未来の価値

さやかはハンカチで涙を拭くと、もうひとつアンナに頼まれていた話をすることにした。「突然の話でごめんなさいね、すぐそこに平原公園があるでしょ、そこで思い立ったのが、小さなお店を出してはどうかしらとアンナが言っているの、拓也はどう思う?」拓也はよく意味が飲み込めずにアンナの方に顔を向けた。アンナは少し間をおいて笑顔で話しはじめた。

 

「何か仕事がしたいの。ここ一年何もやってないでしょ、ぜんざい、団子、タイヤキなどを出す甘党の店をやってみたいの、どう、やってもいい?」アンナは真剣な顔でお願いした。拓也は返事に困ったが、小さく頷いた。「かまわないけど、以前にやったことがあるのかい?」拓也はアンナに商売ができるとは思えなかった。「やったことはないけど、とにかくやってみたいの、いいでしょ」アンナは両手を合わせてお願いした。

 

拓也はどのようにやっていくのかは皆目見当がつかなかったが、了承した。「アンナさんがやってみたいというのなら、僕はかまわないけど、僕は役に立たないと思うよ、それでもいいかい」拓也は何も手伝いができないことをあらかじめ伝えた。アンナは笑顔を作ると両手をポンと叩いて立ち上がった。「拓也には迷惑はかけないわ。さやかと二人でうまくやって見せるから」アンナはテーブルを片付け始めた。さやかも立ち上がると、拓也とドクターはリビングに向かった。

 

未来の仲間

 

 拓也とドクターはいつの間にか出かけてしまった。アンナとさやかは食事の片づけを終えるとリビングでくつろいでいた。人工授精を快諾してくれた拓也のことを思っているアンナは笑顔でのほほんと庭を眺めていた。さやかは思ったより簡単に拓也が承諾したことが腑に落ちなかったが、結果オーライになったことで肩の荷が降りた。「アンナ、良かったわね、拓也も子供がほしかったみたいね」さやかはここ最近にないアンナの明るい笑顔を見てほっとした。

 

 アンナの頭の中はもはや妊娠気分になっていた。「早く、妊娠したいわ。ドクターちゃんとやってくれるかしら、待ち遠しいわ」アンナは下腹部を何度もなでていた。「アンナ、きっとうまくいくわよ、われわれの仲間をどんどん増やしてよ、アンナ」さやかは地下組織の仲間が増えることを考えていた。「どんどんたって、まだ一人も産んでないのにせっかちね、でも、三人はほしいな~」アンナは三人の子供に囲まれている自分を頭に描いていた。

 

 「ところで、亜紀は本当にAKBのオーディションを受ける気かしらね」アンナは食事のときの亜紀の言葉を思い出していた。「亜紀はしっかり勉強してもらって、さやかの跡継ぎになってもらわないといけないわ。芸能人はあきらめてもらわないとね」さやかは一方的な理解に苦しむ発言をした。アンナはさやかを怪訝な顔で見つめると訊ねた。「亜紀を仲間にするって、いつ決めたのよ?」

 さやかは眼を細めてニコッと笑顔を作り答えた。「拓也に亜紀を預けたときからよ、われわれの仲間にするために亜紀を拓也に預けたってわけ」さやかは亜紀を拓也に預けた理由を始めて打ち明けた。あっけに取られたアンナは眼を大きくして驚いた声を上げた。「え!そうだったの、どうして亜紀を仲間にしようと思ったの?」正面のさやかに向かって身を乗り出した。

 

 さやかは腕組みをするとドヤ顔で話しはじめた。「それは直感よ。亜紀はかなり頭がいいと思ったの。きっと秀才になるに違いないと直感したのよ。間違いなかったわ。亜紀はすごく物覚えがいいでしょ。運動神経もいいし」さやかは自分の眼に狂いがなかったことを自信たっぷりに話した。二年ほど前のことだが、亜紀が入院している間にさやかは彼女の家系を調べた。そのとき、亜紀の祖父は高校の数学教師であったことを知った。そのとき、亜紀を仲間にする決心をした。アンナはさやかの意外な考えに驚くと同時に不安になった。「ま~、確かに亜紀は賢い子よ、でも、亜紀を仲間にしなくてもいいじゃない、亜紀は自分の好きな道に進めてあげたいわ」アンナはさやかの強引な考えに反対した。

 

 「アンナ、無理に仲間に入れようってわけじゃないのよ。亜紀が成長するにつれて、さやかが少しずつ洗脳しようと思っているの。きっと、立派なリーダーになれるはずよ」さやかは仲間に入れる計画を立てていた。「反対はしないけど、亜紀の気持ちも考えてあげてよ、さやか」アンナはさやかの考えが良く飲み込めなかった。「アンナの子供まで仲間にするってことはないでしょうね?」アンナは不安が膨らんだ。

 さやかは間髪いれず答えた。「アンナ、仲間にしようよ、たくさん産んで仲間を増やすのよ」さやかは当然のように話した。アンナはあきれた顔で答えた。「アンナの子供はアンナが決めるわ、さやか、いい加減にしてよ」アンナはさやかの独断的発言にキレた。さやかはアンナの怒った顔を見て肩をすくめ、下を向いた。アンナは怒りが収まらず、さらに話し続けた。「そんなに仲間がほしけりゃ、さやかがどんどん産めばいいじゃない、そうでしょ」アンナの顔は夜叉になっていた。

 

 さやかはしばらく下を向いて黙っていた。ゆっくり顔を持ち上げると淋しそうな声で話しなじめた。「それがダメなの、さやかの卵は使い物にならないの」さやかは妊娠できないことを打ち明けた。「ダメって、どういうことよ?」アンナは意味が良くつかめなかった。

「ずっと前に、ドクターに調べてもらったの。さやかの卵子を。すると、たとえ受精しても細胞分裂できない卵と言われたの。だから、さやかは子供ができないのよ」さやかはまた肩を落として下を向いてしまった。

 

 アンナは具体的な意味が良くつかめなかったが、子供ができないといったことにショックを受けた。「え!子供ができないの、不妊症ってこと?」アンナは意外な告白に戸惑ってしまった。「そうなの、絶望的な不妊症らしいの。子供は一生、できないみたい。あきらめる以外ないの」さやかは自分の覚悟をさらけ出した。アンナはいったいこの後なんと言っていいか分からず、声の出ない口を金魚の口のように動かした。

 

春日信彦
作家:春日信彦
未来の価値
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