生誕委員。
そういうのがあるらしいと、mixiのコミュニティで見つけて知った。
俺は、松原夏海さんだけしか居ないんだ。そう思い、僕はその生誕委員の集まりへと参加した。
集まったら、サッカーのユニフォームの格好をした人が居た。
これが有名なあの人か。声をかけたが、すっごい怖かった。
何人か集まり、居酒屋へと移動した。
みんなで、顔合わせの飲み会になった。
前に座ってる人は、本当に初期のなっつみぃを知っていた。
昔から、塩対応だって言ってた。塩か、、たしかに塩だったと思った。
ノゾフィスもそこそこ塩だったけど、それ以上にボウリングの傷は少し癒えてなかった僕は、その塩というのがわかった。
でも、みんななっつみぃのことすごく楽しそうに話す。
いいなぁ、これが生誕委員か。来てよかったな。
それで、前に座ってる人が、ポラを見せてくれた。
なんだかんだいって、みんな一緒に写真とってるんだ。僕も、なっつみぃと2ポラ撮りたい。そういう欲望が生まれてきた。
ああいいなぁ、なっつみぃのために生誕委員がんばろう。
そうして、解散した。
俺も、そのうち生誕委員とかやりたいな。その時は、そんなことが実現するなんて思ってなかった。
そして、生誕の日を迎えたが、仕事で行けずあっさり終了した。
最初の生誕は、メッセージカードのデータチェックと、塗り足し(専門用語)が足らずにPhotoshopで足したというそこそこの大役を務めた。
【続く】
文責:オニオン物語