夢見草と一夜酒

 風が止み、舞っていた花びらがゆっくりと落ちる。
 人影があった。
「翔太君?」
 元気な頃の姿で翔太君が立っていた。
「美咲。お別れを言いにきた」
 手を伸ばすと、見えない壁に当たった。
 姿は見えるのに触ることができない。
「翔太君。もっと長生きして欲しかった」
「悲しませてしまってすまない。電話で別れるはずだったんだが」
「私が押しかけたんだから、それはいいの……」
「僕のことはもう忘れて、自分の幸せのために生きてくれ」
「そんなこと、言わないで」
 涙で翔太君の姿が滲む。はっきり見たいのに、涙が邪魔する。
「美咲。僕は子供の頃から人付き合いが苦手だった。上手く気持ちを伝えられなくて、美咲にも嫌な思いをさ

せたと思う」
「そんなことない」
「短い人生だったけど、美咲と会えて幸せだった。だからこそ、美咲は不幸になっては駄目だ。このまま悲し

みに暮れて人生を無駄に過ごすなら、僕の人生が、美咲を不

幸にしたことになる。僕を大切に思ってくれるなら、僕の人生に意味があると思ってくれるなら、君は幸せに

なってくれ」
 嗚咽をこらえて頷く。
「また会える?」
 もう会えないという予感がある。でも聞かずにいられなかった。
「思い出はいつまででも残る。振り返れば僕はいつもここにいる。でも、だからこそ、振り返る必要はない。

僕はいつでも見守っているから、美咲は前を向いて歩いてくれ」
 翔太君は優しい目をして微笑んだ。

 

  ――第八章――

 

 あれから五年が過ぎた。
 私は広告デザインの会社に就職し、仕事も軌道に乗った。
 そして、取引先の出版社の人と結婚することになった。
 翔太君のことは隠さず教えてある。
「その人は君にとって掛け替えのない人だったんですね。僕はその人のいた場所に納まるつもりはありません

。別の意味で君にとって掛け替えのない存在になりたいと思っています。僕と結婚してください」

 それが彼のプロポーズの言葉だった。
 神前婚の下見に訪れた神社の境内に桜の木があった。
 季節は秋なので花はついていないけど、夢で見た桜とよく似ている。
「これで……いいのよね」
 桜に向かい、祈るようにつぶやく。
 何かが舞い落ちてきた。
 手の甲に落ちたのは桜の花びら。
 花は開いていないのに、ひとひらの花びら。
「どうかしたのか?」
 彼が聞く。
「友人から祝福を貰ったの」
「幸せになろうね」
「はい」
 私は彼の手をとり、振り向かずに歩き始めた。
戸間
作家:戸間
夢見草と一夜酒
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