友情をかけた嘘

ゆう子の顔が急に青くなった。何か、菊池が自分から離れていくような、氷のような淋しさが、全身に広がった。「そう、菊池がそう言ったの、当然か、野球馬鹿だから、甲子園に行きたいんだろうね。嘘つき!」ゆう子は涙を抑えるために眼を吊り上げた。「ゆう子、菊池は、きっと、甲子園に出ると思う。W高校の監督が太鼓判を押したらしいよ。ゆう子も監督に見込まれたんだろ、女の意地を見せなよ」横山はもう一押しした。

 

「横山さんの言う通りよ、新城監督はオリンピック強化選手の監督もなされてある日本屈指の監督よ。ゆう子、監督を信じて、チャレンジしてはどう!」陽子はゆう子の顔をそっと覗き込んだ。ゆう子はしばらく黙っていた。何か魂が抜けてしまい、心が空洞化してしまったように感じた。今までいったい何を悩んでいたのか分からなくなっていた。なぜ、新体操をやっているのだろうか、なぜ、やめようとしないのか、心は何も答えようとしなかった。

 

「ゆう子、どうしたの?顔色が悪いわよ」陽子はゆう子の心を傷つけてしまったのではないかと少し反省していた。「そうよね、野球馬鹿は甲子園を目指すわよね。ゆう子は、ただのバカってわけか。そいじゃ、今夜、決めるけん!」ゆう子は新体操を続けるか、やめるか、決めることにした。「横山、二階においで」ゆう子は立ち上がると階段に向かった。横山もすぐに立ち上がるとゆう子の後を追った。

その夜の夕食後、母親と父親はゆう子の話を待っていた。陽子はジョナゴールドの皮をむきながら、ゆう子の顔を時々覗いていた。父親、宗一郎はお茶をすすっては囲碁の本“秀行の創造”を読んでいた。妹の詩織はデザートの林檎を手持ち無沙汰に待っていた。陽子が四分の一にカットした林檎を小皿に載せ、それをそれぞれのトレイに載せたとき、ゆう子は話を切り出した。

 

ゆう子は大きく深呼吸するとゆっくりと話し出した。「東京に行こうと思う。お父さん、お母さん、いいですか?」ゆう子は何日も悩んだ挙句の結論を話した。「そお、やっと決心がついたのね、お母さんは賛成よ、お父さんは?」陽子は笑顔で宗一郎に問いかけた。宗一郎は少し驚いた顔を見せたが、落ちついた口調で話しはじめた。「ゆう子が決めたことだ、お父さんも賛成だ。でも、決して、無理はするな」

 

ゆう子はほんの少し笑顔を見せて話を続けた。「マジ、自信はまったくないの。全国から選ばれたトップクラスのエリート選手相手に戦うなんて、まったく自信ないけど、二度とないチャンスと思うから、やってみる」ゆう子は真剣な顔で決意表明をした。詩織はあっけに取られた顔で声をかけた。「お姉ちゃん、東京に行っちゃうの、いつまで?」詩織は淋しそうな表情でゆう子を見つめた。

ゆう子は現実的な質問に胸がキュッと締め付けられた。「あ!それは、いつまでだろう、挫折したらすぐに戻ってくるかも」東京に行くということは一人になる。また、家族や友達と別れることになる。そのことを思うと急に淋しくなった。陽子は優しい眼差しでゆう子に言った。「やるからには、オリンピックに出るまで、とことんやりなさい。一人じゃないの、家族みんなで頑張るのよ。いつでも、応援に行くから、元気を出しなさい」ゆう子の淋しさを察知した陽子は優しく励ました。

 

詩織は笑顔を作ると明るい声を上げた。「やった~、詩織も東京に行けるんだ~」宗一郎も励ましの言葉をかけた。「ゆう子、全力を尽くせばいいんだ。挫折しても、決して恥ずかしいことじゃない。チャレンジしたことは一生の宝物になる。心配せずにやりなさい、みんなで、応援に行くから、元気を出せ、ゆう子」ゆう子が離れることはほんの少し淋しかったが、宗一郎は思いっきり笑顔を作った。

 

翌年、4月1日(月)筑前前原駅に横山、八神、佐藤、松島たちはゆう子を見送るために集まった。菊池は一足先に大分に出立していた。「菊池のやつ、さっさと行きやがって、冷たいやつだぜ」松島は菊池の気持ちがまったく分かっていなかった。「まあ、いいじゃないか。菊池の分まで盛大に見送ろうぜ」佐藤は菊池がなぜ先に出立したのか分かっていた。「よし、バンザイ三唱で見送るぞ、いいな、みんな」佐藤はみんなに気合を入れた。

 

「きゃ~、はずかし~、みんな、ありがとう。休みの日には糸島に帰ってくるけん、そのときは、遊んでくれよな」大島は一人一人、しっかりと握手した。「みんな、用意はいいか、オリンピック目指して、頑張れ、ゆう子!バンザ~イ、バンザ~イ、バンザ~イ」佐藤の音頭で、四人は両腕を振り上げ、バンザイ三唱のエールを送った。「みんなさん、ありがとう、ゆう子、皆さんの気持ちをわすれず、全力を尽くすのよ」陽子は四人に頭を下げお礼を言った。

 

ゆう子は午前、10時10分、福岡空港から羽田に飛んだ。スッと機体が浮いたとき、ゆう子の心は淋しさでいっぱいになった。一人になることの決意はしていたものの、淋しさだけは抑え切れなかった。窓から、福岡市街をぼんやり眺め、「横山、八神、佐藤、松島、さようなら」と心でつぶやいた。シートベルトを外すと、勇気を出して、菊池が出立する前日にゆう子に送った携帯のメールを開いた。ゆう子は何度も開けるのを躊躇していた。

 

*よう、俺は一足先に大分に行くぜ、ゆう子を見送るなんて、できっこないし。小学校から応援してくれて、ありがとうよ、うまくいえないけど、ゆう子が応援に来てくれると、なぜか、気合が入るんだな。かっこいいとこ、見せたかったのかもな。これからは、ゆう子がスタンドにいないと思うと、やっぱ、淋しいけど、ゆう子の笑顔は頭に叩き込んでるけん、一人でも、頑張るばい。

 

春日信彦
作家:春日信彦
友情をかけた嘘
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