大人のピアノ

大人のピアノ そのはちじゅうなな 藤井の長男の末路

「おめえも撃ってみるか、武志」

 ドア越しに藤井の声が聞こえた。

「いえ、僕は…」

「ふん。まあいいだろう」藤井はそう言ってまた弾薬ルームに入ってきた。

「息子はな、もともとカタギだったんだよ。カタギの普通の商社マンだった。俺との関係は普通の親子だった。あいつはこの稼業には子供の頃から自分から一線を引いててな、家がこういう家だっていうことは運命として諦めるけれど自分からは関わらないっていうスタンスだったんだよ」

 弾丸が空になった機関銃をテーブルに無造作に投げ出し、藤井が椅子にドスっと座って武志に話し始めた。

「それがどうして…」

「ああ、会社でも聞いてる限りじゃそこそこうまく行ってたようなんだがな。誰でも名前を知ってる総合商社だ。そこで史上最年少課長だかで頑張ってたんだがな。ある日『オヤジ、この会社はヤクザだ。いやヤクザより遥かにタチが悪い。人間のやることじゃねえ』そう言って辞表を出しやがった」

「理由は…」

「いや、結局理由は詳しくは言わなかった。あいつだって入社数年のガキってわけじゃなかった。課長になるまでにはそれなりに裏も表も使い分けてやってきたはずだし、何より生まれ育ったこの家で裏稼業のエグいやり方もチラチラ垣間見てるはずなんだ」

「はい」

「俺は言ってみたよ、冗談半分でな。じゃあうちの仕事やってみるかって」

「それでこの仕事を…」

「ああ。この警察を嵌めた銃器供給システムあいつが作り上げたのもあいつだ。それまでは必要最小限のチャカしか藤井組にはなかったんだがな。あいつが全国の都道府県警に営業かけてお得意様を開拓したってわけだ」

「営業…」

「ああ。お前も随分悪だなあって言ってみたんだが『いや、前の会社でやってたことこれに比べたらかわいいもんだよ』って笑ってたな」

「…そうなんですか」

「ああ。それでも子供の頃からこの稼業に一線引いてきたのも、あいつには何処か優しいというか、甘いというか、そういう自分があったからだと思う」

「甘い…?」

「そう。武志、おめえみたいにだ」

「……」





 藤井はどこが甘いということはそれ以上口にしなかったが、武志を苦笑混じりの柔和な目で眺めた。穏やかな表情はおそらく普段藤井が息子に注いでいた視線だったことを想像させるものだった。

「そこを百戦錬磨の警官付け込まれたんだ」

「…はい」

「エスされちまった」

「エス?」

「ああ。スパイのSだ」




 藤井は苛立ちのこもった目でテーブルの機関銃を弄んだ。




つづく

大人のピアノ そのはちじゅうはち 摘発システムの功労者

「スパイって…警察がスパイ使うんですか」

 さっき藤井が撃ち尽くした機関銃の硝煙の匂いは薄れ、膝の震えもおさまりかかってきたが、武志は今度は心臓が過剰に高鳴るのを感じた。機関銃という明確な暴力の象徴ではなく、市民の安全を守るはずの警官の裏に隠された出世欲とそれに漬け込んだもと商社マンのノウハウを投入した拳銃供給システム。さらに警察側は巻き返しを図るべく、藤井の息子をスパイとして飼いならそうとする。狂っている。




「ああ。それについちゃ蜷川会の警察対策幹部の南方が詳しいな」

 藤井はそう言って、すこし喋り疲れたと言った目で南方に目配せした。喋り疲れたこともあるのだろうが、立ち上がって室内の銃器をゆっくり点検するように眺めながら藤井は息子のことを思い出しているようにも見えた。



「武志も藤井さんに拉致されてまさかこんな話を聞く展開になろうとは思ってなかったな」

 南方は苦笑交じりにそう言った。

「はい。でも…」

「聞きたいか」

「はい」

「うむ」

 南方は頷いてタバコを取り出した。三浦が素早くライターで南方の咥えたタバコに火をつける。



「俺の生まれ育った関西の組織はまた少し違うんだが、関東のヤクザは警察とは実はとても仲がいい」

 もはや藤井や南方の話す内容に一つ一つに驚いてはいられない。武志は無言で頷いた。

「例えば拳銃発射を含めた抗争が自分の組で起きたとする。頃合いを見てこっちから警察の馴染みの刑事に電話するんだよ。『使用した拳銃と逮捕させる人間用意できましたからいつでもお越しください』ってな」

「…」

「警察の方でもピンポン鳴らして『おお来たぞ』『お待ちしてました、今回の実行犯こいつにしました』『拳銃は』『使ったのはこれです。それとあと三丁ほど色つけときました』とかな。色ってのは、使用してないけどお土産に持ってってもらう。そうするとその刑事の点数がまた上がるから刑事も喜ぶ。ひどいやつになると、機関銃も一つつけろ、とか言いやがる」

 武志は唖然としたが、三浦は自分も横でタバコを吸いながらおかしそうに笑っていた。

「『分かりました。◯◯さんにはこれからも出世していただかなくちゃいけませんから、好きなのお選びください』ってな。藤井さんに話つけて、このアジトにご案内というわけだ」

「ばれないんですか…」

「逮捕の時余罪を追及したところ…っていう虚偽公文書作成をして検事に引き渡すからそういうことはないんだ。報告書が虚偽公文書だっていうことは上司も知ってるから大丈夫」

「…」

「そんな蜜月関係だったんだがな、ここで拳銃摘発バブルが起きる」

「バブル…ですか」

「ああ。時代が平成になったばかりの頃な、長崎市長銃撃事件、中曽根康弘事務所発砲事件、金丸信副総理襲撃事件と立て続けに日本で要人を狙った拳銃発砲事件が起きた」

「聞いたことはあります」

「ああ。それまでは使った人間とセットじゃないと拳銃を押収しても評価の点数が高くなかったんだが、そうした事件以降警察庁の方針に大転換があってな。とにかく一丁でも拳銃を多く押収した警察署が表彰され、警官も上司も出世するということになった。実行犯がいらないんだから、まさにキャッシングと同じだ。ノルマで切羽詰まったり、今月は派手に行きたいとかいうときはここに来ればいい」

「それがこの藤井組の警察用密売組織を膨張させた…」

 武志にもこの過剰とも言える拳銃の山がどうして出来上がってきたのか、そのカラクリの一端が分かってきた。

「そうだ。そういう商機をものにする手腕は藤井さんところの息子さんはさすがに凄かった。あっという間に全国の警察の裏金数百億がこの地下室に流れ込むようになったんだよ」

「……」

「天才だったな藤井さんのそういうとこ」南方が三浦に話を振った。

「はい」

 三浦は懐かしそうな顔をした。ただ単にやり手の元カタギの組長の息子というだけでなく、藤井の長男がそれなりに人望のあったことをうかがわせる顔だった。





「それどうして警察に殺されるようなことに…」

 武志はここまで聞いてしまった以上、自分の知りたいことは最後まで聞いてみたいという衝動に身を任せることにした。

「全国の都道府県のそれぞれの警察組織がライバルを通り越してお互い憎み合ってるということは知ってるか?」南方が武志に聞いた。

「いえ…そうなんですか?」

「ああ。藤井さんの息子さん、俺たちは坊ちゃんということで親しみを込めて"ぼんさん"と呼んでたんだが、ぼんさんはその警察の内部抗争に巻き込まれたんだよ。ぼんさんの息子をさんネタに無理やりスパイにさせられた」

「……」






続く

大人のピアノ そのはちじゅうきゅう 神奈川県警?

「警察の陰謀…ですか」

「ああ。さっき言った要人襲撃の後いわゆる平成の刀狩りっていうのが警察庁主導で展開された。その後国松警察庁長官が銃撃されるに至って拳銃憎し!警察のメンツを守れっていうのに歯止めが効かなくなった。しかし押収できる拳銃には限りがあるし、もうひとつ何と言っても警察側には元辣腕商社マンのぼんさんの力が必要な理由があったんだ」

「ぼんさんでないとダメな理由…」

「ああ。拳銃にも当然流行り廃りがある。フィリピン製の銃が日本の裏社会を席巻したこともあるし、香港返還前には香港、台湾の銃が激増した。ソ連崩壊の後はロシアからのトカレフが大量に入ったし、飢饉が報じられるたびに北朝鮮から中国製トカレフの黒星が激増する」

「はい」

「つまり押収する銃が三十年前に流通していたような銃じゃまずいわけさ。その時々でいかにもヤクザから取り上げたっていう信憑性のある銃じゃないと足がつくし、なにより検察側から突っ込まれる恐れが大きい。警察もさすがに検察まではグルにできていない。もっとも捜査の現場と司直の現場が結託したら法治国家はその瞬間崩壊だがな。だから案外日本の治安が後進国並みに崩壊するのはこの拳銃バブルからかもしれない…」

「…それで商社マンのノウハウと強力なコネクションが必要だった…」

「その通りだ。旧ソ連の外交官や香港の政府筋とかフィリピンの貿易相とかな、そういうレベルのルートは普通の裏社会の人間じゃ手が出ねえ」

 南方はよどみなく、感情を交えず、まるでニュースの解説者にように武志に語った。

「国家権力のどす黒い思惑によってなくてはならない存在祭り上げられたぼんさんは、いつしか汚ねえ犬どもの争奪戦の対象になったってわけさ。だれもがぼんさんから大量に、安定して、無理のないでっち上げの効く銃を求めた。そして、出世競争のライバルには銃を渡さないように暗に圧力をかけてきたんだ。キャリアにとってはやがて中央に戻る前、地方の署長時代にずば抜けた成績を作っておきたい。そしてライバルは潰しておきたい。署長に気に入られようとノンキャリアの刑事どもも各都道府県警のボスの出世競争に加担する。ぼんさんを独占できたら二階級どころかそれ以上の特進の大手柄だ。そして…」

「ついにぼんさんの弱みを握った地方の刑事がいた」

「そうだ。神奈川県警の巡査がその秘密を握ったんだ。ぼんさんの息子さんが横浜の中華街で覚せい剤やって補導されたというネタを警察学校の同期のやつから聞いたらしい。確か名前は寺村とか言ったな。俺もここで会ったことがあるよ。見かけは紳士ヅラしてるが油断のならねえやろうだ」

「神奈川県の…」

「どうした、優等生のお前が神奈川県警に縁でもあるのか」

 南方がからかうように武志に言った。

「いえ…もちろん警察署には縁はありませんが…」




 武志は先にここから解放された、武蔵小杉の篠崎邸で休んでいるはずの朝子ドアのことを思い出した。





つづく

大人のピアノ そのきゅうじゅう 朝子神奈川県警に協力する

「いやあ、お嬢さんお待ちしておりました」

 武蔵小杉署の10階だてくらいのコンクリートの建物が見え始めると、向こうからグレーのスーツをきた男が手を上げて朝子に近づいてきた。

「どうも」

「お電話差し上げました捜査一課の寺村です。この度はよくご決断くださいました。警察に任せていただければもう安心です。必ず一緒に拉致されてしまった斎藤武志さんの身柄も我々が責任を持って確保いたします」

 警察官は柔道などをやっている人間がほとんどだと朝子は漠然と思っていたが、寺村という刑事は痩せ型で長身のヒョロっとした男だった。朝子に精一杯愛想の良い仕草をしているが、一見柔和そうに見える視線の奥には相手の裏の裏まで探ろうとするような雰囲気が見え隠れした。

 案内されたのは捜査一課と書かれたプレートのある部屋の奥にある、普通の応接室のようなところだった。部屋の脇の通路を通る時に刑事たちの視線を幾つも感じた。自分が来るのを待ち続けていた様子だった。これでやっぱり決心がつかなかったという電話などしていたら、そのままでは済まなかったのではないかという気がして朝子は落ち着かない様子でソファに腰掛けた。




「改めまして、お電話致しました寺村です」

 寺村は縦折の身分証明証を朝子の前に提示して、自分の名刺を渡そうとした。名刺を渡されるとは思っていなかったので、あさこは一瞬戸惑った。

「刑事ドラマのような警察手帳の提示というのは今はないんですよ。それとこうした名刺を持っている刑事がほとんどです。所轄なんかだと特に防犯上訪問した飲み屋とかに名刺を置いて回るなんてこともしますしね」

「そうなんですか」朝子はそう言って名刺を受け取った。

「同じく捜査一課の脇田といいます」同席していた刑事も簡単に身分証明証を提示した後名刺を渡した。

「最初にお嬢さんにお電話した者です」

 脇田はそう言ってニコッと笑った。名刺の裏には「正義の味方の脇田です」と吹き出しがついた警官のイラストが書かれていた。脇田はいかにも格闘技をやってそうなガッチリした体格で、イラストの脇田に似ている警官も柔道着に黒帯を締めていた。

「そのイラスト似てるでしょ。僕が描いたんですよ。イラスト描くの趣味なもんで」

 浅黒い顔の脇田白い歯をこぼして笑った。視線の奥には寺村のような油断のならない感じはなかった。




「さてではお疲れのところご足労いただいたわけでもありますから、さっそく調書作成にご協力いただければと思います」

 話を切り出したのは寺村ではなくて、脇田の方だった。

「といっても、堅苦しく考えないでくださいね。私たちと普通にお話ししていただければ結構なんです。途中ポイントになりそうなところを私や寺村が確認の質問をさせて頂きまして、それを寺村が文章にまとめます。普通文章にまとめる方は若手が担当するんですが、お若い方ですとなんと言いますか、寺村だと緊張なさる方もいらっしゃいまして」

「はあ」

 曖昧に相槌を打ったが朝子も話す相手が脇田でホッとしているところだった。

「私が雑談みたいにおしゃべりする感じで、寺村がそれを調書にするというケースも多いんですよ。今回も一つそんな感じでお願いしますね」






 脇田のざっくばらんな話し方に朝子の緊張は徐々にほぐれていった。

「よろしくお願いします」

 朝子が応えると脇田は微笑んでチョコンと頭を下げた。








つづく
ゆっきー
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