弟の涙

 柏木ははっきりした意見は言えなかったが、話を続けた。「合格したということは幸運なことじゃない。とにかく二次試験は受けるべきよ。合格すれば、軍隊生活はつらいと思うけど、未来が開けるじゃない。日本を守る仕事じゃない。頑張れば。ただし、恋愛は、我慢することになるわね」柏木は、励ましたが、峰岸は笑顔を見せなかった。峰岸は、ぼんやりと三島のことを考えていた。「そうね、恋愛は、無理か」峰岸は、がっかりしたように、沈んだ声でポツリとささやいた。

 

 柏木は、突然笑顔を作り話し始めた。「そう、渡辺が、夏休みで帰ってきているのよ。昨日、うちに遊びに来てね、寮でのいやなことを散々聞かされたよ。やっぱ、寮生活って、苦労が多いみたいね。でも、三島の今度の試合のことを話したら、急に、笑顔を作って嬉しそうだったよ。今でも、三島のこと好きみたいよ。日曜日の試合は応援に行くって言ってた。私もいくけど、峰岸、今度こそ、九州大会に行ってよ」柏木は、峰岸の最後の試合を応援した。

 

 ぼんやりしていた峰岸は、急に真剣な顔になって、話し始めた。「渡辺が三島のことをね~、やっぱ、好きだったのか」峰岸は、水っぽくなったコーラを一気に飲んだ。柏木は話を戻した。「峰岸の根性だったら、何でもやれるさ。軍隊生活だって、耐えられるよ。思うけど、二次試験は絶対合格すると思う。間違いないよ」柏木は、士官学校の受験は教頭の策謀と考えていた。

峰岸は、絶対という言葉が気にかかった。「絶対!どうしてそんなことがいえるのさ。一次試験合格は、まぐれというか、奇跡というか、なんと言うか、今でも信じられないけど、二次試験まで、奇跡が起きるとは思えないんだけど。絶対って、なにを根拠に言うのさ。わけのわからない励ましは、いやよ。どういうことか言ってよ」峰岸は、柏木に食って掛かった。柏木は、まったく動ぜず、笑顔を作って答えた。

 

「あくまでも、私の憶測なんだけど、気を悪くしないでよ。ほら、渡辺の転校のことなんだけど、あれは、教頭が知り合いを通じてやったことだと思う。それと、大島先輩の名門校合格も教頭が仕組んだことだと思うの。きっと、教頭は、いろんな人脈を持っていて、コネが効くのよ。峰岸の合格も、教頭の筋書きだと思うのよ。だから、必ず、二次試験も合格すると確信したのよ。これは、あくまでも、憶測だから、気にしないでよ」柏木は、平然と、峰岸を傷つけるようなことを言った。

 

峰岸は、一瞬地獄に突き落とされたような気がしたが、柏木が合格の謎を解いたように思った。「そうか、そうよね、誰が考えても、へんよね。柏木の言っていることが真実かも。となれば、必ず、合格するってことか。ようは、学校の名誉のために、利用されたってことだな。それはそれでいいかもね。親父は、喜んでいることだし」悩んでいた自分が、ばかばかしくなった。

峰岸は、目を大きくして、柏木を驚かせてみた。「もしもよ、面接で、アメリカの悪口を言ったら、不合格になるんじゃない」峰岸は、冗談を言った。柏木は、本心と思い、落ち着くように説得し始めた。「峰岸、行きたくないのはわかるけど、それだけはやめときな。もし、そのことが、教頭の耳にでも入ったならば、一生教頭に恨まれるぞ。殺されるかもしんないぞ、教頭は鬼だから」柏木の声は上ずっていた。

 

峰岸は、ワハハと大きな声で笑うと、冗談を続けた。「それは面白じゃない。安保条約をどう思うかと聞かれたら、日本を馬鹿にした、アンポンタン条約って言ってやるか。面接官、どんな顔するだろうね、それでも、合格したら、教頭の力は相当なものということになるよね。面接が楽しみになってきた、こうなったら、破れかぶれだ」峰岸は、渡辺のことを聞いて、ムカついていた。

 

真に受けた柏木は、手が震え始めた。「峰岸、馬鹿なことをしちゃ、だめよ。本当に、ダメだから。たとえ、教頭の仕組んだことであっても、合格すれば、得するのは、峰岸なんだから。一生に一度の、ラッキーカードをみすみす捨てることはないわ。落ち着いて、峰岸。お父さんをがっかりさせることだけは、やっちゃダメ。わかった」柏木の顔は青くなっていた。

峰岸は、青くなった柏木を見て、少しムカつきが治まった。「まあ、柏木がそこまで言うのなら、アメリカをよいしょするか、合格する面接を受けるのもバカみたいだけど」峰岸は、軍人になる決意をした。そのとき、遠くに消えていく三島の姿が、脳裏に現れた。それを聞いた柏木は、ほっとした顔で応えた。「よかった、それでいいのよ。家族のためにも、教頭のためにも、日本のためにも、それがいいことだよ。峰岸、頑張れ」柏木は、自分で何を言っているかわからないくらい、頭に血が上っていた。

 

悩みが解決したわけではなかったが、峰岸の心は幾分すっきりした。とにかく、弟たちのために二次試験を受けることにした。柏木にお礼を言って分かれた峰岸は、すぐに家に帰って、弟たちの宿題を見ることにした。弟たちの部屋をのぞくと、プレステでゲームをやっていた。「二人とも、宿題やったのか、ね~ちゃんが見てやる、さっさと、夏休みの友、だしな」峰岸は、毎年、二人の宿題を手伝っていた。二人は、まったく、進んでやらないからだ。

 

二人は怒鳴られても、一向に、ゲームをやめなかった。「ね~ちゃんが、お前らの面倒見るのは、これが最後だからな、わかってんのか」二人は、無言で息を合わせたように振り向いた。「え~、それって、どういうこと?」将史が訊ねた。「来年から、士官学校に行くって言っただろ。士官学校は、全寮制なんだ、だから、来年からは、お前ら、自分で宿題をやらなくっちゃならないんだ。わかったか」美波は、合格した場合の話をした。

春日信彦
作家:春日信彦
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