妻は血管が弱いという体質があった。 バレーボールをしてもすぐに腕が真っ黒になっていた。
8年前、やっと10年ぶりに長女が生まれまだ0歳の時、屋久島の母が亡くなった。
妻と10歳の長男と3人で屋久島へと渡った。0歳の長女は置いてきた。
実家で葬儀が終わり、火葬場へと向かった。
1月4日、山にある火葬場は、南国屋久島なのに小雪が舞うほど寒い日だった。
火葬場の待合室で一生懸命、お茶を出したり弁当を出したりしていた妻が急に胸の痛みを訴えた。
「病院へ行こう。」
と言っても
「大丈夫。少ししたらよくなると思う。」
と言いながら、実家に帰るまで我慢をしていたが、まだ痛いみたいなので近くの病院へ行った。
病院へ着き、レントゲンを撮ると医者が
「これはここでは対応できない。大きい病院を紹介するのでそっちへ行きなさい。」
そう言って、救急車を手配してくれた。
大きい病院は、救急車でも30分位かかったが、私には何時間にも感じられた。
苦しむ妻の手を握りながら、
「大丈夫だ。大きい総合病院だから心配するな。」
そう言いながらも、何が起こったのだろう?と私の方が狼狽えていた。
病院へ着くとすぐに検査室へ運び込まれた。
看護師が
「今夜はこちらへ入院になると思います。」
と言うので、明日の船を予約してあったので、一緒に島に来ていた8歳の長男を親戚に電話をし、病院まで連れてきてもらった。
検査結果が出るまで、かなりの時間が経った。
妻はベッドの横にいる息子に向かって
「ごめんね。いつもうるさく言ってごめんね。怒ってばかりいてごめんね。お母さんはもうだめだから。」
と何度も息子に言っている。
「何言ってんの。大したことは無いよ。大丈夫だよ。」
と、私は怒るように妻に言った。
医者に呼ばれた。
「奥様の肺にこぶし大の腫瘍があります。鹿屋の自衛隊へ要請をし、奥様を鹿児島の呼吸器外科へヘリコプターで緊急搬送します。」
腫瘍?ヘリコプターで搬送?そんな馬鹿な。そんなはずはない。
病院の外へ出て電話しようとしたが、外はみぞれが降り凍えるような寒さだった。電話をしようとしたが声が出ない。寒さの性なのかそれともショックの性なのか。ようやくかすれた声でなんとか親戚に連絡を取ることができた。
病院へ戻ると
「まもなくヘリコプターが到着します。旦那さんも一緒に乗っていくので準備をお願いします。」
と言われた。
「え!息子は一緒に乗っていけないんですか?」
「ヘリコプターは一人だけです。それに子供は乗せるわけにはいかない。」
「じゃ。子供はどうすればいいの。」
「規則です。乗せるわけにはいけません。」
こんな幼い子供を一人だけ残すわけにはいかない。どうすればいいの。
実家に連絡をすると、明日鹿児島へ帰る予定の兄が、一緒に船で鹿児島まで連れてきてくれることになった。
息子を病院に残したまま、救急車で飛行場まで行き、ヘリコプターで屋久島を後にした。