテレビ朝霧放送の人気討論番組の司会者田原慎之助が映っていた。

「田原さんに連絡をとってみよう」

「え、パパ知り合いなの?」

「ああ。電報堂にいた時に何度か仕事したことあるし、妙に気があってひところ随分六本木を飲み歩いたんだ」

「そういえばそんなこと言ってたわね」冴子が相槌をうった。

「パパのドア「B面人生論」の唯一の理解者がこの田原慎之助さんなんだ。二人目は武志君のお父さんというわけだ」

 喋りながら篠崎は田原のケータイをならして留守番電話にメッセージを吹き込んだ。



「連絡あるといいわね」冴子が祈るような目で篠崎を見た。

「ああ。留守番電話はこういう時は逆にこまめにチェックするものだと思う。つながれば田原さん次第で、テレビ局が握ってる最新情報や警察情報なんかがある程度想像がつくようになると思うんだ」




 三人はテレビ画面の中、この事件の状況説明をする田原慎之助の顔をじっと見つめた。





続く

大人のピアノ その百に 世界は田原慎之助を中心に?

 朝霧放送のテレビ画面では、田原慎之助がアップでカメラの正面を向いた。

「では藤井組人質救出事件については、新しい情報が入り次またお伝えいたします」




 千葉からのレポーターの臨時ニュースを挟みながらの臨時報道番組は続いていた。識者に話を振りながら司会をしていた田原慎之助はいったんスタジオから引き、女性のニュースキャスターがその他のニュースを読み始めた。

 今日はどの放送局もこの後の深夜番組をニュースを特番を挟みながら編成するはずであり、知名度のあるフリー司会者の田原もまた何らかの形でそれに関わるはずであった。テレビの画面からいったん姿を消した田原は報道局の編成部門との会議に向かうはずだ。その合間に携帯電話の留守電をチェックしてくれるのではないか、篠崎はそれを期待していた。





 予想は当たった。篠崎のケータイが着信した。ディスプレイには「田原慎之助」の文字が浮かび上がる。



「久しぶりですね。篠崎さん」

 田原の人懐っこい朴訥とした声が聞こえた。

「お久しぶりです」

「代理店辞めてから初めて電話くれたよね」

「ご無沙汰ばかりで申し訳ありません」

「いや、噂でしか聞いてないけど篠崎さん辞める時はそれなりに大変だったもんね」

「ええ、まあ。決断は即決で女房に愛想つかされましたが」

 田原の大きな笑い声がした。

「まあ、そこはまたゆっくり飲みながら話そっか。ところで…」



 忙しい身の田原は本題に入った。

 篠崎は今千葉で起きている、正確にはこれから大事件となる大捕物について、斎藤氏からさっき聞いた警察組織陰謀説交えて田原に言ってみた。そしてもし取材源として協力できるならば、娘や同じく千葉藤井組にいる南方組組長南方の懐刀の石橋と話ができるよう努力してみてもいいと伝えた。その代わりに、テレビ局でつかんでいる情報を教えられる範囲で教えてほしいと頼んでみた。




「娘さんのことは留守電で聞いたんだけど、さらに立てこもっている南方組のナンバーツーと話ができるかもしれないのか…」

 田原は興奮を隠せない様子だった。このルートは他の局が逆立ちしても手に入れられないシロモノだ。いや、放送局どころか当事者の警察側の交渉チャンネルを上回るものだと言えた。

「いや、ちょっと待って。やっぱりニュースで流すのは…」

「やっぱり…問題ありますか」

 篠崎は田原の言葉に落胆しかかった。このご時世、たとえ取材源であったとしてもテレビ局は暴力団との直接の接触を神経質なほど避けている。田原自身は暴力団対策法を問題視する人権派弁護士や学者などと一緒に暴対法の問題点を指摘したりしていたが、そのこと自体が田原のジャーナリストの見識を疑うと週刊誌で叩かれたりもしていた。

「いや、そうじゃなくてね、ニュースで流すのはもったいないかなってね。篠崎さん今日は何の日か知ってる?」

「えっと、金曜日ですよね」

 篠崎の頭に中にこの激動の一週間が浮かんだ。

「そう。月の終わりの金曜日だよ。篠崎さん…さては僕の番組みてないな」

 田原がまた上機嫌な声で電話越しに笑った。

「えっと、あ、そうか月の終わりの金曜日だから田原慎之助の『徹夜で生テレビ』でしたね」

「おそいよ篠崎」

 田原がわざと怖い声を作って言う。

「すいません」

「まあ、冗談はさておき、いつも通りAM1:25 - 4:25に放送するんだけどさ、どうせ番組欄チェックしてくれてない篠崎さんのために言うと、今回のテーマがタイミング的に神がかってて『暴力団対策法をめぐる光と闇』っていうんだ」

「お、それはまたすごいですね」

「うん。ゲストにも大物も呼べてる。元警察庁長官で衆議院議員の亀田静太郎代議士もこれるんだ」

「うわ、それまた世界は田原を中心に回ってる感じですね」

「いや、まんざら冗談じゃなくそんな気がしてきたよ。これで番組中にその南方組ナンバーツーの人や、その方経由で南方組組長の電話がスタジオとつながれば世紀の大特番、伝説の特番になるかもしれない」

 篠崎も田原の興奮が乗り移ってきた。

「まだ石橋さん、そのナンバーツーの方には何の話もしてはいないんですが…」

「なに言ってんだよ」

 これまで温厚だった田原が怒鳴り声に近い声をあげて篠崎は慌てた。

「篠崎はさんだって元天下の電報堂のプロデューサーだろ。行き違いがこじれて退職したかもしれないが、これがいったいどういう状況かわかってるよね」

「…はい」

「一生に何度もない大舞台だよ。もう未練はないかもしれないけどさ、これ仕切ったのは俺だって昔の仲間の鼻をおもいっきり明かしてやれよ」

「…」





 篠崎はなんと言っていいのか、即答ができず黙ってしまった。

「いや、勝手なこと言ってすまなかった」

 田原が声の調子を元に戻してまた穏やかに語りかけた。

「いえ、そんな」

「いや、篠崎さんのいろんな事情や気持ち、それにお嬢さんのことも考えず自分の都合でもの言ってしまったような気がする。すまん」

「いや、そんな」

 篠崎は田原の言葉で、つられて興奮しかかった自分自身を冷静に見つめ直す余裕を取り戻した。朝子や武志君その関係者全ての中に他ならぬ自分自身が当事者としているにもかかわらず、昔の血が騒ぐ状態に陥ったことを恥じた。しかし同時にまたそういう自分自身を意外にも思った。




「お互い頭冷やして三十分後にもう一回電話で話そう。おれもこの方向で企画が通せるか編成と話をしてみるし、篠崎さんも状況を整理してできそうなところをクリアにしてもらえるかな」

 田原の言葉に篠崎は頷いた。





 電話を切ると、朝子と冴子が心配そうに見つめている。

 今自分ができる最善のことは何か。

 篠崎は懸命に頭の中を整理した。





続く

 
ゆっきー
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