友情をかけた嘘

舞い込んできたチャンス

 

 12月2日()夕食後、リビングではゆう子の母親、陽子は目を輝かせて一人で舞い上がっていた。その日の午前中に、篠田教頭が東京の新体操の名門、東京女子体育大学付属W高校の新体操特待生の話を持ってきたからだ。ゆう子は5歳の時から六本松にあるR新体操クラブに通っていた。彼女は小柄ではあったが、運動神経の良さと明るさが持ち味でコーチからも有望視されていた。

 

 篠田教頭は三年生すべての学力チェックのほかに、家庭の経済状況、生徒の特性についての情報を担任の教師から入手していた。これはエリート主義教育には欠かせない手続きの一つであった。一人でも多くの生徒を名門高校に入学させるために、教頭はあらゆる手を使って名門校とのパイプを構築していた。W高校の新体操部監督、新城マリナは高校の同期であった。篠田教頭はゆう子の新体操の情報を知ると、即座に親友マリナに特待生の件を打診していた。

 

 マリナ監督は篠田教頭からの情報を元に密かにR新体操クラブを視察した。ボール演技におけるボールキャッチの正確さと美しさを見たマリナ監督は、ゆう子の関節の柔らかさと空間イメージ能力に驚嘆し、篠田教頭にOKの返事を送っていた。篠田教頭はOKの返事を受け取ると、早速、ゆう子の母親と連絡を取り、特待生の吉報を知らせるため自宅を訪問した。知らせを受けた母親、陽子は気絶せんばかりの喜びで、その日の夕食後、ゆう子にW高校への進学を勧めていた。

 泡を吹かんばかりの口調の説得を母親は繰り返していたが、ゆう子は心の底では嬉しく思っていたが、即座に進学の返事をしなかった。母親は何が気に食わなくて、躊躇しているのかまったく分からなかった。ゆう子には誰にも話していない大きな理由があった。それは菊池勇樹とのやり取りにあった。「ゆう子、おまえ、どこの高校にいくんか?」「糸高!」ゆう子は何気なく答えた。「お~、俺もだ、糸高でもよろしくな」菊池も笑顔で応えた。この一言がゆう子の頭から離れなかった。

 

 この会話は10月のことであったが、菊池の返事は重大事件であることをゆう子は感じ取っていた。菊池はリトルリーグの伊都ヤンキーズのときから左腕のエースとして活躍しており、九州では大人をうならせるほどのナチュラルカットを投げていた。菊池が中学に入ると、九州の名門高校のスカウトが視察にやってきた。将来プロ選手になってほしいと願う父親、太は大分のY高校の特待生の話に飛びついていた。

 

 当然、菊池は大分のY高校に進学するものとゆう子は思っていた。ところが、甲子園とは無縁の田舎の糸島高校に進学すると言ったのだ。一瞬、冗談と思ったが、マジで応えていたようにも思えて、あの時の一言が心に重くのしかかっていた。ゆう子は天にも昇るような特待生の話が12月に舞い込んでくるとは夢にも思っていなかった。いまさら、W高校に進学するとは菊池に言えなかった。悩んだ挙句、生徒会長の横山に相談した。横山はW高校に進学すべきと助言した。

 

         菊池の決断

 

 横山は菊池と大島の気持ちを察知していた。横山は二人とは小学校のときからの親友で、二人がなぜ進路に悩んでいるか痛いほど感じ取っていた。横山は二人の将来のことを考えて、最善の策を考えていた。菊池にゆう子の進学のことを話す決心をした横山は、佐藤を交えて将来の話をすることにした。横山は佐藤に菊池をマックに連れてくるように頼んだ。12月9日()横山は窓際の席を陣取ると、二人がやってくるまで話の段取りを何度も練った。

 

 2時を回ったころ、佐藤が先頭にドアを押し開け入ってくると、横山は手を振って笑顔で合図した。いつものように、二人はチーズバーガーとコーラをトレイに乗せると横山のテーブルにやってきた。「ゆう子は?」佐藤が訊ねた。「突然、お客さんが東京からやって来るんだって、今日は三人と言うことで」横山はとりあえず口からでまかせを言った。横山はどのように口火を切っていいか悩んだが、野となれ山となれとエリートクラスの話を始めた。

 

 「受験って、ほんと、イヤね。エリートクラスは毎日テストよ。宿題は多いし、補講は毎日だし、合格したら、思いっきり遊んでやる」横山はぼやきを入れて二人の口を軽くすることにした。「佐藤君はどこの高校を受験するの?」まず佐藤に話しをさせて、菊池の本心を聞き出す作戦に出た。「俺か、糸高とH高校に決めたよ。おそらく、糸高に着地すると思うけど」話し終えると大きく口を開けバーガーにかぶりついた。

元気の無い菊池はストローでコーラを飲んでいた。「菊池君はどこ?」横山はこれからが正念場と気合を入れた。「俺か、佐藤と同じ」バーガーをかじるように食べ始めた。「え!糸高ってこと、Y高校じゃなかったの?」横山は目をむき、身を乗り出して、驚きの声を発して訊ねた。「そうだけど、俺の頭じゃ、無理ってか」菊池はとぼけた返事をした。「そうじゃなくて、Y高校に行かないの、スカウトされたんじゃなかったの?」横山は鬼になって菊池の心と戦うことにした。

 

 佐藤もあきれた顔で菊池を見つめた。佐藤は、以前菊池からY高校を断ったと聞いて驚いていた。「もったいないんじゃないか、菊池、お前だったら、Y高校でもエース取れるんじゃねーか。お前にしては弱気だな~」佐藤には菊池の心がまったく分からなかった。「菊池君、佐藤君の言う通りよ、菊池君ならきっとエースで甲子園に行けると思うわ。Y高校の監督が気に食わないの?」横山は菊池の心をほんの少しでも動かしたかった。

 

 「いや、監督さんはすごく立派な方だよ。親父もほめていたし。でも、俺は、名門高校には向かないと思うんだ。田舎の弱小高校で甲子園を目指すほうが、俺には向いていると思ったんだ。親父にもそのことを言って、納得してもらったよ」菊池は口が裂けても本心を言いたくなかった。「そうなの、菊池君には菊池君の考えがあったのね、そう、そう!ゆう子ね、東京のW高校に決まりそうって言ってたわ。教頭の口利きがあったみたいね。鬼教頭もいいところあるじゃない」横山はゆう子に口止めされていることを話してしまった。

春日信彦
作家:春日信彦
友情をかけた嘘
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