ミラノ 里帰り

第四章:グッバイ ミラノ( 7 / 7 )

34.ミラノ里帰り・旅の終わり

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今回の4週間のイタリア旅を締めくくってみると、いろんな側面が浮かんでくる。それは、皆さんにとって役に立つかもしれないし、全く無用なことかもしれない。まぁ、思いつくままに書いてみよう。

 

・サンダル:靴は持って行ったのだが、6月の4週間のうちにミラノの半日しか雨がなかったから、全く不要だった。そのミラノの雨も比較的優しいものだったから、サンダルで問題はなかった。サンダルといってもちゃんと踵にもベルトが掛かっているやつ。ちゃんとした靴は持ち運ぶのは結構重い。

 

・6月:ジュンブライドという言葉が示すように、6月はヨーロッパでは雨の少ない晴れの日が多い。6月はイタリアの旅にはいい季節。梅雨のジトジトした日本を飛び出すにはいい季節です。

 

・ジャケット:ジャケットや長そでのシャツ、長いジーンズを持って行ったけれど、ピーカンの日が続いたから、着る日は一日もなかった。Tシャツとひざ下までの短パンとサンダルですべて通した。高級なレストランでは問題かもしれないが、そんな所にはいかない。4つ星、5つ星のホテルでは全く、問題はなかった。彼らは、ドイツ人の軽装に慣れているからだろう。

 

・太陽:直射日光は強かった。トスカーナ、リグーリア、ミラノの話だけど。気温も40度くらいにもなった。イタリア人は海に行っても、海に入ることは少なくて、浜で肌を焼くのに忙しい。信じられないけど本当。

 

・タバコ:イタリアではタバコの匂いから逃れるのは不可能だと思った方がいい。レストランでも、カフェでも、ホテルでも、タバコのにおいが漂ってくる。ミラノのヴィットリオ エマヌエル アーケードを歩いていると、きれいなお嬢さんたちが平気で歩きたばこをやっている。煙から逃げることは出来ない。EXPO15が来るから、何とか…って言っているが、それは、ほとんど期待できない。

 

・石畳の衝撃:僕の場合はサンダルで歩き通したからかもしれないけれど、石畳の衝撃は蓄積されると足にかなりのダメージを与える。クッションのきいた通気性の良い靴がいいのだろう。僕の足は人体模型がコツコツと歩くようだったから、熱を持ってきた。

 

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・朝食:だいたい、ホテルは朝食つきだから、イタリア人のように、エスプレッソとクロワッサンだけで済まさないで、カプチーノと、生ジュース、生ハムやチーズ、卵料理、サラダ、いろんな種類のパン、バターやジャム、ヨーグルト、果物としっかり食べておくといい。これで、安心して出かけられる。その日、昼ごはんの時間が取れるかどうかわからないからだ。午後2時になったら、セルフサービスの店以外のレストランは昼休みになってしまう。食いそびれる危険があるわけだ。

 

・トラム:ミラノで街を楽しむのだったら、メトロよりトラム。美しい風景を楽しめるし、地図を見ながら、自分がどこにいるのかが分かるから楽しい。古い車両と、真新しいLRTが一緒になって同じ路線を走っている。コンバリダーレ(乗車した時間を打刻する)をお忘れなく。ガチャンと切符に刻印。フォンターナ広場からランブラーテ駅までのトラムに乗りたかったので、チェックしてみたけどメトロが出来たのでトラムは廃止されていた。残念。

 

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・言葉:田舎に行くようだったら、簡単でもいいからイタリア語を勉強していこう。田舎では、英語はホテルとか、レストランとかでしか通じないと思った方がいい。ジャポネーゼがイタリア語を話したら、それがへたくそでも、イタリア人は一生懸命分かろうとして聞いてくれる。逆に日本語を少し話す奴らは、だいたい日本人たちをだましたことがある奴らだと思った方がいい。観光地のレストランのカメリエーレなんかひどいものだ。

 

・漢字で名前:少しイタリア語が分かると知ると、イタリア人の中には日本語で、自分の子供の名前をどう書くのかと聞いてくる。僕の場合は、タクシーの運転手と、ホテルのカメリエーラが頼んできた。漢字の音を知っているといいと思う。一人は、ガイアと頼まれた。「我伊亜」と書いてみた。

 

・アリタリア:フラグシップ・キャリアーのはずだけれど、外国の航空会社に吸収されそうになるほど疲弊している。アリタリアは国営で、みんながお役人的な感覚を残している。あまり、サービスは期待できない。逆に日本の航空会社はやりすぎ。

 

ミラノから日本に帰るのにはアリタリアしか選べない。仕方ない。

 

アルプスを越えたら、窓の外には、何の魅力もない。ただ、ただ、時速1000キロをもっと速めて、シベリアを飛び越してくれと願うだけだ。

 

写真は、ロシア、イルクーツやバイカル湖に近いPatom Aldan台地を飛行中のモニター。後、3時間で日本だ。 

 

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あとがき( 1 / 1 )

2012年6月、10年ぶりの懐かしいミラノへの里帰りは、無事に終わった。

 

僕が29歳の時に赴任したミラノは、その後、僕の第二の故郷になった。

 

2年ほどミラノで過ごし、その後も仕事で5~6回はミラノに行っている。正直に言うと、パリ出張の時などは無理をして、ミラノでの仕事を作って通った街でもある。

 

退職後のプライベートな時間では、4週間の北部イタリア、4週間のラッチオ、ウンブリア、トスカーナを中心とした10年前の旅、そして今回のトスカーナを中心とした4週間の旅で、約3か月は過ごしているから、結構イタリアとの付き合いは長い。

 

本文の中でも書いたけれど、ミラノは僕の最初の異文化との出会いの街だったから、その後、訪れたアメリカとか、豪州とか、香港とは比べ物にならない位、大きな影響を僕自身に残した。パリの滞在2か月も、それに重なって、僕にはヨーロッパの印象が強く残っている。

 

そこで学んだ最大のことは、人間は三つの世界をあわせ持つのが当たり前だということだ。家、仕事(会社)に加えて、第三の世界を持っているのが普通だということ。

 

それは、身近な地域社会での活動でも、自分の趣味の世界からの広がった社会でも、ボランティア活動でもいいだろう。仕事と異質であればあるほど、より客観的な、バランスの取れたものの見方を、人に与えてくれるようだ。仕事と家庭だけの往復を当然だと思っている日本人の考え方とは、明らかに違う。

 

日本人が、オイッチニの二拍子(会社と家の往復)であるとするなら、彼らは三拍子のワルツを踊っている。より、個人として安定していられるわけだ。

 

例えば、会社の失敗の感情を直接、家庭には持ち込まないで、自分を開放する場所をちゃんと個々人が持っていることだ。そういう意味で、安定した心的な世界が広がっている。

 

そこに価値を見つければ、僕たち日本人でも、退職して、家という一点のみに身を置かなくてもいいという自由が得られるということだ。もしかすると、そこから第二の人生が開けるかもしれない。

著者プロフィール( 1 / 1 )

 

著者プロフィール

 

 

徳山てつんど(德山徹人)

          

1942年1月1日 東京、谷中生まれ

1961年 大阪市立大学中退

1966年 法政大学卒業

1966年 日本IBM入社

 

   システム・アナリスト、ソフト開発担当、コンサルタントとして働く

   この間、ミラノ駐在員、アメリカとの共同プロジェクト参画を経験

      海外でのマネジメント研修、コンサルタント研修を受ける

 

1996年 日本IBM退社

 

1997年 パーソナリティ・カウンセリングおよびコンサルティングの

        ペルコム・スタディオ(Per/Com Studio)開設

 

EMailtetsundojp@yahoo.co.jp

HP:          http://tetsundojp.wix.com/world-of-tetsundo

 

 

著書

 

Book1:「父さんは、足の短いミラネーゼ」   http://forkn.jp/book/1912/

Book2:「が大学時代を思ってみれば…」      http://forkn.jp/book/1983/

Book3:「親父から僕へ、そして君たちへ」   http://forkn.jp/book/2064/

Book4:「女性たちの足跡」            http://forkn.jp/book/2586/

Book5:M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その1」            

                      http://forkn.jp/book/4291

Book6::  「M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2 」

                                                                           http://forkn.jp/book/4496

徳山てつんど
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