もう一度会いたい。命 そのはかなきもの

妻の死( 1 / 3 )

 午前5時ごろ、2階から長男が下りてきた。

「お父さん。外の様子がおかしいよ。」

 窓の方を見ると、窓が明るく輝き光が差し込んでいる。

「隣の家の車のライトだろう」

 と言いながら、玄関のドアを開けてみると、そこには今まで見たこともない世界が広がっていた。
 ただ明るいというのではなく、空が金色の光でまぶしく輝いている。
 まだ日の出には早い。何の光なんだろう。
 阿弥陀仏の後ろで輝いている後光のような光が満ち溢れ、空一面がまぶしく輝いていた。
 周りの空気さえもキラキラ輝いて見える。
 暫し、その神々しい光景に時を忘れて呆然としていた。

 「きっとお母さんだ。そこにお母さんがいるんだ。」

 ふと我に返り家の中に入ると、そこには布団に寝ている妻がいた。彼女の前には、蚊取り線香みたいなとぐろを巻いた線香が、金属の棒の先にぶら下がっていて、そこから煙が立ち上っている。
 妻はただ眠っているように見えた。突然の出来事でとても死んでしまったとは思えない。
 顔だって少し微笑んで頬も赤みを帯びている。いつもより安らかに寝ているだけのように見える。ただ寝息だけが聞えない。

 妻が亡くなったのは夕べの0時頃だった。
 その日は前々から楽しみにしていた中学時代の同窓会がある日だった。卒業アルバムも用意してあった。

 しかし、私はなぜかその日、仕事中気分が悪くなり、初めて午後から早退した。
 家に帰ると、妻は私を案じて

 「同窓会は断るからゆっくり休んでいいよ。」

 と言ってくれた。

 「何を言ってんの。ずいぶん前から楽しみにしていた同窓会だよ。俺は大丈夫だから行ってきなさい。」

 そう言って、私は2階でベッドに横になった。

 夕方、目が覚めて1階に降りていくと、妻はすでに同窓会へ出かけていたが、前から準備してあった卒業アルバムがソファーの上にある。
 きっと忘れて行ったんだ。持って行ってあげようと思い、電話をすると

 「大丈夫。やっぱり持っていくのを止めたから、持ってこなくていいよ」

 それが最後の妻との会話になってしまった。

 2階で寝ていると、携帯電話が鳴った。
 妻からだ。しかし声の主は男の声。

「奥さんが倒れて意識不明になった。早く来てください。」

 酒を飲めないのに、飲んで倒れてしまったのだろう。と思い車に乗ろうとすると車の鍵がない。いくら探してもないのでお義父さんに電話をし迎えに来てもらい、一緒に病院へ向かった。
 病院につくと、同級生の人たちが悲壮な顔をしてうろうろしている。

 「大丈夫だから。椅子に座っておけばいいよ。」

 と言うと、お義父さんが

 「奥で蘇生をやっている。危ないかもしれない。」

 奥の方を見ると、救急隊の人や医者が一生懸命に心肺蘇生をやっているではないか。

 「そんな馬鹿な」

 奥へ走っていくと、そこには目を見開いたままぴくとも動かない、口から血を流している妻の姿があった。

 「お~い。お~い。何してんだよ。起きろよ。」

 何度も、何度も妻を呼んだが全く反応がない。
 救急隊の人や医者が、代わる代わる汗びっしょりになりながら、胸骨圧迫を繰り返している。圧迫をするたびに妻の口からは血が滴り落ちている。
 手を握って揺する。
 ほっぺを叩いて呼びかける。
 妻の名前を何度も呼ぶが、何の反応もない。

 医者はペンライトを妻の目に当て瞳孔反射を確認している。
 しばらくすると医者に呼ばれた。

 「もう30分以上蘇生をやっていますが、もう無理だと思われます。中止してもよろしいですか?」

 「は!私が決めるんですか?」

 妻の死を私が決める。そんなことを私に決めろと言うの。

 「もう無理なんですか?もうだめなんですか?」

 夕方まで元気だった妻が死んでしまう。
 なんで?
 死ってこんなに簡単に、突然起こってくるものなの?

 今、私が妻の死を決定しないといけないの?
 なんで?
 私が決定しなかったら、もしかしたら生き返る可能性があるの?
 可能性は0%なの?

 私にはなかなか言葉を発することができなかったが、疲れ切った医者の顔からももう絶対に可能性はないということがわかり、しかたなく

 「わかりました。仕方がありません。」

 0時12分、死亡宣告された。42歳の短い人生だった。

妻の死( 2 / 3 )

人生で一番長い夜

 間もなくして長男(18歳)長女(8歳)そしてお義母さんが病院へ到着した。みんな何が起こったのか呆然としている。
 それもそうだ。私だって何が起こっているのか、夢を見ているのか、この現実をまだ自分のこととは受け止められていないのだ。

医者がやって来て

「この後警察が来て、検視があります。奥様のCTを今から撮りますが、屍体解剖はされますか?」

と聞いてきた。

 解剖したからといって妻が生き返るわけはない。むしろ切り刻まれる妻の姿を思うと可哀想で

「いや、解剖はいいと思います。そっとしておいてください。」

 妻はすぐにCT室へと運ばれていった。

「葬儀の準備もあるよ。」

 と言って、妻の弟が手配をしてくれた。
 そうか。葬儀もしなくてはいけないのだ。こんなことやったこともないので何が何だかわからない。今何をすべきなのか、平常心でもわからないのに、こんな頭が混乱している今は何をすべきなのか全くわからない。

 暫くして警察の人が5・6人やってきた。

「旦那様ですか?ご愁傷様です。こんなときになんですが少し質問をさせていただきます。」

 と言って今までのいきさつやら保険のことなどを根掘り葉掘り聞いてきた。
 一緒に同窓会に行った5・6人の同級生の方々も、それぞれに警察の事情聴取齲を受けている。そのうちの一人は、妻が倒れた駐車場に連れて行かれ、現場検証に立ち会わされているみたいだ。

 そうか、警察は他殺の件の可能性は無いか調べているのだ。だから保険のことも私に聞いたのだ、とその時気づいた。保険はすべて妻が管理していたので、私は全くわからなかった。

妻の死( 3 / 3 )

なんで?

 そうなんだ。なんで妻が死んだのかまだよく分かっていなかった。
 CT撮影が終わり、医者に呼ばれた。

「奥様の心臓の周りに、かなりの量の出血があります。これは心臓から出ている大動脈の解離によるもので、これが起こると殆ど即死状態になります。」

 胸骨圧迫を繰り返すたびに、妻の口から血が出てきていたのもそのせいだったのか。

 同級生の人たちに、その夜の様子を聞いた。
 それによると、楽しみしていた同窓会を妻はかなり楽しんだみたいで、飲めない酒も少し口にしたらしい。
 お開きになり、みんなで居酒屋を出てワイワイ言いながら駐車場まで行き代行を待っていると、突然、妻が前にいた同級生の女の人の肩にもたれかかり、そのまま地面に倒れていったという。

 びっくりした同級生の人たちは、すぐに救急車を呼んだが、救急車が到着した時にはすでに心肺停止状態で、救急車の中でもずっと人工蘇生を繰り返していたという。

 妻は、病院の地下にある霊安室に連れて行かれた。病院のスタッフが化粧をしてくれるのだという。
 私はその間に、お義父さんと妻の車を取りに行った。
 私は酒は飲まないので行ったことは無かったが、その居酒屋は病院からすぐのところにあった。居酒屋からその駐車場までは、ほかの店の駐車場を横切り、約50m位の距離があった。

 「ここまでは楽しく歩いてきたんだ。なのに・・・」

 胸が熱くなった。

 その駐車場の真っ暗な闇の中に、ワインレッドの妻の愛車があった。

 「ここで妻は息を引き取ったんだ。」

 と思うと、頭が真白くなりもう何も考えることができなくなった。
 少しずつ、妻が亡くなったことが実感として湧いてきつつあった。

 妻の車を運転して病院へ向かった。
 途中お義父さんの車にぶつかりそうになったり、道がわからなくなったりしたりしながら、それでも何とかふらふらしながらも病院までたどり着いた。

発症( 1 / 4 )

屋久島にて

 妻は血管が弱いという体質があった。
 バレーボールをしてもすぐに腕が真っ黒になっていた。

 8年前、やっと10年ぶりに長女が生まれまだ0歳の時、屋久島の母が亡くなった。
 妻と10歳の長男と3人で屋久島へと渡った。0歳の長女は置いてきた。
 実家で葬儀が終わり、火葬場へと向かった。
 1月4日、山にある火葬場は、南国屋久島なのに小雪が舞うほど寒い日だった。
 火葬場の待合室で一生懸命、お茶を出したり弁当を出したりしていた妻が急に胸の痛みを訴えた。

「病院へ行こう。」

 と言っても

「大丈夫。少ししたらよくなると思う。」

 と言いながら、実家に帰るまで我慢をしていたが、まだ痛いみたいなので近くの病院へ行った。

 病院へ着き、レントゲンを撮ると医者が

「これはここでは対応できない。大きい病院を紹介するのでそっちへ行きなさい。」

 そう言って、救急車を手配してくれた。

 大きい病院は、救急車でも30分位かかったが、私には何時間にも感じられた。
 苦しむ妻の手を握りながら、

「大丈夫だ。大きい総合病院だから心配するな。」

 そう言いながらも、何が起こったのだろう?と私の方が狼狽えていた。

 病院へ着くとすぐに検査室へ運び込まれた。

 看護師が

「今夜はこちらへ入院になると思います。」

 と言うので、明日の船を予約してあったので、一緒に島に来ていた8歳の長男を親戚に電話をし、病院まで連れてきてもらった。

 検査結果が出るまで、かなりの時間が経った。
 妻はベッドの横にいる息子に向かって

「ごめんね。いつもうるさく言ってごめんね。怒ってばかりいてごめんね。お母さんはもうだめだから。」

 と何度も息子に言っている。

「何言ってんの。大したことは無いよ。大丈夫だよ。」

 と、私は怒るように妻に言った。

 医者に呼ばれた。

「奥様の肺にこぶし大の腫瘍があります。鹿屋の自衛隊へ要請をし、奥様を鹿児島の呼吸器外科へヘリコプターで緊急搬送します。」

 腫瘍?ヘリコプターで搬送?そんな馬鹿な。そんなはずはない。

 病院の外へ出て電話しようとしたが、外はみぞれが降り凍えるような寒さだった。電話をしようとしたが声が出ない。寒さの性なのかそれともショックの性なのか。ようやくかすれた声でなんとか親戚に連絡を取ることができた。

 病院へ戻ると

「まもなくヘリコプターが到着します。旦那さんも一緒に乗っていくので準備をお願いします。」

 と言われた。

「え!息子は一緒に乗っていけないんですか?」

「ヘリコプターは一人だけです。それに子供は乗せるわけにはいかない。」

「じゃ。子供はどうすればいいの。」

「規則です。乗せるわけにはいけません。」

 こんな幼い子供を一人だけ残すわけにはいかない。どうすればいいの。
 実家に連絡をすると、明日鹿児島へ帰る予定の兄が、一緒に船で鹿児島まで連れてきてくれることになった。
 息子を病院に残したまま、救急車で飛行場まで行き、ヘリコプターで屋久島を後にした。
なべ
作家:八仙坊 参太
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