大人のピアノ

大人のピアノ そのはちじゅうきゅう 神奈川県警?

「警察の陰謀…ですか」

「ああ。さっき言った要人襲撃の後いわゆる平成の刀狩りっていうのが警察庁主導で展開された。その後国松警察庁長官が銃撃されるに至って拳銃憎し!警察のメンツを守れっていうのに歯止めが効かなくなった。しかし押収できる拳銃には限りがあるし、もうひとつ何と言っても警察側には元辣腕商社マンのぼんさんの力が必要な理由があったんだ」

「ぼんさんでないとダメな理由…」

「ああ。拳銃にも当然流行り廃りがある。フィリピン製の銃が日本の裏社会を席巻したこともあるし、香港返還前には香港、台湾の銃が激増した。ソ連崩壊の後はロシアからのトカレフが大量に入ったし、飢饉が報じられるたびに北朝鮮から中国製トカレフの黒星が激増する」

「はい」

「つまり押収する銃が三十年前に流通していたような銃じゃまずいわけさ。その時々でいかにもヤクザから取り上げたっていう信憑性のある銃じゃないと足がつくし、なにより検察側から突っ込まれる恐れが大きい。警察もさすがに検察まではグルにできていない。もっとも捜査の現場と司直の現場が結託したら法治国家はその瞬間崩壊だがな。だから案外日本の治安が後進国並みに崩壊するのはこの拳銃バブルからかもしれない…」

「…それで商社マンのノウハウと強力なコネクションが必要だった…」

「その通りだ。旧ソ連の外交官や香港の政府筋とかフィリピンの貿易相とかな、そういうレベルのルートは普通の裏社会の人間じゃ手が出ねえ」

 南方はよどみなく、感情を交えず、まるでニュースの解説者にように武志に語った。

「国家権力のどす黒い思惑によってなくてはならない存在祭り上げられたぼんさんは、いつしか汚ねえ犬どもの争奪戦の対象になったってわけさ。だれもがぼんさんから大量に、安定して、無理のないでっち上げの効く銃を求めた。そして、出世競争のライバルには銃を渡さないように暗に圧力をかけてきたんだ。キャリアにとってはやがて中央に戻る前、地方の署長時代にずば抜けた成績を作っておきたい。そしてライバルは潰しておきたい。署長に気に入られようとノンキャリアの刑事どもも各都道府県警のボスの出世競争に加担する。ぼんさんを独占できたら二階級どころかそれ以上の特進の大手柄だ。そして…」

「ついにぼんさんの弱みを握った地方の刑事がいた」

「そうだ。神奈川県警の巡査がその秘密を握ったんだ。ぼんさんの息子さんが横浜の中華街で覚せい剤やって補導されたというネタを警察学校の同期のやつから聞いたらしい。確か名前は寺村とか言ったな。俺もここで会ったことがあるよ。見かけは紳士ヅラしてるが油断のならねえやろうだ」

「神奈川県の…」

「どうした、優等生のお前が神奈川県警に縁でもあるのか」

 南方がからかうように武志に言った。

「いえ…もちろん警察署には縁はありませんが…」




 武志は先にここから解放された、武蔵小杉の篠崎邸で休んでいるはずの朝子ドアのことを思い出した。





つづく

大人のピアノ そのきゅうじゅう 朝子神奈川県警に協力する

「いやあ、お嬢さんお待ちしておりました」

 武蔵小杉署の10階だてくらいのコンクリートの建物が見え始めると、向こうからグレーのスーツをきた男が手を上げて朝子に近づいてきた。

「どうも」

「お電話差し上げました捜査一課の寺村です。この度はよくご決断くださいました。警察に任せていただければもう安心です。必ず一緒に拉致されてしまった斎藤武志さんの身柄も我々が責任を持って確保いたします」

 警察官は柔道などをやっている人間がほとんどだと朝子は漠然と思っていたが、寺村という刑事は痩せ型で長身のヒョロっとした男だった。朝子に精一杯愛想の良い仕草をしているが、一見柔和そうに見える視線の奥には相手の裏の裏まで探ろうとするような雰囲気が見え隠れした。

 案内されたのは捜査一課と書かれたプレートのある部屋の奥にある、普通の応接室のようなところだった。部屋の脇の通路を通る時に刑事たちの視線を幾つも感じた。自分が来るのを待ち続けていた様子だった。これでやっぱり決心がつかなかったという電話などしていたら、そのままでは済まなかったのではないかという気がして朝子は落ち着かない様子でソファに腰掛けた。




「改めまして、お電話致しました寺村です」

 寺村は縦折の身分証明証を朝子の前に提示して、自分の名刺を渡そうとした。名刺を渡されるとは思っていなかったので、あさこは一瞬戸惑った。

「刑事ドラマのような警察手帳の提示というのは今はないんですよ。それとこうした名刺を持っている刑事がほとんどです。所轄なんかだと特に防犯上訪問した飲み屋とかに名刺を置いて回るなんてこともしますしね」

「そうなんですか」朝子はそう言って名刺を受け取った。

「同じく捜査一課の脇田といいます」同席していた刑事も簡単に身分証明証を提示した後名刺を渡した。

「最初にお嬢さんにお電話した者です」

 脇田はそう言ってニコッと笑った。名刺の裏には「正義の味方の脇田です」と吹き出しがついた警官のイラストが書かれていた。脇田はいかにも格闘技をやってそうなガッチリした体格で、イラストの脇田に似ている警官も柔道着に黒帯を締めていた。

「そのイラスト似てるでしょ。僕が描いたんですよ。イラスト描くの趣味なもんで」

 浅黒い顔の脇田白い歯をこぼして笑った。視線の奥には寺村のような油断のならない感じはなかった。




「さてではお疲れのところご足労いただいたわけでもありますから、さっそく調書作成にご協力いただければと思います」

 話を切り出したのは寺村ではなくて、脇田の方だった。

「といっても、堅苦しく考えないでくださいね。私たちと普通にお話ししていただければ結構なんです。途中ポイントになりそうなところを私や寺村が確認の質問をさせて頂きまして、それを寺村が文章にまとめます。普通文章にまとめる方は若手が担当するんですが、お若い方ですとなんと言いますか、寺村だと緊張なさる方もいらっしゃいまして」

「はあ」

 曖昧に相槌を打ったが朝子も話す相手が脇田でホッとしているところだった。

「私が雑談みたいにおしゃべりする感じで、寺村がそれを調書にするというケースも多いんですよ。今回も一つそんな感じでお願いしますね」






 脇田のざっくばらんな話し方に朝子の緊張は徐々にほぐれていった。

「よろしくお願いします」

 朝子が応えると脇田は微笑んでチョコンと頭を下げた。








つづく

大人のピアノ きゅうじゅういち 偽造調書

「今回篠崎さんを拉致した藤井組というのは、千葉の暴力団なんですが神奈川県警でもずっとマークしてる組織なんですよ」

 脇田はたった今婦人警官が持ってきてくれたインスタントコーヒーを朝子にも勧めながら、自分も砂糖を入れてカップをかき回した。

「そうなんですか」

「ええ。拳銃の密売を全国的にやってましてね。こういう言い方が適当だか分からないのですが、日本の密輸拳銃の総元締め、総輸入代理店みたいな存在なんです」

「元締め…ですか」

「ええ。ご存知でしたか」

「いえ、まさか」

「あっはっは。そうですよね。冗談ですよ、一般の方がそんなことを知ってるわけないんですが、まあ警察関係者の間では知らぬものはない事実なんですよ。篠崎さんが監禁されてた海神の藤井の城に日本じゅうの密輸拳銃がいったんプールされてます」

「そんな場所だったんですか…」

「ええ。ハンドガン、つまり携行できる小型拳銃だけでなく、マシンガンやらバズーカ砲まであるそうですから自衛隊の弾薬庫が市街地のど真ん中にあるようなものですね」

 そんな場所に自分は監禁されていたのか…。朝子は一睡もできないなか武志がそっと手を握って肩を抱いてくれたあの寒々とだだっ広い和室を思い出した。

「そういう話はもちろん雑談などでは出なかったですよね」

「はい…。もちろんです」

「すると、食事なども一応きちんと出たわけですか」

「はい。こう言ってはなんですが、意外だったんですけどすごく丁寧に扱ってくれたと思います」

「ほう」




 脇田は適当に笑いを交えながら三十分ほど事情聴取を行った。捜査一課フロアの角にある応接室の広いテーブルの隅の方では、寺村が顔を上げずに脇田と朝子のやり取りを書き取っていた。

 事情聴取の初めの方で脇田がちらっと言っていた武器の総元締めとしての藤井組。朝子と武志の救出を目的とした調書作成のはずだったが、脇田の話は手を替え品を替えその周辺を行ったり来たりしているように思えた。

「そうすると、拳銃の話などはまったく耳にしなかったということですか…」

「はい…。あの…」

「どうしました?」

「この事情聴取は、武志さんを救い出してくれるためのものなんですよね」

 どうも途中から顔も上げずに自分のペースでただひたすら調書を書いている寺村のことが気になって、朝子は思い切って寺村にも聞こえる声で脇田に聞いてみた。

「もちろんですとも」

 脇田は朝子安心させるあのスポーツマンらしい邪気のない笑い顔を返してよこした。

「でも、さっきから違う話が多くなってきたような気が…」





 朝子がそういうと、寺村が初めて顔を上げた。

「調書の下書きができましたので、お嬢さんに目を通していただいて、よろしければ捺印していただきたいのですが」

 結局寺村は一度も質問することなく、横で聞いていたにせよ、まるで自分の世界にこもって作文をしていたことになる。そういうものなんだろうか、という疑問が湧いたが朝子は一礼をして寺村から薄手のB5縦書きの紙に書かれた寺村筆跡の調書の下書きを受け取った。

「…なんですか、これは」

「何ですか、ってお嬢さんの供述を元にした調書ですよ」

「でも…」

 朝子は混乱してすがるような目を脇田刑事に向けた。

 脇田は調書を見ようともしなかった。そこ書かれている内容については見るまでもなく知っているという顔だった。

 二人が喋ったことを寺村が書き写したのであればその通りなのだが、寺村から受け取った文書には「私、篠崎朝子は…………」から始まっていたにもかかわらず、まったく喋っていないことが書かれていたのだった。




「あの…あたし脇田さんとこんなことお話ししてませんよね」

 あさこはそう言って、脇田に寺村の持ってきた朝子が書いたことになっている調書を見せようとした。

「筆跡ですか?いいんですよ。『私、篠崎朝子は…』から始まってると思いますが、そういう代筆は認められてます。ですので左手の人差し指で捺印していただければ結構なんです」

 脇田は軽く受け答えた。

「そうじゃなくて、この私が書いたという調書内容です。これを読むと私が藤井組長と若頭の三浦という人と一緒に狭い人がやっと一人通れるような廊下を抜けて、巨大な音楽ホールのような射撃場、その奥の何万丁もピストルが隠してある秘密弾薬庫に案内されて、自慢げに藤井組長の話を聞いて、藤組長は自分でもそこにあった銃を試射して私にも無理やり撃たせようとした…そんなことがたくさん書いてあるんですよ」

 朝子は言い知れぬ不安を感じて一気に調書内容をぶちまけた。寺村は不気味な顔をして笑っている。目の奥に隠れていた狡猾で人の裏を見透かして楽しむような光が表に出てきていた。これが寺村という人間の本性なのだろうか。

「ほう、そうですか」

 脇田はそう言ってあの朝子を安心させる笑い方をしたが、実際に調書を手に取ろうとはしなかった。

「見てください」

 朝子がすがるようにして脇田に調書の下書きを渡そうとすると、脇田の顔から頼みの綱の笑顔がすっと消えた。

「おかしいですね、今私とそういう話をしたじゃないですか、自分も拳銃を撃されそうになって怖かったって」







「……」

 朝子は自分の顔から血が引いて行くのを感じた。

『二人はグルだ。あたしは何かの陰謀にはめられようとしている』

 眩暈がしそうになって深呼吸をしようとして顔を上げた。

 寺村が不気味に笑っていた。

 その横で脇田も笑っていた。

 正義の味方のあの笑顔ではなく、寺村とそっくりの笑い方だった。






つづく

大人のピアノ そのきゅうじゅうに 暗黒の舞台裏

「結局捺印してくれましたけど、朝子お嬢ちゃん泣きながら帰って行きましたね」

 脇田は朝子の捺印の入ったでっち上げの調書をヒラヒラさせながら笑った。

「まあ、しょうがねえだろう。刑事ドラマじゃまるでお茶汲みの女の子にコピーとってくれって頼むみたいに令状請求だ!とかやってるけど現実は甘くねえ」

 寺村はそう言いながらもやはり上機嫌だった。

「令状取るのって一苦労ですもんね」

「ああ。まあしかし今回は写真や証言なんかの添付書類が揃ったからすぐに出るだろう」

「そうですね。人が一人しか通れない道を通って音楽ホールのような射撃場とかバッチリですね」

 脇田は愉快そうだった。

「ああ、ばっちりだ。何せ俺が実際に何度もあそこに行ってるんだからリアリティも間違いねえよ」

 寺村も声を上げて笑った。

「ただし寺村さんが調書を書く訳にはいかない」

「そうともよ。何せ俺があそこに通ったのは、二年しかいない予定のキャリア署長の出世のため。目的は拳銃摘発の成績アップの段取りだもんな」

「世も末ですね」

「おめえが言ってどうするんだよ」

「まったくです」


 二人はしばらく肩を揺すって笑っていた。




「しかしよ、署長のあの言葉はすごかったな。あれぞまさしく悪党だぜ。所詮叩き上げの俺たちの悪事なんてたかが知れてる」

 寺村は脇田をねぎらうように肩をぽんぽんと叩いた。

「ああ、あれですね。『拳銃は目の前から消せばいい。同じようにヤクザも目の前から消せばいい。あとは野となれ山となれ』でしたっけ」

「そうそう、それだ。とにかく拳銃は日本になくても無理やり検挙用に輸入して発見したふりして消せばお手柄。ヤクザは組を解散させて存在を消しちまえばお手柄っわけだ」

「ええ。首なし拳銃上げても輸入してるやつも一緒に検挙しなきゃ意味ないのになと思ってたけど、現場の刑事はそんなことは考えなくていいってハッキリ言ってくれて頭クリアになりました」

 脇田はすっきりした表情で言った。

「そうさ。同じようにヤクザ追い込んでそいつが目の前から消えてくれりゃ、中国人とつるんでマフィア化しようがハングレとつるんでおれおれ詐欺やろうが関係ねえってわけだ」

「最近じゃ幽霊化するとかいうらしいですね」

「いいじゃねえか、幽霊が悪さしても俺たちの管轄外だ。そいつらが別のところでどんなに悪いことしようが俺たちには関係ねえよ」

「そうですね」





 寺村は冷たくなったインスタントコーヒー飲み干して満足そうに続けた。

「物事の善悪は署長たち偉いさんが決めてくれりゃいいんだ」

「その方が現場は気楽ですもんね。間違っても王様は裸だとか言っちゃいけないし疑問も持っちゃいけない」

「そうさ。へんに善悪なんて考え始めると、藤井組の坊ちゃんみたいにあれこれ悩んじゃって、覚せい剤に溺れたりするわけだ」

「あれ、そんなこと言っちゃって。ヤクザになりきれない坊ちゃんに自分のやってることの善悪に悩むようにし向けたり、補導した息子の将来メチャクチャにしてやるとかで脅したりしながら、一方で覚せい剤コンスタントに渡して短期間で中毒に追い込んだの寺村さんのくせに」

「そういやそうだったな」

「さらに藤井組の情報とかも流させてすっかりスパイにしちゃって。コカイン欲しさに父親も仲間も裏切って。それでストレスがまた溜まっちゃってまたコカイン」

「あの人もねえ…ダメだって、自分で中途半端にもの考えちゃ」

「カタギの時の商社マン時代も結局企業のコンプライアンスでアレコレ悩んじゃったらしいですね。会社の利益のためにお客さん自殺に追い込んだり。それも上司が暗に指示したり、同僚も成績上げるために平気で競ってやってたとか」

「ああ。コカイン打ちながらそんなこと言ってたな。まあ実際にかなりエグい話だったけどな。警察だけじゃなくてどこも狂ってるな」

 二人は顔を見合わせて苦笑した。





「じゃあオレ、そろそろ令状請求に裁判所行ってきますね」

「ああ、頼むよ。令状持って藤井組にガサ入れてあの組一気に潰しちまおう。拳銃キャッシングの時代はそろそろ終わりだ。今はヤクザごと潰した方が成績もいいらしいからな。平成の刀狩りより暴力団対策法がトレンディだ」

「しかしすんなり落城しますかね、あの城」

「銃撃戦でも起きるかもなあ」

 寺村が人ごとのように言った。



「やですね、オレ」

「やだよぉ、俺だって。だから県警本部経由で本庁にSAT出してもらうように申請もしとくさ」

「それがいいですね。危険なドンパチは警察が誇る特殊急襲部隊に任せて、所轄の俺たちは弾の当たらないところで適当にチョロチョロしてましょうね」

「ああ、それが一番だ」

「じゃ、行ってきます」

「おう、頼むぞ」

 見送った寺村も応接室の照明のスイッチを消して部屋を出た。





 二人が出て行ってだれもいなくなった暗がりの応接室。

 朝子が座っていた椅子の前のテーブルには、二人の名刺がそのまま置かれていた。

 







つづく
ゆっきー
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