弟の涙

峰岸は、目を大きくして、柏木を驚かせてみた。「もしもよ、面接で、アメリカの悪口を言ったら、不合格になるんじゃない」峰岸は、冗談を言った。柏木は、本心と思い、落ち着くように説得し始めた。「峰岸、行きたくないのはわかるけど、それだけはやめときな。もし、そのことが、教頭の耳にでも入ったならば、一生教頭に恨まれるぞ。殺されるかもしんないぞ、教頭は鬼だから」柏木の声は上ずっていた。

 

峰岸は、ワハハと大きな声で笑うと、冗談を続けた。「それは面白じゃない。安保条約をどう思うかと聞かれたら、日本を馬鹿にした、アンポンタン条約って言ってやるか。面接官、どんな顔するだろうね、それでも、合格したら、教頭の力は相当なものということになるよね。面接が楽しみになってきた、こうなったら、破れかぶれだ」峰岸は、渡辺のことを聞いて、ムカついていた。

 

真に受けた柏木は、手が震え始めた。「峰岸、馬鹿なことをしちゃ、だめよ。本当に、ダメだから。たとえ、教頭の仕組んだことであっても、合格すれば、得するのは、峰岸なんだから。一生に一度の、ラッキーカードをみすみす捨てることはないわ。落ち着いて、峰岸。お父さんをがっかりさせることだけは、やっちゃダメ。わかった」柏木の顔は青くなっていた。

峰岸は、青くなった柏木を見て、少しムカつきが治まった。「まあ、柏木がそこまで言うのなら、アメリカをよいしょするか、合格する面接を受けるのもバカみたいだけど」峰岸は、軍人になる決意をした。そのとき、遠くに消えていく三島の姿が、脳裏に現れた。それを聞いた柏木は、ほっとした顔で応えた。「よかった、それでいいのよ。家族のためにも、教頭のためにも、日本のためにも、それがいいことだよ。峰岸、頑張れ」柏木は、自分で何を言っているかわからないくらい、頭に血が上っていた。

 

悩みが解決したわけではなかったが、峰岸の心は幾分すっきりした。とにかく、弟たちのために二次試験を受けることにした。柏木にお礼を言って分かれた峰岸は、すぐに家に帰って、弟たちの宿題を見ることにした。弟たちの部屋をのぞくと、プレステでゲームをやっていた。「二人とも、宿題やったのか、ね~ちゃんが見てやる、さっさと、夏休みの友、だしな」峰岸は、毎年、二人の宿題を手伝っていた。二人は、まったく、進んでやらないからだ。

 

二人は怒鳴られても、一向に、ゲームをやめなかった。「ね~ちゃんが、お前らの面倒見るのは、これが最後だからな、わかってんのか」二人は、無言で息を合わせたように振り向いた。「え~、それって、どういうこと?」将史が訊ねた。「来年から、士官学校に行くって言っただろ。士官学校は、全寮制なんだ、だから、来年からは、お前ら、自分で宿題をやらなくっちゃならないんだ。わかったか」美波は、合格した場合の話をした。

二人は、まだ言われていることが、わかっていないような表情でぽかんとしていた。「ね~ちゃん、家を出て行くのか、そんなこと言ってなかったじゃないか。うそつき。ね~ちゃんのバカ」将史は、怒りをぶちまけた。直道は今にも泣きそうな顔で、訴えた。「一緒に行く、僕も、一緒に行く」直道は、泣き始めた。直道は立ち上がり、その場で駆け足をするように、両足をどたばたさせ始めた。「いやだ、いやだ、ね~ちゃん行っちゃ、いやだ」直道の叫び声は、鼓膜を突き破るほど大きくなっていた。

 

美波は、まったく予想していなかった事態に直面し、おろおろするばかりであった。「わかった、ね~ちゃん、どこにも行かない。だから、おとなしくして」美波は、直道を抱きしめた。直道は鼻をすすり、しゃくり声を出していたが、美波の手をしっかり握ってゆっくりと話し始めた。「約束だからね、絶対嘘ついちゃダメだからね。うそつたら、僕、死んじゃうから」直道は、つめが皮膚に突き刺さるほど美波の手を強く握っていた。美波の目から、涙が止めどもなくこぼれていた。「ごめんね、ね~ちゃんがバカだった」美波は直道と将史を思いっきり抱きしめた。

 

決断

 

 8月1日、峰岸は、間近に迫った二次試験のことで、教頭に呼ばれていた。峰岸は、静かに校長室のドアをノックした。「お入りなさい」命令口調の教頭の声が峰岸の耳に突き刺さった。峰岸は、そっとドアを開け、中に入っていくと、校長と教頭が笑顔で迎えた。「峰岸、遠慮せずにこちらにお座りなさい」教頭は、向かいのソファーに手招きした。峰岸がお辞儀して腰掛けると、校長が声をかけた。「よかったね。合格おめでとう。二次試験は、形式的なものだ。安心して、受験するがいい」校長は、合格は当然のように話した。

 教頭は、落ち着いた声でやさしく話し始めた。「いまさら、言うことじゃないと思うけど、最も合否を決めるのは、面接よ。わかっていると思うけど、アメリカと政府を非難するような発言は、絶対しないように、とにかく、どんな質問にも、従う姿勢を見せなさい。たとえば、“いかなることがあっても、軍の命令に従いますか”、と質問されたら、素直に、従いますと答えなさい。ポイントはそれだけです」教頭は、笑顔を作って峰岸の肩にそっと手を置いた。

 

 峰岸の気持ちは決まっていたが、教頭に逆らう態度は見せず、大きく頷いた。教頭は安心した表情で、話を続けた。「士官学校は、軍事基地にある一つの施設なの。あそこのエリアには、学校のほかに、研究所や日本CIA支局があるのよ。運営の指揮は、CIAがほとんど握っているの。だから、合否もCIAの判断ってわけね。こんなことは、余談だったわね。峰岸が合格すれば、糸島中学は、全国的に有名になるわ。もう、わくわくしちゃうわ。峰岸は、一躍、英雄よ。頑張って」教頭は、一人で舞い上がっていた。

 

 8月5日、9時30分から、二次試験が開始された。午前中に、作文とディベートがおこなわれた。作文のテーマは、“女性の徴兵制についてどう考えるか”であった。ディベートは、“核保有は国防に有利か、不利か”であった。峰岸は、有利のグループのメンバーとして意見を述べた。午後は、個別面接がおこなわれた。面接官は、3人で、そのうちの一人は日本CIAであった。

春日信彦
作家:春日信彦
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