弟の涙

 教頭は、落ち着いた声でやさしく話し始めた。「いまさら、言うことじゃないと思うけど、最も合否を決めるのは、面接よ。わかっていると思うけど、アメリカと政府を非難するような発言は、絶対しないように、とにかく、どんな質問にも、従う姿勢を見せなさい。たとえば、“いかなることがあっても、軍の命令に従いますか”、と質問されたら、素直に、従いますと答えなさい。ポイントはそれだけです」教頭は、笑顔を作って峰岸の肩にそっと手を置いた。

 

 峰岸の気持ちは決まっていたが、教頭に逆らう態度は見せず、大きく頷いた。教頭は安心した表情で、話を続けた。「士官学校は、軍事基地にある一つの施設なの。あそこのエリアには、学校のほかに、研究所や日本CIA支局があるのよ。運営の指揮は、CIAがほとんど握っているの。だから、合否もCIAの判断ってわけね。こんなことは、余談だったわね。峰岸が合格すれば、糸島中学は、全国的に有名になるわ。もう、わくわくしちゃうわ。峰岸は、一躍、英雄よ。頑張って」教頭は、一人で舞い上がっていた。

 

 8月5日、9時30分から、二次試験が開始された。午前中に、作文とディベートがおこなわれた。作文のテーマは、“女性の徴兵制についてどう考えるか”であった。ディベートは、“核保有は国防に有利か、不利か”であった。峰岸は、有利のグループのメンバーとして意見を述べた。午後は、個別面接がおこなわれた。面接官は、3人で、そのうちの一人は日本CIAであった。

 面接内容は、以外にも、一般的で、中学生活に関するものであった。中学で思い出に残ったこと、部活で得たこと、将来の夢、など学生にふさわしい質問であった。だが、最後に、合否にかかわる決定的な質問がなされた。CIAの面接官が、流暢な日本語で質問した。「あなたは、お国のために死ぬことができますか?」面接官はじっと峰岸の目を見つめた。峰岸は、しばらく黙っていた。面接官たちは、怪訝な顔をし始めた。

 

 峰岸は、勇気を振り絞って、答えた。「私は家族を守るために軍人になりたいと思っていますが、お国のためではありません。だから、お国のために死ぬことはできません」峰岸は、きっぱりと答えた。峰岸の心はすっきりした。弟の涙を裏切ることだけはできなかった。面接官は、峰岸のりりしい態度には感心していた。その日は、寮で一泊し、翌日身体検査がおこなわれた。

 

 8月27日、校長宛に合否が通知された。峰岸は、不合格であった。教頭は、悲壮な顔で校長と話していた。「信じられない、あれほど、うまくいっていたのに、あ~~、校長、申し訳ございません」教頭は校長に頭を下げていた。校長室に呼ばれた峰岸は、教頭の手前、何度も頭を下げて、うその涙を流していた。「峰岸、もういいわ、合否の判断はCIAだから、どうしようもないわ。もう、お帰りなさい」教頭は、峰岸の気持ちを考え、優しい言葉をかけた。

 今日、合否発表があることを知らされていた勲は、早めに帰宅した。勲が帰宅した玄関の音を聞きつけると、美波はゆっくりと階段を下りてきた。「お帰り」美波は、緊張していた。「ただいま」勲は、服を着替えるとキッチンにやってきた。美波は、テーブルに缶ビール、コップ、チーズを用意して待っていた。勲は、椅子に腰掛け、声をかけた。「おい、どうだった」勲は、結果を訊ねた。美波は、しばらく間をおいて、答えた。「ダメだった、ごめん」美波は、頭を下げた。

 

 勲は、コップにビールを注ぎ、笑顔で一口飲んだ。「そうか、まあ、これも運命だ」勲は、なぜかがっかりしなかった。美波は、いやみを言われるかと心配していたが、予想に反して機嫌のいい勲が、奇妙に思えた。勲は、もう一口飲むと、付け加えた。「自分のやりたいことをやればいい、家族のことは心配するな」勲は、目を閉じてしばらく黙っていた。美波は、「わかった」と言って二階に上がった。

 

 二階に上がった美波を確認すると、勲は仏壇の前に正座した。両手を合わせ、千代に話しかけた。勲の目からは涙がこぼれていた。「千代、美波は世界一、家族思いの娘たい、それに比べ、俺は、情けない男ばい」勲は、右手に拳骨を作り、思いっきり頭をゴツンと叩いた。勲は、「もし、ねーちゃんが家を出て行ったら、死ぬまでうらんでやる」と将史に言われていた。美波が弟たちのために不合格になるようにしたことを、勲は、わかっていた。

 翌日、美波は朝錬に出かけた。部室で着替え道場に出てみると、峰岸がやってくるのを待っていたかのように、三島が一人素振りをやっていた。三島に近づいた峰岸は声をかけた。「おい、話がある」三島は、素振りを続けながら答えた。「なんだ!」峰岸はしばらく間を置いて、答えた。「ダメだった」三島は、もう一度聞き返した。「何だって!」三島は、素振りの手を止めて、峰岸の顔を見つめた。

 

 峰岸も三島の顔を見つめ答えた。「士官学校、不合格だった」突然、三島に笑顔が爆発した。「そうか、ダメだったか、お前は、軍人に向いていなかったということだ、剣道をやれってことだ」三島は、言い終えると、突然走り出した。三島はうれしかった。三島も峰岸と一緒に剣道をやりたかった。三島は峰岸が見ている前で何週も道場をぐるぐると走り続けた。そして、何度もつぶやいていた、峰岸は、やっぱ、かわい~、かわい~、かわい~

春日信彦
作家:春日信彦
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