未来の価値

 拓也は悩みを打ち明けたことで少し気分は良くなってきたが、将棋をさす気力がうせてきてしまった。ドクターが同歩と指すとポンと膝を叩いて勝負をやめた。「勝負はお預けということで、明日、みんなでランチしませんか。是非、遊びに来てください。自宅にはアンナ、さやか、亜紀がいますから久しぶりにみんなで騒ぎましょう。お待ちしています」ドクターが頷くと、拓也は将棋盤と駒箱を鞄に入れ部屋を出た。

 

拓也の決断

 

 アンナはリビングのソファーに腰掛けぼんやりしていた。その隣ではさやかがチーズケーキを食べていた。アンナは最近ダイエットのため甘いものを避けている。さやかは体質的に甘いものを食べても太らない。アンナが拓也と結婚を誓って一年が過ぎた。二人は入籍し実質的に夫婦となった。拓也家には拓也、アンナ、亜紀の三人と居候のさやかがいる。さやかはアンナの希望で居候している。

 

 アンナはいまだ妊娠していない。拓也の勃起不全がまったく良くならないからだ。良くなる兆候さえ見られない。アンナの不安は募るばかりであった。ここのまま勃起不全が良くならなければ、子供ができないことになる。アンナは子供がほしかった。アンナはさやかがかつて言っていた人工授精を思い出していた。「アンナ、少しぐらいだったら、いいんじゃないの?」さやかはケーキを勧めた。

 アンナはここ最近、うつ症状に陥り、ぼんやりする日が多くなっていた。さやかの言葉も耳に入っていなかった。「アンナ、聞いているの?」さやかはアンナの右肩をポンと叩いた。「え!なんか言った?」アンナはとろんとした眼でさやかを見つめた。「アンナ、あまり考え込むと身体に悪いわよ。といっても、拓也の症状がいっこうに良くならないということは問題だよね。もうこれ以上は待てないよね。アンナ!」さやかはアンナに決心を促した。

 

 「本当に、いつまで待てばいいのよ。いつになったら子供ができるのよ。拓也のおおバカやろう。どうして起たないのよ~」いつものぼやきが始まった。「アンナ、もうあきらめよう」さやかは人工授精を勧めることにした。「いやよ、子供は絶対にほしいの!あきらめないから」アンナはさやかをにらめつけた。「アンナ、そうじゃなくて、拓也のあそこをあきらめるってこと。人工授精をやりなさい。拓也に決心させるのよ」さやかは握りこぶしを作ってアンナを激励した。

 

 アンナも拓也のあそこをあきらめかけていた。まったく、勃起しないのだ。時々、マッサージするのだが、まったく反応がないのだ。他に身体的な原因があるのではないかと人間ドッグの検診を試みたが、別に問題となる病気は見当たらなかった。一年経っても反応がないというのは、かなりの重症で回復の見込みがないと思えた。もはや、アンナの心は壊れかけていた。絶望感からウツに陥ってしまった。

 「そうよね、もう待てないよ。拓也に頼んでみようか?そう、明日、ドクターが遊びに来るって拓也からメールがあったのよ。ドクターにも相談しようかしら」アンナの表情がパッと明るくなった。「アンナから言いにくかったら、さやかが頼んであげようか?」さやかは助け舟を差し出した。「そうね、こういうことはさやかのほうがうまくいくような気もするわね。さやか、お願い!拓也をうまく丸め込んでちょうだい。一生、恩にきるわ」アンナは顔の前で両手を合わせた。

 

 翌日、ドクターは中洲のワシントンホテルからタクシーで11時半頃やってきた。ドクターはドアのインターホンを軽く押した。ピンポンと鳴ると亜紀が飛んで迎えに出た。亜紀は久しぶりにドクターを見て少し恥ずかしそうにしていた。ドクターは笑顔を見せると腰をかがめて挨拶をした。「亜紀ちゃん、こんにちは!とても元気そうで良かった。はい、お土産!」ドクターはキャナルで買ったシュークリームとバームクーヘンが入った袋を手渡した。

 

 亜紀は左手に袋を下げ、右手でドクターの左手を掴んで嬉しそうにリビングまで引っ張ってきた。ドクターが入ってくると、拓也、さやか、アンナが笑顔でドクターを歓迎した。「いらっしゃい、ドクター!待ってたわ」アンナは元気よく挨拶した。「お土産、もらった」亜紀はアンナに手提げ袋を手渡した。アンナはお礼を言うとキッチンにみんなを案内した。

 テーブルにみんなが着くとアンナとさやかは前菜とコーンスープを運んできた。スープを飲み終えるとメインディッシュの伊万里牛のステーキを運んできた。亜紀が大きな声で叫んだ。「やったー、おいしそう!」亜紀は家族のムードメーカーになっていた。「ドクターも亜紀の笑顔に応えて大きな声で叫んだ。「ワオ!ワンダフル!」ドクターはめったに見せないおどけた表情を見せた。ドクターは独身で女性は苦手であったが、亜紀を見るとなぜか心が和んだ。

 

 食事を終えるとアンナはドクターが持参したシュークリームを小皿に取りみんなに運んだ。「亜紀、シュークリーム大好き!先生、ありがとう、頂きま~す」亜紀はお礼を言うと大きく口をあけてかぶりついた。シュークリームは拓也も大好物であった。「ドクター、このシュークリーム、バリウマ」拓也は子供のように口をもぐもぐさせていた。「亜紀はホットカルピス、みんなはコーヒーでいいかしら」アンナは飲み物の準備を始めた。

 

 ドクターは元気に育っている亜紀を見てほっとした。「亜紀ちゃんは今度二年生になるんだね。大きくなったら何になりたいのかな?」ドクターは亜紀とお話したくなった。「亜紀は~、AKBになりたい」亜紀はAKB48の大ファンになっていた。「え!AKBってなんだい?」ドクターはAKBを知らなかった。女性に弱いドクターは、アイドル関係はまったく知らなかった。「ドクター、AKB知らないのか、もう少し、世間を勉強しなくっちゃな、ね、亜紀」拓也は亜紀にAKBについて教えてもらっていた。

春日信彦
作家:春日信彦
未来の価値
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