夢見草と一夜酒

  ――第六章――

 

 桜が泣いている。
 花びらを散らして泣いている。
 私は力なく歩を進める。
「……ケヤさん……」
 私の声にケヤさんが顔を向ける。
 全てを悟ったように物言わず小さく頷く
 桜の下で私の肩を優しく抱く。
 私は堪らず泣き崩れた。
 余命半年。
 つらい事実を病室で聞いた。

 

  ――第七章――

 

 桜の夢。
 桜の下にケヤさんが座っている。
「美咲ちゃん、もう一年経ったのよね」

「ええ。一周忌も終わりました」
「いつまで塞ぎ込んでるつもり?」
「翔太君がいなくなって、心に穴が開いたみたい。この穴は埋めようがないの。誰かが替わりになれるものじ

ゃないもの」
 見上げると満開の桜。
 不思議だ。
 この桜は、別れの予感だと、ケヤさんは言った。
 別れが過ぎたのにまだ残っている。
「ケヤさん、この桜って……」
「これは別れの予感。そして、思い出よ」
「思い出?」
「そう。美咲ちゃんは心に穴が開いたって言ったけど、そんなことないわ。暗い深遠に見えても、勇気を持っ

て光を当てるの。楽しかった日々が輝きを失わずに残っている。別れても思い出は残るもの。そして……」
 ケヤさんが手を掲げた。一陣の風が桜の木を包みこんだ。
 無数の花びらが桜吹雪となって舞う。
 周囲に光が満ちた。
「……そして、思い出は蘇える」

 風が止み、舞っていた花びらがゆっくりと落ちる。
 人影があった。
「翔太君?」
 元気な頃の姿で翔太君が立っていた。
「美咲。お別れを言いにきた」
 手を伸ばすと、見えない壁に当たった。
 姿は見えるのに触ることができない。
「翔太君。もっと長生きして欲しかった」
「悲しませてしまってすまない。電話で別れるはずだったんだが」
「私が押しかけたんだから、それはいいの……」
「僕のことはもう忘れて、自分の幸せのために生きてくれ」
「そんなこと、言わないで」
 涙で翔太君の姿が滲む。はっきり見たいのに、涙が邪魔する。
「美咲。僕は子供の頃から人付き合いが苦手だった。上手く気持ちを伝えられなくて、美咲にも嫌な思いをさ

せたと思う」
「そんなことない」
「短い人生だったけど、美咲と会えて幸せだった。だからこそ、美咲は不幸になっては駄目だ。このまま悲し

みに暮れて人生を無駄に過ごすなら、僕の人生が、美咲を不

幸にしたことになる。僕を大切に思ってくれるなら、僕の人生に意味があると思ってくれるなら、君は幸せに

なってくれ」
 嗚咽をこらえて頷く。
「また会える?」
 もう会えないという予感がある。でも聞かずにいられなかった。
「思い出はいつまででも残る。振り返れば僕はいつもここにいる。でも、だからこそ、振り返る必要はない。

僕はいつでも見守っているから、美咲は前を向いて歩いてくれ」
 翔太君は優しい目をして微笑んだ。

 

  ――第八章――

 

 あれから五年が過ぎた。
 私は広告デザインの会社に就職し、仕事も軌道に乗った。
 そして、取引先の出版社の人と結婚することになった。
 翔太君のことは隠さず教えてある。
「その人は君にとって掛け替えのない人だったんですね。僕はその人のいた場所に納まるつもりはありません

。別の意味で君にとって掛け替えのない存在になりたいと思っています。僕と結婚してください」

戸間
作家:戸間
夢見草と一夜酒
0
  • 0円
  • ダウンロード

17 / 22

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント