大人のピアノ

大人のピアノ そのはちじゅうろく 警察公認拳銃摘発システム

「ここだ」

 藤井が振り返って武志に笑いかけ、鍵穴に鍵をさす。横にいる三浦がコンサートホールの防音扉のような分厚いドアを開ける。入り口の照明スイッチを点灯する音がすると、目の前に広がった光景に武志は度肝を抜かれた。

 地下弾薬庫というと薄暗いカビの臭いのする背徳的な小部屋を想像していたのだが、そこは入り口の印象そのまま広さも天井の高さもコンサートホールのようだった。奥行きは五十メートルはある。左手ホールの舞台にあたる場所には刑事ドラマで見た射撃訓練場の人型の的が並んでいた。右手にはカウンターがありそこから標的を狙うのだろう。カウンターから標的までの距離は約百メートル。天井はフィットネスクラブのプールのような高さがあった。

 コンサートホールと違っているのは客席の椅子がなく、舞台に向かった傾斜はなくて地面は全てフラットでコンクリートの打ちっぱなしであることだった。藤井、三浦、南方、武志はカツーンカツーンという四人の革靴の残響が天井付近で混じり合う射撃場を対角線上に横断した。

 藤井が鍵束から別の鍵を選んでPAルームのような部屋に入ると、そこにはありとあらゆる銃器が並んでいた。やはり弾薬庫というカビ臭いイメージはなく、大きなガンショップのようだった。

 木製の棚に整然と立てかけられた数百丁のライフル銃、コート掛けに吊るされた使用されているアーミーチョッキ、巨大なテーブルに銃口を一方向に揃えてずらっと並べられたマシンガンとショットガン。
 藤井がまた別の鍵を使って開けたキャビネットには高さ50センチ、長さ80センチほどの木箱があり、三浦が箱を開けて見せると中にはぎっしりと拳銃が詰め込まれていた。その木箱が五列に分けて8個ほど積み上げられており、キャビネットは壁一面に12あった。木箱一つに拳銃が50丁あるとして、拳銃だけで二万丁…



「なあ、まるで銃器のデパートだろ。あの奥にはパトカーを一発で爆発炎上させることができる迫撃砲やロケットランチャーも数十台あるぜ。桜の大紋のヘリを落とせる移動型地対空ミサイル発射台も六基ある」

 藤井が上機嫌でそう言った。

「はい…」

 武志はようやくそれだけ口にした。



 拳銃を実際に見るのも初めてだった。しかもたったひとつの銃弾で人を死に至らしめる凶器がこれほどまでに一つの場所に充満している。それは息苦しさとともに、一生かかっても使い切れない札束や金塊、一晩で抱ききれない美女のようなある種の肉体的な快楽感を武志に与えた。




「これだけの武器が一箇所に集まってるのは日本では自衛隊の基地以外にはここだけだ。ああ、あと警視庁の押収された武器弾薬保管庫はこんな感じらしいな、桜田門の警視庁庁舎の地下にあるらしい。現職の刑事がそんなこと言ってたな」

 藤井がそう言うと一瞬三浦の顔に緊張が走った。武志も今の藤井の「刑事がそう言ってた」という言葉引っかかりを感じた。

「三浦、いいんだ。武志にはそいつも話そうかと思ってる。俺は警察に殺された息子のタケシをこの武志に見てるのかも知れない…。それでこいつには甘いのかも知れないな」

 藤井がそう言うと、三浦はまたあの沈痛な面持ちで頷くようにして視線を床に落とした。




「警察公認なんだよ、この弾薬庫はな」

「ええ!?」武志は頭の中が真っ白になった。

「もっとも国家公安の警察組織公認というわけじゃあもちろんない」

 南方も三浦も無言だった。

「千葉県警の生活安全部銃器対策課を裏窓口として全国の現場の警察署がお得意様なんだよ」

「え…、地方の警察署が自分たちの銃をここから買ってるんですか」

「あほかお前は、そんなわけないだろが。そうじゃなくて首なし拳銃だ」

「首なし拳銃…」

 武志はその不気味な言葉に背筋に冷たいものが走る気がした。




「ああ。誰が持ってたかは分からねえが、持ち主不明のまま押収された拳銃のことをサツではそういう隠語で呼んでる」

「…はい」

「ピンとこねえか」

「はい。いえ、分かりません」

「警察官にも厳しいノルマというのがあるのは一般企業のサラリーマンと同じだ。分かるな」

「はい、なんとなく」

「出世する警官は押収する銃器の量も同僚より抜きん出てないといけないわけだ」

「あ!まさか…」

「分かったかい。警察官だって金がなくてもどうしても金が必要ならサラ金に行く。それと同じでノルマに追い詰められた銃器対策の警官はサラ金で金を借りる代わりに、ここに来るってわけだ」

「そんなことが…」

「ああ。恩を売るという貸しでトカレフを渡してやることもあるし、警察の裏金で取引、つまりお買い上げいただく場合もある。ひどい県警になると上司と一緒にグルになって、県警が押収した覚せい剤を代金がわりに物々交換してるところもある。みんなそれぞれ地元に持ち帰って、適当に暴力団事務所にから発見されたことにしてノルマを果たしてるってわけさ。世も末だな」

 藤井は面白そうに高笑いをした。藤井の哄笑は開け放たれた弾薬ルームを抜けホールのような射撃場の天井でこだました。

「…でもそんな警察庁全体がひっくり返るような大スキャンダルが公になったら…」

「そうさ。あいつらはだから俺たちに頭が上がらない。俺たちを利用してるつもりがいつの間にか組織ぐるみでもう後戻りできな深みにはまっているわけだ。もっとも俺たちとしては最初っからそのつもりで警察全体を嵌めたわけだけどな…。取引履歴もパソコンに全て記録されてる。銃の型番もバッチリだ。裁判沙汰になれば押収したはずの首なし拳銃と取引データにある拳銃の型番が一致というわけだな。警察が何をやってたかは自動的に白日の元にさらされる」

 藤井の言葉に三浦と南方も薄く笑った。武志は直接的な暴力とはまた別の暴力団の恐ろしさを感じて身震いした。

「大丈夫なんですか…」

 思わず口にすると、藤井が笑うのをやめた。





「大丈夫じゃねえよ。だからこの部門の最高責任者のタケシは、行き違いからサツにシャブ漬けにされて殺されたんだ」

 藤井は血走った目でテーブルに置いてあった機関銃の一つを肩にかかえてドアまで小走りに走ると、ドアを開け放ち、射撃場の人形の標的に向けて機関銃を乱射した。

 殺人の匂いのする硝煙が弾薬ルームの中にも入り込んできて武志に鼻腔をきつく刺激した。



「警察官全員皆殺しだあ!この弾薬庫の全弾をてめえらにぶち込んでやる」

 機関銃の発射音が消えた後、藤井の狂気を帯びた大音声が天井に何重にも谺した。

 残響が消えた後、今度は藤井の愉快そうな朗らかな笑い声が聞こえてきて、武志は自分の膝が音を立てて震えるのを抑えきれなかった。






つづく

大人のピアノ そのはちじゅうなな 藤井の長男の末路

「おめえも撃ってみるか、武志」

 ドア越しに藤井の声が聞こえた。

「いえ、僕は…」

「ふん。まあいいだろう」藤井はそう言ってまた弾薬ルームに入ってきた。

「息子はな、もともとカタギだったんだよ。カタギの普通の商社マンだった。俺との関係は普通の親子だった。あいつはこの稼業には子供の頃から自分から一線を引いててな、家がこういう家だっていうことは運命として諦めるけれど自分からは関わらないっていうスタンスだったんだよ」

 弾丸が空になった機関銃をテーブルに無造作に投げ出し、藤井が椅子にドスっと座って武志に話し始めた。

「それがどうして…」

「ああ、会社でも聞いてる限りじゃそこそこうまく行ってたようなんだがな。誰でも名前を知ってる総合商社だ。そこで史上最年少課長だかで頑張ってたんだがな。ある日『オヤジ、この会社はヤクザだ。いやヤクザより遥かにタチが悪い。人間のやることじゃねえ』そう言って辞表を出しやがった」

「理由は…」

「いや、結局理由は詳しくは言わなかった。あいつだって入社数年のガキってわけじゃなかった。課長になるまでにはそれなりに裏も表も使い分けてやってきたはずだし、何より生まれ育ったこの家で裏稼業のエグいやり方もチラチラ垣間見てるはずなんだ」

「はい」

「俺は言ってみたよ、冗談半分でな。じゃあうちの仕事やってみるかって」

「それでこの仕事を…」

「ああ。この警察を嵌めた銃器供給システムあいつが作り上げたのもあいつだ。それまでは必要最小限のチャカしか藤井組にはなかったんだがな。あいつが全国の都道府県警に営業かけてお得意様を開拓したってわけだ」

「営業…」

「ああ。お前も随分悪だなあって言ってみたんだが『いや、前の会社でやってたことこれに比べたらかわいいもんだよ』って笑ってたな」

「…そうなんですか」

「ああ。それでも子供の頃からこの稼業に一線引いてきたのも、あいつには何処か優しいというか、甘いというか、そういう自分があったからだと思う」

「甘い…?」

「そう。武志、おめえみたいにだ」

「……」





 藤井はどこが甘いということはそれ以上口にしなかったが、武志を苦笑混じりの柔和な目で眺めた。穏やかな表情はおそらく普段藤井が息子に注いでいた視線だったことを想像させるものだった。

「そこを百戦錬磨の警官付け込まれたんだ」

「…はい」

「エスされちまった」

「エス?」

「ああ。スパイのSだ」




 藤井は苛立ちのこもった目でテーブルの機関銃を弄んだ。




つづく

大人のピアノ そのはちじゅうはち 摘発システムの功労者

「スパイって…警察がスパイ使うんですか」

 さっき藤井が撃ち尽くした機関銃の硝煙の匂いは薄れ、膝の震えもおさまりかかってきたが、武志は今度は心臓が過剰に高鳴るのを感じた。機関銃という明確な暴力の象徴ではなく、市民の安全を守るはずの警官の裏に隠された出世欲とそれに漬け込んだもと商社マンのノウハウを投入した拳銃供給システム。さらに警察側は巻き返しを図るべく、藤井の息子をスパイとして飼いならそうとする。狂っている。




「ああ。それについちゃ蜷川会の警察対策幹部の南方が詳しいな」

 藤井はそう言って、すこし喋り疲れたと言った目で南方に目配せした。喋り疲れたこともあるのだろうが、立ち上がって室内の銃器をゆっくり点検するように眺めながら藤井は息子のことを思い出しているようにも見えた。



「武志も藤井さんに拉致されてまさかこんな話を聞く展開になろうとは思ってなかったな」

 南方は苦笑交じりにそう言った。

「はい。でも…」

「聞きたいか」

「はい」

「うむ」

 南方は頷いてタバコを取り出した。三浦が素早くライターで南方の咥えたタバコに火をつける。



「俺の生まれ育った関西の組織はまた少し違うんだが、関東のヤクザは警察とは実はとても仲がいい」

 もはや藤井や南方の話す内容に一つ一つに驚いてはいられない。武志は無言で頷いた。

「例えば拳銃発射を含めた抗争が自分の組で起きたとする。頃合いを見てこっちから警察の馴染みの刑事に電話するんだよ。『使用した拳銃と逮捕させる人間用意できましたからいつでもお越しください』ってな」

「…」

「警察の方でもピンポン鳴らして『おお来たぞ』『お待ちしてました、今回の実行犯こいつにしました』『拳銃は』『使ったのはこれです。それとあと三丁ほど色つけときました』とかな。色ってのは、使用してないけどお土産に持ってってもらう。そうするとその刑事の点数がまた上がるから刑事も喜ぶ。ひどいやつになると、機関銃も一つつけろ、とか言いやがる」

 武志は唖然としたが、三浦は自分も横でタバコを吸いながらおかしそうに笑っていた。

「『分かりました。◯◯さんにはこれからも出世していただかなくちゃいけませんから、好きなのお選びください』ってな。藤井さんに話つけて、このアジトにご案内というわけだ」

「ばれないんですか…」

「逮捕の時余罪を追及したところ…っていう虚偽公文書作成をして検事に引き渡すからそういうことはないんだ。報告書が虚偽公文書だっていうことは上司も知ってるから大丈夫」

「…」

「そんな蜜月関係だったんだがな、ここで拳銃摘発バブルが起きる」

「バブル…ですか」

「ああ。時代が平成になったばかりの頃な、長崎市長銃撃事件、中曽根康弘事務所発砲事件、金丸信副総理襲撃事件と立て続けに日本で要人を狙った拳銃発砲事件が起きた」

「聞いたことはあります」

「ああ。それまでは使った人間とセットじゃないと拳銃を押収しても評価の点数が高くなかったんだが、そうした事件以降警察庁の方針に大転換があってな。とにかく一丁でも拳銃を多く押収した警察署が表彰され、警官も上司も出世するということになった。実行犯がいらないんだから、まさにキャッシングと同じだ。ノルマで切羽詰まったり、今月は派手に行きたいとかいうときはここに来ればいい」

「それがこの藤井組の警察用密売組織を膨張させた…」

 武志にもこの過剰とも言える拳銃の山がどうして出来上がってきたのか、そのカラクリの一端が分かってきた。

「そうだ。そういう商機をものにする手腕は藤井さんところの息子さんはさすがに凄かった。あっという間に全国の警察の裏金数百億がこの地下室に流れ込むようになったんだよ」

「……」

「天才だったな藤井さんのそういうとこ」南方が三浦に話を振った。

「はい」

 三浦は懐かしそうな顔をした。ただ単にやり手の元カタギの組長の息子というだけでなく、藤井の長男がそれなりに人望のあったことをうかがわせる顔だった。





「それどうして警察に殺されるようなことに…」

 武志はここまで聞いてしまった以上、自分の知りたいことは最後まで聞いてみたいという衝動に身を任せることにした。

「全国の都道府県のそれぞれの警察組織がライバルを通り越してお互い憎み合ってるということは知ってるか?」南方が武志に聞いた。

「いえ…そうなんですか?」

「ああ。藤井さんの息子さん、俺たちは坊ちゃんということで親しみを込めて"ぼんさん"と呼んでたんだが、ぼんさんはその警察の内部抗争に巻き込まれたんだよ。ぼんさんの息子をさんネタに無理やりスパイにさせられた」

「……」






続く

大人のピアノ そのはちじゅうきゅう 神奈川県警?

「警察の陰謀…ですか」

「ああ。さっき言った要人襲撃の後いわゆる平成の刀狩りっていうのが警察庁主導で展開された。その後国松警察庁長官が銃撃されるに至って拳銃憎し!警察のメンツを守れっていうのに歯止めが効かなくなった。しかし押収できる拳銃には限りがあるし、もうひとつ何と言っても警察側には元辣腕商社マンのぼんさんの力が必要な理由があったんだ」

「ぼんさんでないとダメな理由…」

「ああ。拳銃にも当然流行り廃りがある。フィリピン製の銃が日本の裏社会を席巻したこともあるし、香港返還前には香港、台湾の銃が激増した。ソ連崩壊の後はロシアからのトカレフが大量に入ったし、飢饉が報じられるたびに北朝鮮から中国製トカレフの黒星が激増する」

「はい」

「つまり押収する銃が三十年前に流通していたような銃じゃまずいわけさ。その時々でいかにもヤクザから取り上げたっていう信憑性のある銃じゃないと足がつくし、なにより検察側から突っ込まれる恐れが大きい。警察もさすがに検察まではグルにできていない。もっとも捜査の現場と司直の現場が結託したら法治国家はその瞬間崩壊だがな。だから案外日本の治安が後進国並みに崩壊するのはこの拳銃バブルからかもしれない…」

「…それで商社マンのノウハウと強力なコネクションが必要だった…」

「その通りだ。旧ソ連の外交官や香港の政府筋とかフィリピンの貿易相とかな、そういうレベルのルートは普通の裏社会の人間じゃ手が出ねえ」

 南方はよどみなく、感情を交えず、まるでニュースの解説者にように武志に語った。

「国家権力のどす黒い思惑によってなくてはならない存在祭り上げられたぼんさんは、いつしか汚ねえ犬どもの争奪戦の対象になったってわけさ。だれもがぼんさんから大量に、安定して、無理のないでっち上げの効く銃を求めた。そして、出世競争のライバルには銃を渡さないように暗に圧力をかけてきたんだ。キャリアにとってはやがて中央に戻る前、地方の署長時代にずば抜けた成績を作っておきたい。そしてライバルは潰しておきたい。署長に気に入られようとノンキャリアの刑事どもも各都道府県警のボスの出世競争に加担する。ぼんさんを独占できたら二階級どころかそれ以上の特進の大手柄だ。そして…」

「ついにぼんさんの弱みを握った地方の刑事がいた」

「そうだ。神奈川県警の巡査がその秘密を握ったんだ。ぼんさんの息子さんが横浜の中華街で覚せい剤やって補導されたというネタを警察学校の同期のやつから聞いたらしい。確か名前は寺村とか言ったな。俺もここで会ったことがあるよ。見かけは紳士ヅラしてるが油断のならねえやろうだ」

「神奈川県の…」

「どうした、優等生のお前が神奈川県警に縁でもあるのか」

 南方がからかうように武志に言った。

「いえ…もちろん警察署には縁はありませんが…」




 武志は先にここから解放された、武蔵小杉の篠崎邸で休んでいるはずの朝子ドアのことを思い出した。





つづく
ゆっきー
大人のピアノ
0
  • 0円
  • ダウンロード

85 / 124

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント