友情をかけた嘘

「う~ん、確かに一理あるよな。でも、甲子園を目指すことは自分の限界に挑戦することでもある。だから、Y高校に行くということは、プロへの試金石とも言える。へたをすれば、肩を壊して選手生命を絶たれることだってある。プロになれるかどうかは、運命だな。悲観するな、勇樹を信じようじゃないか。俺は、勇樹は必ずプロになれると信じている」中村はプロになることの難しさを嫌というほど味わっていた。太も結果的にはプロになれなかった。

 

中村監督は勇樹のY高校の進学を心から喜んでいた。高校球児で甲子園の夢を抱かないものはいない。二人の夢はかなわなかったが、勇樹には甲子園のマウンドを踏んでほしかった。「そうか、俺たちの夢を勇樹に託すか。勇樹は俺とは違う、お前の言葉を信じるよ。今夜は飲もう。あのころ、よく二人で馬鹿をやってたな。なんだか、眼から、汗が出てきたばい。俺も年だな~」無心で練習していたころの二人の姿が太の眼に浮かんできた。

 

ゆう子の旅立ち

 

横山はとうとう口止めされていたゆう子のW高校進学の話を菊池にしてしまった。確かに、自責の念はあったが、ゆう子の性格を考えればやむをえないと思った。ゆう子は少し気が弱いところがあって、誰かに背中を押してもらわないと第一歩を踏み出せないところがある。そのことを小さいときからの親友である横山はよく知っていた。ゆう子はきっと今でもW高校の進学のことで悩んでいるに違いないと横山は思った。

 

ゆう子への最後の一押しを決行するため横山は断腸の思いで嘘をつく決意をした。12月16日()ゆう子の自宅に遊びに行った。「こんにちは」横山は母親の陽子に挨拶をした。「いらっしゃい、久しぶりじゃない、元気そうね」陽子は横山をリビングに案内した。「ゆう子、横山さんよ、降りてらっしゃい」陽子は大きな声でゆう子を呼んだ。「ハイ、すぐ行く!」ゆう子は階段をかけて降りた。

 

「横山さん、エリートクラスってお聞きしたわ。さすがね、高校はどこを受験なさるの?S高校とK高校を志望しています。自信はあまりないんですけど」横山は謙遜して言った。「まあ、すごいじゃない、将来の夢は?」陽子はいつもの詮索好きが始まった。「できれば、司法試験に合格して、裁判官になりたいと思っています。本当に、夢ですよ」横山は口が軽い陽子に口止めするような言い方をした。

 

「そんなことはないわよ、秀才だから、きっとなれるわよ、それに比べて、ゆう子は夢がないんだから、横山さんのつめの垢でもせんじて飲ませようかしら、ね~、ゆう子」陽子の皮肉が始まった。「お母さん、ゆう子は立派な夢を持っているじゃないですか、新体操で、オリンピックに出る夢を」横山は思い切った嘘を言った。「え!ほんと!ゆう子、ってことは、決心したのね、特待の話」陽子は喜色満面の笑みを浮かべ大きな声で確認した。

 

「え!まだよ、自信ないの、こんな田舎者が、東京でやれるかどうか?全国からエリート選手が集まってくるとよ、自分なんて、すぐに落ちこぼれるに決まってる。新城監督の思い違いよ、やっぱし無理よ」ゆう子は菊池のことを思うと本音をいえなかった。「どうしてこんなに弱気なんだろうね、いったい誰に似たのかしら、お父さんに似たのね。ゆう子、こんなチャンスは一生に一度よ、二度とこんなチャンスはめぐってこないのよ、いいの、断って?」陽子は怒りと共に悲しみがこみ上げていた。

 

「ゆう子、スポーツに田舎者とか、そんなことは関係ないと思うよ、いいじゃない、田舎者で、実力で勝ちあがればいいじゃない、そお、そお、菊池君ね、甲子園に出たいから、大分のY高校に行くって、言ってたよ。やっぱ、男ね!見直したわ」ゆう子に嘘のハードパンチを食らわした。「マジ!菊池君がそう言ったの?いつ聞いたの?」ゆう子には信じられなかった。

 

「この前の日曜日」横山は何気なく答えた。「嘘よ、菊池は糸高のはずよ、どこで聞いたのよ」ゆう子の心に横山に対する強烈な嫉妬が起きた。「マックよ、佐藤が、今から入試までどんな勉強をしたらいいか教えてくれって言うから、マックで待ち合わせていたら、菊池も一緒にやってきたのよ。そのとき、進学の話になって、菊池がY高校に行くって言ったのよ」横山はいまさら後には引けないと思い嘘を突き通した。

 

ゆう子の顔が急に青くなった。何か、菊池が自分から離れていくような、氷のような淋しさが、全身に広がった。「そう、菊池がそう言ったの、当然か、野球馬鹿だから、甲子園に行きたいんだろうね。嘘つき!」ゆう子は涙を抑えるために眼を吊り上げた。「ゆう子、菊池は、きっと、甲子園に出ると思う。W高校の監督が太鼓判を押したらしいよ。ゆう子も監督に見込まれたんだろ、女の意地を見せなよ」横山はもう一押しした。

 

「横山さんの言う通りよ、新城監督はオリンピック強化選手の監督もなされてある日本屈指の監督よ。ゆう子、監督を信じて、チャレンジしてはどう!」陽子はゆう子の顔をそっと覗き込んだ。ゆう子はしばらく黙っていた。何か魂が抜けてしまい、心が空洞化してしまったように感じた。今までいったい何を悩んでいたのか分からなくなっていた。なぜ、新体操をやっているのだろうか、なぜ、やめようとしないのか、心は何も答えようとしなかった。

 

「ゆう子、どうしたの?顔色が悪いわよ」陽子はゆう子の心を傷つけてしまったのではないかと少し反省していた。「そうよね、野球馬鹿は甲子園を目指すわよね。ゆう子は、ただのバカってわけか。そいじゃ、今夜、決めるけん!」ゆう子は新体操を続けるか、やめるか、決めることにした。「横山、二階においで」ゆう子は立ち上がると階段に向かった。横山もすぐに立ち上がるとゆう子の後を追った。

春日信彦
作家:春日信彦
友情をかけた嘘
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