弟の涙

峰岸は、絶対という言葉が気にかかった。「絶対!どうしてそんなことがいえるのさ。一次試験合格は、まぐれというか、奇跡というか、なんと言うか、今でも信じられないけど、二次試験まで、奇跡が起きるとは思えないんだけど。絶対って、なにを根拠に言うのさ。わけのわからない励ましは、いやよ。どういうことか言ってよ」峰岸は、柏木に食って掛かった。柏木は、まったく動ぜず、笑顔を作って答えた。

 

「あくまでも、私の憶測なんだけど、気を悪くしないでよ。ほら、渡辺の転校のことなんだけど、あれは、教頭が知り合いを通じてやったことだと思う。それと、大島先輩の名門校合格も教頭が仕組んだことだと思うの。きっと、教頭は、いろんな人脈を持っていて、コネが効くのよ。峰岸の合格も、教頭の筋書きだと思うのよ。だから、必ず、二次試験も合格すると確信したのよ。これは、あくまでも、憶測だから、気にしないでよ」柏木は、平然と、峰岸を傷つけるようなことを言った。

 

峰岸は、一瞬地獄に突き落とされたような気がしたが、柏木が合格の謎を解いたように思った。「そうか、そうよね、誰が考えても、へんよね。柏木の言っていることが真実かも。となれば、必ず、合格するってことか。ようは、学校の名誉のために、利用されたってことだな。それはそれでいいかもね。親父は、喜んでいることだし」悩んでいた自分が、ばかばかしくなった。

峰岸は、目を大きくして、柏木を驚かせてみた。「もしもよ、面接で、アメリカの悪口を言ったら、不合格になるんじゃない」峰岸は、冗談を言った。柏木は、本心と思い、落ち着くように説得し始めた。「峰岸、行きたくないのはわかるけど、それだけはやめときな。もし、そのことが、教頭の耳にでも入ったならば、一生教頭に恨まれるぞ。殺されるかもしんないぞ、教頭は鬼だから」柏木の声は上ずっていた。

 

峰岸は、ワハハと大きな声で笑うと、冗談を続けた。「それは面白じゃない。安保条約をどう思うかと聞かれたら、日本を馬鹿にした、アンポンタン条約って言ってやるか。面接官、どんな顔するだろうね、それでも、合格したら、教頭の力は相当なものということになるよね。面接が楽しみになってきた、こうなったら、破れかぶれだ」峰岸は、渡辺のことを聞いて、ムカついていた。

 

真に受けた柏木は、手が震え始めた。「峰岸、馬鹿なことをしちゃ、だめよ。本当に、ダメだから。たとえ、教頭の仕組んだことであっても、合格すれば、得するのは、峰岸なんだから。一生に一度の、ラッキーカードをみすみす捨てることはないわ。落ち着いて、峰岸。お父さんをがっかりさせることだけは、やっちゃダメ。わかった」柏木の顔は青くなっていた。

峰岸は、青くなった柏木を見て、少しムカつきが治まった。「まあ、柏木がそこまで言うのなら、アメリカをよいしょするか、合格する面接を受けるのもバカみたいだけど」峰岸は、軍人になる決意をした。そのとき、遠くに消えていく三島の姿が、脳裏に現れた。それを聞いた柏木は、ほっとした顔で応えた。「よかった、それでいいのよ。家族のためにも、教頭のためにも、日本のためにも、それがいいことだよ。峰岸、頑張れ」柏木は、自分で何を言っているかわからないくらい、頭に血が上っていた。

 

悩みが解決したわけではなかったが、峰岸の心は幾分すっきりした。とにかく、弟たちのために二次試験を受けることにした。柏木にお礼を言って分かれた峰岸は、すぐに家に帰って、弟たちの宿題を見ることにした。弟たちの部屋をのぞくと、プレステでゲームをやっていた。「二人とも、宿題やったのか、ね~ちゃんが見てやる、さっさと、夏休みの友、だしな」峰岸は、毎年、二人の宿題を手伝っていた。二人は、まったく、進んでやらないからだ。

 

二人は怒鳴られても、一向に、ゲームをやめなかった。「ね~ちゃんが、お前らの面倒見るのは、これが最後だからな、わかってんのか」二人は、無言で息を合わせたように振り向いた。「え~、それって、どういうこと?」将史が訊ねた。「来年から、士官学校に行くって言っただろ。士官学校は、全寮制なんだ、だから、来年からは、お前ら、自分で宿題をやらなくっちゃならないんだ。わかったか」美波は、合格した場合の話をした。

二人は、まだ言われていることが、わかっていないような表情でぽかんとしていた。「ね~ちゃん、家を出て行くのか、そんなこと言ってなかったじゃないか。うそつき。ね~ちゃんのバカ」将史は、怒りをぶちまけた。直道は今にも泣きそうな顔で、訴えた。「一緒に行く、僕も、一緒に行く」直道は、泣き始めた。直道は立ち上がり、その場で駆け足をするように、両足をどたばたさせ始めた。「いやだ、いやだ、ね~ちゃん行っちゃ、いやだ」直道の叫び声は、鼓膜を突き破るほど大きくなっていた。

 

美波は、まったく予想していなかった事態に直面し、おろおろするばかりであった。「わかった、ね~ちゃん、どこにも行かない。だから、おとなしくして」美波は、直道を抱きしめた。直道は鼻をすすり、しゃくり声を出していたが、美波の手をしっかり握ってゆっくりと話し始めた。「約束だからね、絶対嘘ついちゃダメだからね。うそつたら、僕、死んじゃうから」直道は、つめが皮膚に突き刺さるほど美波の手を強く握っていた。美波の目から、涙が止めどもなくこぼれていた。「ごめんね、ね~ちゃんがバカだった」美波は直道と将史を思いっきり抱きしめた。

 

決断

 

 8月1日、峰岸は、間近に迫った二次試験のことで、教頭に呼ばれていた。峰岸は、静かに校長室のドアをノックした。「お入りなさい」命令口調の教頭の声が峰岸の耳に突き刺さった。峰岸は、そっとドアを開け、中に入っていくと、校長と教頭が笑顔で迎えた。「峰岸、遠慮せずにこちらにお座りなさい」教頭は、向かいのソファーに手招きした。峰岸がお辞儀して腰掛けると、校長が声をかけた。「よかったね。合格おめでとう。二次試験は、形式的なものだ。安心して、受験するがいい」校長は、合格は当然のように話した。

春日信彦
作家:春日信彦
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