未来の価値

 さやかは眼を細めてニコッと笑顔を作り答えた。「拓也に亜紀を預けたときからよ、われわれの仲間にするために亜紀を拓也に預けたってわけ」さやかは亜紀を拓也に預けた理由を始めて打ち明けた。あっけに取られたアンナは眼を大きくして驚いた声を上げた。「え!そうだったの、どうして亜紀を仲間にしようと思ったの?」正面のさやかに向かって身を乗り出した。

 

 さやかは腕組みをするとドヤ顔で話しはじめた。「それは直感よ。亜紀はかなり頭がいいと思ったの。きっと秀才になるに違いないと直感したのよ。間違いなかったわ。亜紀はすごく物覚えがいいでしょ。運動神経もいいし」さやかは自分の眼に狂いがなかったことを自信たっぷりに話した。二年ほど前のことだが、亜紀が入院している間にさやかは彼女の家系を調べた。そのとき、亜紀の祖父は高校の数学教師であったことを知った。そのとき、亜紀を仲間にする決心をした。アンナはさやかの意外な考えに驚くと同時に不安になった。「ま~、確かに亜紀は賢い子よ、でも、亜紀を仲間にしなくてもいいじゃない、亜紀は自分の好きな道に進めてあげたいわ」アンナはさやかの強引な考えに反対した。

 

 「アンナ、無理に仲間に入れようってわけじゃないのよ。亜紀が成長するにつれて、さやかが少しずつ洗脳しようと思っているの。きっと、立派なリーダーになれるはずよ」さやかは仲間に入れる計画を立てていた。「反対はしないけど、亜紀の気持ちも考えてあげてよ、さやか」アンナはさやかの考えが良く飲み込めなかった。「アンナの子供まで仲間にするってことはないでしょうね?」アンナは不安が膨らんだ。

 さやかは間髪いれず答えた。「アンナ、仲間にしようよ、たくさん産んで仲間を増やすのよ」さやかは当然のように話した。アンナはあきれた顔で答えた。「アンナの子供はアンナが決めるわ、さやか、いい加減にしてよ」アンナはさやかの独断的発言にキレた。さやかはアンナの怒った顔を見て肩をすくめ、下を向いた。アンナは怒りが収まらず、さらに話し続けた。「そんなに仲間がほしけりゃ、さやかがどんどん産めばいいじゃない、そうでしょ」アンナの顔は夜叉になっていた。

 

 さやかはしばらく下を向いて黙っていた。ゆっくり顔を持ち上げると淋しそうな声で話しなじめた。「それがダメなの、さやかの卵は使い物にならないの」さやかは妊娠できないことを打ち明けた。「ダメって、どういうことよ?」アンナは意味が良くつかめなかった。

「ずっと前に、ドクターに調べてもらったの。さやかの卵子を。すると、たとえ受精しても細胞分裂できない卵と言われたの。だから、さやかは子供ができないのよ」さやかはまた肩を落として下を向いてしまった。

 

 アンナは具体的な意味が良くつかめなかったが、子供ができないといったことにショックを受けた。「え!子供ができないの、不妊症ってこと?」アンナは意外な告白に戸惑ってしまった。「そうなの、絶望的な不妊症らしいの。子供は一生、できないみたい。あきらめる以外ないの」さやかは自分の覚悟をさらけ出した。アンナはいったいこの後なんと言っていいか分からず、声の出ない口を金魚の口のように動かした。

 

「そんなこと、今頃言うなんて、もっと早くに打ち明ければ、気が楽になっていたのに。さやかもバカよ」アンナの眼からは涙がこぼれ落ちていた。さやかはスッと立ち上がりアンナの横に立つと、ポンと肩を叩いてハンカチを手渡した。「アンナ、お買い物に行きましょう。ベビー服を見に行かない、わくわくしてきたわ」さやかは自分に子供が生まれるような気分になっていた。

 

 そのころ、拓也とドクターは平原公園を散策していた。拓也は、昨日、ドクターが拓也の控え室にやって来て、深刻な顔をして話した内容について思いだしていた。ドクターは拓也が一週間前に受けた人間ドックの結果を報告した。「先生、この前の人間ドックの結果ですが、ひとつ気にかかることがありました。ちょっと、いいにくいのですが、いずれ報告しなければならないことですから、今、話します。前立腺に腫瘍がありました。悪性腫瘍と思われます。今後の治療を相談したいのですが」

 

 拓也は並んで歩いているドクターに昨日の話をもう一度確認した。「僕はガンですね。治療しなければ、死ぬんですね」拓也は死の予感を感じた。地獄からの使者は拓也を迎えにすぐそこまでやって来ていた。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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