友情をかけた嘘

元気の無い菊池はストローでコーラを飲んでいた。「菊池君はどこ?」横山はこれからが正念場と気合を入れた。「俺か、佐藤と同じ」バーガーをかじるように食べ始めた。「え!糸高ってこと、Y高校じゃなかったの?」横山は目をむき、身を乗り出して、驚きの声を発して訊ねた。「そうだけど、俺の頭じゃ、無理ってか」菊池はとぼけた返事をした。「そうじゃなくて、Y高校に行かないの、スカウトされたんじゃなかったの?」横山は鬼になって菊池の心と戦うことにした。

 

 佐藤もあきれた顔で菊池を見つめた。佐藤は、以前菊池からY高校を断ったと聞いて驚いていた。「もったいないんじゃないか、菊池、お前だったら、Y高校でもエース取れるんじゃねーか。お前にしては弱気だな~」佐藤には菊池の心がまったく分からなかった。「菊池君、佐藤君の言う通りよ、菊池君ならきっとエースで甲子園に行けると思うわ。Y高校の監督が気に食わないの?」横山は菊池の心をほんの少しでも動かしたかった。

 

 「いや、監督さんはすごく立派な方だよ。親父もほめていたし。でも、俺は、名門高校には向かないと思うんだ。田舎の弱小高校で甲子園を目指すほうが、俺には向いていると思ったんだ。親父にもそのことを言って、納得してもらったよ」菊池は口が裂けても本心を言いたくなかった。「そうなの、菊池君には菊池君の考えがあったのね、そう、そう!ゆう子ね、東京のW高校に決まりそうって言ってたわ。教頭の口利きがあったみたいね。鬼教頭もいいところあるじゃない」横山はゆう子に口止めされていることを話してしまった。

「え!嘘だろ、ゆう子は糸高って言ってたぞ」菊池はあまりのショックにコーラのカップを握りつぶしていた。あふれ出た黒いコーラはトレイに広がった。「菊池君、袖が濡れてる」横山はハンカチを取り出すと菊池に手渡した。「知らないのは当然よ、12月に入って、特待生の話が決まったみたいよ。菊池君もW高校に行きたくなったの」ついに横山は菊池のハートに矢を放った。

 

 血の気が引いた菊池は「バカ言え」と叫んだが、あまりのショックに死にたくなった。「菊池、東京といっても飛行機を使えば3時間で会えるじゃないか、そんなにがっかりするな」

佐藤はなんと言っていいか分からず思いつきの励ましをした。菊池の頭の中は真っ白になっていた。「ゆう子は才能あるしな。良かったよな」菊池はこれ以上、この場にいたくなかった。スッと立ち上がると無言で立ち去った。両手をポケットに突っ込んだ菊池は、ぼんやりと亡霊のように裏道を歩いていた。

 

 東京と聞いたとき、ゆう子とは一生会えないような気がした。菊池はゆう子の応援が嬉しくてマウンドに立っていた。大きな試合ではいつもスタンドのどこかで応援してくれていた。東京に行ってしまえば、ゆう子の応援する姿が消えてしまう。このことを考えると野球の意欲まで消えうせてしまった。ゆう子の喜ぶ笑顔を楽しみに、必死になって投げてきた菊池にとっては、ゆう子のいない甲子園なんてどうでもいいように思えてきた。

 

部屋に閉じこもった菊池は夕食も取らず、寝込んでしまった。このまま、死ぬまで眼を醒ましたくなかった。眼を閉じると、ゆう子との別れの想いが次から次へと湧き出てきた。東京の高校に行ってしまえば、東京の大学に進学し、東京で就職することになる。きっと、二度と会えない。ゆう子のことだからすぐに彼氏ができるに違いない。東京のイケメンに勝てっこない。田舎者の俺なんか、すぐに忘れさられる。本当に東京に行っちまうのかよ~。

 

ドタン、ドタンと階段の鳴り響く音が菊池の耳元に近づいてきた。「兄ちゃん、メシ」弟の浩二が叫ぶとすぐに階下に降りて行った。勇樹は何も食べたくはなかったが、Y高校の進学の件を話す為に降りて行った。「寝とったんか?はよ、飯食わんか」父親の太は怒鳴りつけた。「寝とらん、考えごとば、しよったと、うぜ~な~」勇樹は椅子に腰かけるとお茶をすすっている父親に話しかけた。

 

「Y高校のことばってん、俺、やっていけるやろか?」Y高校を一度は断ったが、ゆう子との別れを考えると、勇樹は糸高に行く気がしなくなっていた。頑として断っていた勇樹がY高校の話を始めたとき、太の目は輝いた。「お!行く気になったとか?監督に断りの返事はしとらん。本当に行く気か!」太は本心を確認したかった。「名門でエースになれるか、自信ないけど、行こうと思う」勇樹はゆう子を忘れるには一番いい方法と考えた。

「よし、分かった。すぐに、監督にお願いするけん、甲子園目指して頑張れ」涙が出そうなほど太は嬉しかった。太もかつては甲子園を目指す野球少年だった。甲子園の夢はかなわなかったが、勇樹には甲子園のマウンドに立ってほしかった。そして、一軍のプロ野球選手になってほしかった。だが、太の心に何か冷たい風が吹いた。なぜ、今頃、Y高校に行く気になったのか?ふと、そのことが頭をかすめた。

 

どこか納得がいかない太は、親友の糸島高校野球部監督、中村に相談の電話を入れた。翌日、いつもの居酒屋赤ひげでいっぱい飲む約束をした。中村とは高校時代バッテリーを組んでいた。捕手の中村は頭がよく社会科の教員資格を取り、野球部の監督として活躍していた。太は実業団でノンプロとして活躍したが、プロ野球選手にはなれなかった。今は工作機械を製造するM製作所で班長として部下の指導に当たっている。

 

先に着いた太は、ボトルキープしている“焼酎いいちこ”のお湯わりをカウンターで飲み始めた。8時を回ったころ、無愛想な中村が暖簾をくぐってやってきた。太の左隣の椅子に腰掛けると6-4のお湯わりを作り中村に手渡した。「今日は俺のおごりだ。好きなだけ飲め」酔った太の愚痴を中村に聞いてほしかった。「勇樹のことだな、糸高じゃ不服ということか、俺を信用しろ、必ず大物にしてみせる。何も、甲子園に出るだけが野球じゃない、しっかり、基礎を作って、大学で活躍できれば、プロも夢じゃない。そう、がっかりするな」

春日信彦
作家:春日信彦
友情をかけた嘘
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